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はてなキーワード: 墓場とは

2012-02-12

結婚しない理由

2chスレまとめとかで、結婚についての話題があったら興味あるから読むようにしてるんだけど、定期的に見かける、

結婚するとかバカじゃねーのwwww」

などと独身の男たちが言い合ってるスレはあまりきじゃないな。

結婚なんて百害あって一利なし

結婚人生墓場

「死ぬまで自分の稼いだ金を嫁にむしりとられるなんて嫌だ」

「劣化していく嫁に自分人生捧げるなんて虫酸が走る」

とか言ってるけど、結婚したことないくせに何言ってるんだと思う。

自分のまわりには、結婚してよかった、パートナー子どもたちの顔を見たらどんな辛いことでも乗り切れる、って言っている人ばかりだ。

勿論良いことばかりじゃないだろうけど、それでも一緒にいたいと思う相手と結婚できた彼ら・彼女らは幸せだとはたから見てて思う。



とか言いつつ、俺もまだ独身彼女なしのまま三十代に突入しているんだが、結婚したくない最大の理由は、

自分なんかと結婚する人が気の毒だから

に尽きる。

誰にだって仕事だとか住む場所だとか、その人の望む人生がある。それが、自分みたいなしょうもない人間と一緒になることで歪められてしまうのは見るにしのびない。

から自分には結婚は向いてないし、無理だと思う。

それ以前に相手がいない、というのはさておきね。



同じような考え方の独身男、いない?

2012-02-07

アイドルプロレスっていうのはよく似ている。

モーニング娘。新日本プロレスなら、AKB48WWE

ガチンコドキュメントストーリーに思えるものを見せて隆盛を極めたのがモーニング娘。

AKB48は、そこに最大のヒールとして運営側を突っ込んだ。

から秋元康に対してやいのやいのブーイングを飛ばしてしたり顔になっているのは、完全に運営側の思う壺。

本当に嫌いなら、何も言わない方がいいし、AKB商法を非難する=AKB48のファンであると何も変わらない。

AKB48恋愛禁止っていうのは、「プロレス真剣勝負」と同じものだと考えるべき。

AKB48のファンには二種類ある。本気でAKB48メンバー彼氏を作っていないと思っているのと、そのルールが本当にあるという前提で乗っているのがいるわけだ。

米沢、平嶋がやったことって言うのは、つまりプロレスラーが「試合の結果は決まっています」ってカミングアウトしちゃう行為で、他でもないメンバー自身が明かしちゃいけないのよ。

作ってもいいけど、彼氏がいることは墓場まで持っていかなきゃいけない。

なお、Perfume総合格闘技。いろいろなものが決まっているはずのアイドルに、本当にシュートを持ちこんじゃったか革命だし、後にも先にもこういうアイドルは出てこないだろう。

2011-12-24

管理されること

なんでお前らはそこまで権威管理されてまで楽をしたいのか?

思考停止して墓場までのレールにのりたいだけか?

思考も自由もなくなるのをわかっているのか?

