アメリカの人に「日本人の女性は韓国ドラマが好きねえ。韓国までロケ地めぐりに行くんでしょ?」みたいなことを言われた。たしかに。
自分はアメリカのドラマも日本のドラマも放送されてれば見るから単なるドラマ好きってだけなんだけど
結局なんで韓流ブームはおきたのか。
誰にも打ち明けられない。つらい。誰にも相談できない。心を許して話せない。そんなふうに信頼できる人がいない。くるしい。ネットはすべてを明かすにはやっぱり怖いところだ。
ただ誰かに苦しみを分かってもらって共有するだけでもうずっとずっと心は軽く楽になるのに。というより、共有するってことは人間に出来る最上級で最難関の援助だ、たぶん。でもその糸口さえみえない。たすけて。
毎日の生活で、助けてください・困っています、なんて顔していたらきっと辛気臭いと思われたりするんじゃないか。面倒くさそうとか鬱陶しそうとか他力本願っぽいとか思われるんじゃないか。そんな危惧のために、日常生活では至って平気そうな顔ですごしている。誰かに最初から頼ろうとしている人だと思われたらいざと言うときに助けてくれないと思うから。でも自分の状況はもうとっくにその域を超えていると思う。
はじめましての段階から一歩一歩信頼関係を築いていってその後にやっと重い話を相談するなんてことをやる気力はない。あまり時間もない。きっとわかってはくれないよという諦観もある。最近だと何が苦しいのかさえぼんやりとしてきてしまって、それはとても良くないことだと思う。
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この器官、いや機関がこういった音楽と弾幕の形式にたどり着くのは自明の里であった。
というのも、これまで何千という模倣者が探求してきた果てに、結局のところ主観と客観の合を一にする
もっともてっとり早い方法は音楽の合わせた強制的なパターンの羅列、それも熾烈なまでの弾幕においてである。
この天球の音に合わせて光るメリーゴーランドに、
または儼かな生きものたちがざわめく瀑布のように、
あなたは強制的な移動を強いられる。
わからなくなってくる。
確かにリーダーの辛いところを察するところが足りなかったのかなと反省中です。
しかし、彼はボランティアのプロではないようなので、平時は何もしていないと思います。
これに懲りず、協力できるところで協力していこうかなと思います。
あ~、違う違う。
スクリーニング検査をやること自体は(個人的には馬鹿馬鹿しいとは思うが)良いと思うよ。
美術 古典期 発展期 成熟期(ルネサンス) 爛熟期(マンネリ) 東西の交流(印象派) 大衆化・前衛美術期 モダニズム エロゲ エロ──┬──純愛──シナリオ、キャラ多彩化───定型化─────┐ ┌──大衆化───────────記号化 │ (姉、妹、幼なじみ) ├──融合(寝取られ)──┤(ギャルゲや小説と同質化) (ツンデレ、クーデレ) │ │ │ └──陵辱── 状況、シナリオ多彩化 ─── 定型化 ────┘ └─グロテスク化───────不条理・過剰現実 (輪姦、催眠、薬、痴漢) (グロ、殺人、奇形) (話題になった者勝ち)
こんな感じなのかな
ウィキペディアによると、軽度の知能障害は、知能指数は50~70程度。
中度の知的障害は35~50程度。
知能偏差値でいえば、25~35が軽度の知能障害、17~25が中度の知的障害、
ということになる。
ところで、50が平均なので、25~35や17~25に対応する高いほうの知能偏差は、
それぞれ65~75と75~83。
つまり、偏差値50の人たちにとって偏差値30が知的障害ということになると、
偏差値70の人たちも逆の意味である種の障害とみなして良いということになる。
仮にそうだとすれば、東大や京大、東工大や一橋大の偏差値は概ね70だが、
母集団に補正をかければ、さらに偏差値は高くなる。りっぱな障害者だ。
逆に、この人たちの集団の中に偏差値50の標準的な知能の人がごく少数入り込んだら、
その集団の中では、標準的な知能の人は立派な知的障害だ。
何を言いたいかというと、自分は普通だ、と思っている人たちは、単に自分が含まれている集団に
庇護されているだけだということだ。
その点に関しては、さすがに考えてケアしてるよ。
そう。自分は逃げ出したんじゃないかという反省があるから書いているよ。
お金をもらうというインセンティブがない人たちをまとめる辛さに関しては、あまり考えてなかった。
確かに、私はバイトをまとめた経験はあるけど、ボランティアをまとめたことはない。
そこをもっと考えるべきだったね。
どこも悪くなくても大手術を薦められるから気をつけれよ。
今日、夕方勤務で一緒に入った田中あやさん(仮名)とはちょっとあまりにも暴言が過ぎてやっていけそうもない。
多分、宇和島市内(東か南高校?)に通ってらっしゃると思うんだけど。
コンビニ歴あなたより長いしwwwwww()とか腹筋ツリそうになった。
彼女他の人についてもハラのなかでそう思ってるだろうって言いふらしてやろうと思う。
まあ言ってみれば田中さん(仮名)は人を支配下に置かないと気が済まない、幼い人なんだよねー。
ちょっと彼女はとてもじゃないけど私には共同作業をする態度を取れないようだから、”住み分け”をお願いしたいと思ってる。
あー、これはただの俺のやっかみであり単なるやつ当たりで向こうさんらは悪くないのだが、すぐ別れるってのが納得できない。
「運命の人だわー」とか散々言っておいて手伝わせておきながら別れるとか俺の気持ちや労力はなんだったんだよ。
俺がどんな思いでひっつけようと尽力していたのか、どうやって根回しをしてそこまでいけるようになったと思っているのか。
愛憎という字の意味がよく分かった。
愛しているからこそ憎いんだ、愛の反対は嫌いじゃなくて憎いんだ。
あんたがあいつとなら幸せになれると思って手伝ったのになんなんだよ、それ・・・
で、また「用事があるので失礼します」か。
バイトだとバイト、友人と遊ぶなら友人と、用事という場合は男と飯かデートなんだよ。分かってんだよ。視線や動作、思考でどう動くかとかも分かるぐらい知りすぎて俺に気が無いことも知っている。
俺は本当に憎いんだと思う。自分勝手に憎んでいる俺自身に対して憎いし、どうしようもない。
ただ自分勝手に憎い。