2011-12-16

就活勝ち抜いた」ことしかプライドを持てる要素がない人

ちゃんと就職して、自分で稼いだお金で生きていることは大変ご立派なことですけれども。




なんというか、内定いっぱいもらった学生が浮かれて「指南してやるぜ!」みたいに鼻息荒くするのはすごく可愛いですけれども

3年くらい勤務したのに、就活中の学生に対して自分仕事やりがいとかじゃなくて

就活は厳しんだ。俺はそれを乗り越えて就職できたんだ。俺は偉いんだ。お前ら俺を崇めろ」みたいな感じを漂わせてる人がいてなんとなく悲しい気持ちになった。




就職がゴールであとは墓場みたいな人を見かけると、学生就活したくなくなるので、

仕事が楽しくない人は、アニメ板にでも行っていただいて、就活やら仕事やら社会について口出さないでください。

あんたら自分では社会人のつもりかもしれないけど、ただのゾンビです





前に誤解されたことがあるので一応書いておくと、私は就活中の学生ではなく、採用側の人間です

採用側に対して厳しい意見を歓迎します。

2011-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20111209141213

と言うより、今がただの無職から結婚以外に自分を支えるものが何も無いんだと思う。

私は結婚と同時に失業もとい退職たか結婚当時はまさしく墓場気分だったけど、

最初から仕事無ければ幸せ気分なんだろうなー

結婚おめでとう!って言われたい

はてな界隈結婚したよ!って言うとけっこうな数おめでとう!って言われてる人がいる。すごい羨ましい。



病気仕事退職して、良くなるまで毎日だらだらしてる(医者の指示)ので結婚したよ!って言える人が両親以外にいない。ツイッターでは婚姻届提出しました~って書いたけど11/22の平日、しかも多くの人は思いっき仕事中の15:00に受理されたので、おめでとうございますのリプは早上がりした友達の友達(現場技術者)の一人だけだった。ありがとう、会ったことないけど、って感じである



まぁ、フォロワー100人もいないし。今までの忙しさにかまけて人間関係を疎かにしてたし。自分でもお祝いの言葉を言われたいのは、わたしを見て!かまって!っていう思考だろうって思ってる。友達全員に厚かましく結婚しましたよメールを一斉送信したところで、あぁそう、くらいにしか思われないだろうし、返信もないだろう。みんな年末進行で疲れてるだろうし。



私もここ3年くらい忙しくてろくにメールの返事も書けなかった。新卒就職した会社が1年未満で倒産再就職先も1年経たず事業縮小で契約解除。生活費を稼ぐのに必死すぎて、大学友達(7割は実家住まい)の女子会()も上の空で出席した。当たり前のように、会話も仕事に関係することしかできない。趣味の話をしようにも、スイーツ的な、赤文字系雑誌そのまま、みたいな人に、今年のアニメ面白かったのはまど☆マギピンドラかな~とか、モンハン3G楽しみすぎて寝れないわー今回は双剣から始めるつもりなんだ~とか言えない。しかも文字にするとあっさりだけど、きっと実際に発音したら無意識にデュフフって言いそうで怖い。メールも何書いたらいいのかわからなくて事務的になりがち。友達の真似してデコメ頑張ったけどわからなさすぎワロタwwwっていうか事務的なメールデコメ似合わなさすぎワロッシwww



まぁ、付き合う友達趣味自分と合わないからそんなに仲良くないっていうのもわかってる。でもそれにしたって、仕事しかしてこないのは、いつか生活することをメインに人生を歩き始めたとき自分の回りに何もなくなる可能性があるので、独身社畜の方はよく飲みにいったりするお友達を大切にしてください。それで友達結婚したら、知るかよ!!とか拗ねず、結婚とか人生墓場だろjkとか皮肉らず、半年くらいは素直におめでとう!って言いまくってください。恋愛はひけらかすのはつまらないけど、結婚はおおっぴらにした方がいいし。多分言われて悪い気持ちにならない。結婚したばかりの人じゃなくても素敵ですね!って言われたら嬉しいよ多分。私はそんなこと言える既婚者って両親くらいだけど。



ちなみに、結婚して嬉しいって思いたいだけだろって思われそうだけど、結婚して1ヶ月も経ってないので結婚生活がどういうものなのかわからないので、そうです!とも、ちがうよ!とも言えないです。ただ、残業して11時過ぎにへとへとになって家帰ってきて暗くて寒いストーブスイッチ入れて暖まるまでそこから動けないのよりは、相手が寝てても、ほんのり家の中あったかいし家族がいて安心するのは確かです。年々感じなくなるかもしれないけどね。



ということで、おめでとう!コメントください。

わたしもおめでとうって言われてる人を羨ましがらないでおめでとう!って言うから

2011-10-06

人生ログを残していく人たち

ネット上でリアル事情を匂わせる人たちがいる。

たとえば就活だとか、結婚だとか、死だとか。

こういう情報を残していく人は、あまり好きではない。




たとえば就活成功して一流企業に行くにせよ、失敗して高学歴からゴミのようなブラック企業に行くにせよ、

そういう情報を見せられると、嫌でも自分比較してしまう。

自分のほうが社会的ステが優位ならともかく、自分が劣位だと嫉妬しかしない。




結婚も同じ。結婚人生墓場だとかいうけど、のろけとか見せられると不快しかない。「お前は劣ってるんだぞ~」って宣告を受けてるような気分になる。

もちろん当人にその自覚がないのは知っている。知っててやってたらなおたちが悪いけど。





ましてや死んだとかさ。ありえないよね。

3.11以降更新されてないユーザーが何人かお気に入りにいるけど、ホント困る。

これは不可抗力というか、本人にはどうしようもできないことだからまだいいけど、余命宣告受けてる人の闘病生活とか何がしたいの?とっととネット情報たためよ。



これからどんどん「ああ、この人はたぶん死んだんだな」って情報がたくさんネットに溜まっていくんだと思う。

そしてそういう情報を「資産」としてありがたがる人間もいるんだろう、シデムシみたいな奴が。

分解者でないだけ、それらより気持ち悪い。




そういう情報は、身内にだけ見せて下さい。

誰にでも見せていいもんじゃないんだから

2011-09-28

福島マツタケの思い出

スーパー初売りされたマツタケを見て、学生時代のことを思い出した。

福島市近郊出身の友達が、すきやきパーティーをしようと持ちかけてきた。

彼の実家からなんとダンボール箱いっぱいのマツタケが送られてきたのだった。

いつものだべり場だったもう一人の友人の家に集まり、もう一人呼んで、4人でマツタケすきやきパーティが開催された。

すき焼きなので、福島牛も調達された。

いとこんと肉は近づけてはいけないとか、美味しんぼの富井副部長の失敗から学んだ数少ないすき焼き知識を駆使して、マツタケとそのほかの具の比率が1:1のとてつもないすき焼きパーティーが始まった。

マツタケの素焼きとか土瓶蒸しもやってみた。

マツタケを持ち込んだ友人以外、本物のマツタケを知らなかった。永谷園のお吸い物がかろうじて、マツタケ体験だった。

マツタケの香りはとても強くて、好みが分かれるものかもしれない。

ほぼ縁がないと思っていたマツタケを存分に楽しんだ。

一生分のマツタケが一晩にして消費されたはずだ。もうしばらくマツタケは食べなくてもいいといえるくらいにマツタケを堪能した。

マツタケがどこで取れたのかという話題になった。マツタケが送られてきた友人も、実家の親からは一切教えてもらえないと話していた。

その親が墓場までそのありかを持っていってしまうのかもしれない。

ふと、マツタケの思い出のことを文章にはきだしてみた。

仮にこの友人の親が存命だとしても、マツタケ秘密の山がまだ存在していたとしても、マツタケ福島ももう思い出の中にしかないのかもしれない。

便利さや富と引き換えに福島の大切なものをたくさん失ってしまった。私たちは、どこで道を踏み外したのだろうか。

2011-09-10

パラダイムシフトの真っ最中だけど今月結婚する

今月結婚する。今まで2chで「結婚人生墓場」という例もたくさん見かけてきた。自分の親もずっと不仲で数年前離婚した。だから結婚しなければ」というプレッシャーがあったわけではない。それでも今月結婚する。

もちろん、この人と結婚したい、そう思える人が見つかったからだが、それまでの間「結婚したいと思える人」を探していなかったといえば嘘になる。それは、なぜだろうと考える。有り体に言えば「結婚願望があった」ということなのだろうと思う。でも、なぜ結婚願望があったのかは、未だに自分でもよくわからない。

から一時的な恋愛にはあまり興味がなかった。寂しいという感情が薄く、性欲もオナニーで解消するほうが合理的だと考えていた。クリスマスにかっこいい彼氏彼女を引き連れて街を歩くといった、恋愛ファッションと考える向きもあるけれど、そういう嗜好性も僕にはなかった。だから、寂しさと性欲のためにいつか終わりを告げる関係性に時間投資するのは無駄だと思えた。

それでも女性とつきあったことはある。当然、好きだな、と思ったからだが、しかし一方で好奇心セックス含む)の延長線上、あるいはいつか結婚するためのコミュニケーション研鑽としてつきあっていたようにも思う。十代の恋愛なぞ、互いがどんどん変化していく中でズレが発生してしまものだと思うし、どうせ長続きはしないと思ったからだ。実際に長続きはしなかった。それでも、それぞれと数年は付き合ったけれど。

まり恋愛願望はかなり薄いが、結婚願望はそれなりにあったということになる。たぶん単純に安定志向だとか、そういう話で片付けてもいいのだけれど、せっかく結婚するのであるから、もうすこし自分内面を掘り下げてみたい。

結婚したいと思ったのは、両親の失敗例があったからかもしれない。どんなに経済力があっても、夫婦の仲がダメでは家庭はダメだということを理解しているからかもしれない。だから、ちゃんと夫婦仲がしっかりした家庭を作って、なにか「仇」みたいなものを取りたいと思っているのかもしれない。

あるいは、諸々の事情からもう僕には実家がないからかもしれない。僕には何かあったとき「帰れる場所」「セーフティネット」はもうない。ならば、自分の手で作ってしまえ、と思った。僕にとっての「帰れる場所」、あるいは僕の大切な人間にとっての「セーフティネット」を、自分の手で用意したいと思った。生きていく上での何よりも大事な「インフラ」を自分の手で創り上げてみたいと思った。自分のために。あるいは自分の大切な人のために。

単純に、結婚ということにも興味があった。なぜ人は結婚するのだろう?結婚してみるとどうなるのだろう?という好奇心だ。自分は体験主義者であり、世の多くの人が行っている「結婚」をいうことを、自分自身の身で確かめてみたかった。たとえば好きな人と一緒に生活したいのならば事実婚いいとも思うし、わざわざ結婚届にサイン証人サインまで取り付ける必要はない。配偶者控除もなくなりそうな感じなのだし、税制上も特に影響はないと言って過言ではない。

でも結婚する人はいる。なぜか。古くさい社会習慣に引きずられているからか?しかし、僕の知人の中には、とても過去の習慣に引きずられてはいないような人も結婚したりしている。しかもどうもそういう人の結婚幸せそうだし、なにかとても「芯」のようなものを感じる。錯覚の可能性は十分にあるのかもしれないし、自分こそがまさに古くさい社会習慣に引きずられているのかもしれないけれど。そういう意味で、とにかく不可思議で、よくわからない何かを解明したい、という思いがある。

結局未だにわからなくて、それを整理したくて、だからこんな文章を書いてみたりもしたけれど、結局わからないままだ。どれぐらい分かっていないのかというと、「結婚おめでとう」といわれても、何がおめでたいのかよく分からないほどだ。

就職おめでとう」「転職おめでとう」のように、面接にでも合格した扱いなのだろうか。もしくは、大きな船出の無事を祈っての「おめでとう」なのかもしれない。こんな風に、ひねくれた、とんちんかんな事を考えてしまう程度に、分かっていないのだと思っている。結婚たからと言って「大人になった」「これで一人前」とは、特に思わないからだ。結婚しても、ダメ人間などたくさんいるからだ。むしろ結婚していない人間のほうが、無知無謀ではない、という解釈すらあり得るのが今だからだ。

人は長期的には、自分を否定できない生き物だから、もしかしたら僕も幸せ結婚生活をするうちに「結婚できない人間ダメじゃねーの」と言い出すこともあるのかもしれないし、もしくは結婚に失敗して「あんなものはやっぱり人生墓場だった」と言い出すのかもしれない。

ただ、これだけひねくれた人間結婚を決意してくれた人間を、幸せにしたいと強く願っているし、ついでに僕も幸せにしてもらえるといいなあ、と思える程度には、脳天気な心持ちだって、もちろんあるのだ。

そんなわけで、今月結婚する。自分で読んでもさっぱり意味の分からない文章を、ここまで読んでくれた方ありがとうございました。

2011-07-25

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

2011-06-26

働く事と即戦力

これは弊社だけの事かもしれないけど、どうも「人材の育成」ってのに全く関心が無いように見える。なんでもかんでも「即戦力」ばかり求めていて、自分個人的にはお話にならない。

密室会議プロジェクトの体制が決まるのだが、だいたい自分担当範囲は「その他」と書かれている事が多い。

基幹部分はVisualStudioで、だいたい、VB.netで書かれたプログラムで目立つところばかり。でも別に基幹部分とはいえ、クリティカルな部分は無くて、万が一止まってしまったら、リブートすればいいだけ。この部分は、たいてい他の人に取られている。

で、自分に割り振られる「その他」ってのは、VisualStudioで、VB.netVC++で、主にネットワークミドルウェアドライバの部分、他のマシンUNIXのX-Windowだったり、WebサーバWebアプリOracleデータベースだったり、組み込みマイコンOSドライバアプリ担当となる場合がある。

ちょっと待ってよ。なんでVBの部分は数人で作っているのに、その他のクリティカルで多様な部分は俺独りなのか?

聞いてみた。

「誰も出来ないから」

は?

だって生また時から出来るようになったわけじゃねーよ。誰も出来ないなら育てろよ、と言ってみた。

「そんな時間と金は無い」

意味わかんねーし。

でも、最初から担当出来るならまだまし。たいていは、「出来ない部分」は外注に発注する。

そして、外注が失敗する。

その尻ぬぐいが俺になるパターンが9割を占める。

勘弁してくれ……。

自分の課の人員動向を見ていても気になる部分がある。課長係長の様子を見ていると「使えない」と判断したら他の課に回してしまう、けど、教育はしない、みたいに見える(でも、部から外へは出ない)。

なんかおかしくないだろうか?

先述の外注の件も、「社内で遊んでいる人員がいるけど、技術が無いから、外注に出す」パターンで、結果、外注に踊らされて「動かないコンピュータ」が出来上がってくるパターン

外注と話をすれば、(まぁ、だいたい15分も話をすれば)、相手がどのくらい出来るかどうかなんて判断出来る。たいていの場合「無理じゃね?」「これじゃ出来ないのあたりまえじゃね?」という結果が俺の脳裏をよぎる。でも、何故か、外注に発注する事になる。

おかしいよな。だって「社内に遊んでいる人員」がいるのに「外注に出す」ってなんなのさ?

即戦力

しか頭にないんだろうな。

外注も頭良くてね。業界つながりで他の会社人達と話す事もそれなりにあるんだが、出来る会社、出来る人員(個人事業主も含む)は、口をそろえてこう言うんだ「悪いけど、君の会社の、特に君の部から仕事は受けないようにしてるんだ」とね。表向きには言わないけど、複数の会社に相見積もりをとると、そう言っている会社は、弊社に出してくる見積書がめちゃくちゃ見積金額が高い。当然、弊社からはその会社に発注しないわけ。そう、残っているのは「実情を知らない会社とその社員」だけ。だから「動かないコンピュータ」が出来上がってくる。上の連中がどれだけ、この事を知っているのか。

の、割には「職人」に対する扱いがひどいのもある。

どうも、経営者管理者どもは、自分の力で物理法則が変えられる、他人の脳をオーバークロック出来るかと勘違いしているようだが。どこかの国の政治家DQN連中と同じように見える。

IT業界だけの話じゃ無いと思うんだけど、例えば……そうだなぁ、漫画アニメ小説とかのコンテンツ業界も(外から見てる限り)そんな感じを受ける。こっちの業界も、「即戦力」と「職人に対する扱い」に関しては、IT業界と同じに見える。

漫画小説も、「既に売れている作品」に勝るとも劣らない作品をクリエイト出来る人間けが採用されているような気がしてならない。いや、同人誌界を見てるとそう思うわけなんだが。

商品なんだから、それは当たり前の話なのも分かる。

だがよ。「育てる」事してないだろ?(という風に見える)

ある機会があって、就活生と話す事があった。やはりかなり焦っていて「もう仕事は何でもいいし、どこでもいいか内定とらないと」と言っていた。「うちの会社にだけは来るな」とだけ言って、俺は言わなかったけど、確かに「新卒」というカードを使えるのは1度きりだけど、「意に沿わない仕事職場の雰囲気、自分技術力、これらが合わないと、早々に精神を病むぞ」と言いたかった。現に、弊社やその周りの会社では早ければ入社後1週間、2~3年後までに辞めてしまう、またはメンタル疾患にかかる人が急増している。

なにしろ、育てないで、新人といえども「即戦力」を求めるからな。付いてこられない、精神的疲労は大変だろう。

今年の新人君と話をしてみたが、情報系の院卒のれっきとした修士でありながら、16進数バイナリテキストの区別が分からなかった、という驚愕の事実。これで「即戦力」?

ゆとり」世代、の一言で方つけてしまうのは、少々酷かとは思うのだが、採用判定する方も「ゆとりジジィ」としか思えない。

まぁ、うちの部は、会社の中では「墓場」と言われていて、この部から出て行くには「自殺」「精神疾患による退職」の2択しかないのだが。

こうやって脱線した時の、リトライのすべが無いのも事実だよなぁ。

「そりゃ、実力が無いだけ」「努力が足りないだけ」

一刀両断にするのは、いかがなものかと。まぁ、分からなくもないけどね。

前述のような事を書けば、ほとんどの人は

「辞めればいいじゃん」

と言う。まぁ、それも分かるわ。実際その通りだし。別に社畜じゃないし、会社に未練も無いから。少なくとも今の会社、出来れば「職人」を蔑ろにする風潮のIT業界からは離脱したい。

が、IT以外、他に手に職が無いのも事実

サービス業なんていけない。ぶっちゃけしまえば、サービス業(例えば接客業等)って、いわゆる「感情職業」じゃないですか。一度鬱病やって休職した経験のある自分にとって、感情職業は無理。

転職エージェントとか見ていても、やはり「キャリア」。「即戦力」だよねぇ。

最近mixiの(少なくとも自分にとっては改悪だった)状況に対する、mixi使っている人達の反応や、Twitter非公式RTに関するページを読んでいて、「そんなに嫌なら、使わなきゃいいじゃん。自分に合ったもの自分で作れよ。」と思う。無料サービスアプリなんだから文句たれてないで、使うの辞めればいいのに。

なんか、弊社のある課長を思い出したわ。ある有名なフリーソフトを使っていて「これ、使いにくいから、作者にクレームメール入れるわ」とか……。おいおい。使いにくいなら使わなきゃいいだろう、フリーソフトなんだし。相手(課長)の常識より、自分常識を疑ったわ。フリーはいえ、クレームをつけるという常識が、昨今の風潮なのか、と。

と、思うのは、前述した「(会社を)辞めればいいじゃん」と同じなんだろうか?

少なくとも、金銭や契約が関わっている以上(他、労使契約労働基準法等)、違うと思うんだよね。

と、書いても、例えば、喫煙者愛煙家と言うか?)にたまにいる「金と税金払って吸ってるんだから、どこで吸おうと勝手だろ」というのと同じなんだろうか?

いったんレールから外れると、ほとんど復帰のすべが無いってのは、なんだかなー、と思う。

するとこう言う。

「じゃあ、日本から出て行けば?」

これも「(会社を)辞めればいいじゃん」「使わなきゃいいじゃん」と同じなのかな?

自殺する気は無いから、会社は辞めるけどね、耐えられなくなったら。自殺するくらいだったら、引きこもり生活保護の方がいいわ。

1900年以来、第4位の大地震であれだけの災害だったにも関わらず、死者・行方不明者数が、スマトラ島沖地震チリ地震よりも少なく、かつ、「年間の総自殺者数」の方が多いってのは、どうかと思うわけだが。

ちょっと、最近、閉塞感を感じるので、つらつらと書いてみただけ。

2011-06-13

間違った結婚

結婚を考えているヤツ

本気で考え直せ

 

結婚人生墓場だぞ

それでもいいというなら結婚しろ

喜びは半分、苦しさが2倍

 

特にカネ

節約が出来ない贅沢な女に気をつけろ

 

少しでもお金節約しようとしている女ならいいが、化粧にこだわったり、洋服にこだわったり

そんなヤツはやめておけ

 

あと料理も出来ない女はマジで飢えるぞ

毎日インスタント食品を食べさせられてみろ

外食したくなる

 

で、外食してきたら、自分だけ外食してきたと責められる

まずお前の料理の腕をどうにかしろ

から出前のピザはないだろ

カネが消えていく

 

結婚は本気でやめておけ

 

俺は巨乳に弱い エロい体にだまされた

巨乳の頭はオツムが弱いことには気づかなかった

昔はやりまくったけど、今は単なるデブだということに気づいた

2011-05-28

リテラシーっていつからなくなったんだろう

誰もが思っていても、口には出さない事ってありますよね。

世間体が大事だとか、交友関係を崩したくないだとか、そういった理由から口を噤みます

けれど、もし、それが比較的誰にも気づかれない場所で話せるとしたら?

学生時代を思い出してください。

友人と帰路の途中、周りに誰も居なかったら誰かの悪口を言っていませんでしたか?

教師が居ない場面で、クラスの端っこで不平不満を言っていませんでしたか?

つまり、当事者が居ない場面であれば、悪口は言いたい放題になります

気付かれる心配があまりにも低いと、人間は傲慢になるのです

この比較的気づかれない場として、最近twitterが挙げられるかもしれません。

私のTLでは、常に誰かが

電車の中にいるけど、隣の女香水が臭い、腐ってるのか?」だとか

「授業中に教師が突然私を指名した。うざい、マジうざい」だとか

「先輩がオレをパシリとしてしか見ていない」だとか

どうでもいいけれど、本人にとっては重大な悩みをぶちまけています。

不平不満は勿論、悪口で溢れているTLは、見るに耐えません。

ただ、ここで言いたいことは、鍵付きアカウント以外は誰からも見えるということです

絶対にバレない、だから周りの奴らを批判・中傷してやる、というスタンス

先日の「同一ネットワークから接続しているアカウントが分かる」という実装から崩れました

単純にそのネットワークから接続しなければ良いのですが、それに気付かなければ?

勿論、その話を聞いた人の多くは調べてみるでしょう。

そして、貴方/貴女は見つけるかもしれません。

「あの黒縁メガネ、~」「チェックの服の~」「ハイヒールの~」

の様な、個人を特定出来そうなツイートの後ろには、悪口が書かれているのかもしれません。

そうなると、阿鼻叫喚です。傍から見る分には面白いですけれどね。

ここにおいて、気づかれない聖域といった幻想が崩れてしまったわけです

実際は鍵付きにでもしない限りは、誰からアクセス出来たので、聖域というよりは墓場ですが。

頭の中で考えたことをそのまま文字にするな。

回り回って、後から自身を苦しめることになるでしょうし。

それに、人を傷付けて、嘲笑って、そういう人が誰かに信頼されると思いますか?

本性を隠せば良い、それでやっている、という人も居るでしょうが詭弁です

性格の悪さは滲み出てますよ。そこのお前だよ。

2011-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20110430125330

かなり横だが、ビデオテープも古いのはヤバい。

以前、十数年前のビデオテープを押入れから引っ張り出した

カビだらけ。そのまま捨てちゃったよ。

 

バタリアン等が見えなくなった。

中学校当時バタリアン墓場ストリップのシーンで抜いていたのに

俺の青春の1ページが・・・

2011-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20110405155448

40歳過ぎ。わかる。すごくよくわかる。


「この人とお前とどっちかが死んでどっちかが生き残る。どっちだ?」

と聞かれて躊躇なく「俺が死ぬ」と言える人がはじめてできた。2年前に生まれた息子だ。


遊びたい!好き放題自由にやりたいお金も全部使いたい浮気しても慰謝料払わなくていいポジションって最高!という気持ちと、

老後が孤独なのは嫌だな、最近自分可能性の限界を感じる、自分遺伝子子供という形でのこして子供の成長を見守ることで希望を感じたい、という気持ちのバランスが、

加齢によって逆転する瞬間

が来た。心の底から子供が欲しいと思った。自分自身は世間並みから言えば抜群に優秀だと思うけれど、この程度の優秀さなんて、所詮人並みを超えることはないということを実感した

まあそんなことは東京大学学生だった1年生の秋までに気づいとけよという話ではあるのだが


遊んだ。好き放題自由にした。Gカップの女弁護士と、Fカップのお嬢様と、Aカップの処女を同時進行で30代前半を過ごした


仕事も順調だった。大企業に順調に就職し、まあ役員くらいは当確だ。


でも所詮そこまでなのだ。限界がある。一人の老後はさびしい自分自分可能性を十分に生かすことができずに老いていくのだ。

自分忠実コピーが欲しい自分突破できなかった壁を、自分遺伝子突破してほしい


そう思ったナルシストの前に、三十路半ばにさしかかった大学の後輩女性結婚したがっていた。

この女なら、この俺の遺伝子の受け皿として申し分はない。



結婚して、息子ができた。

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これは、自己形成を自分ひとりで時間をかけてやりたがった人の話。

今時はそういう男が多すぎるのは確かなんだけど。


20代半ばまでに結婚する男の中には、結婚そのものが、上を目指す手段だったりする奴もいる。

好き放題やるために、自分が望む自分になるために、結婚する。

そういう人間にとっては、結婚人生墓場はなく、むしろゆりかごなのだろう。

そういう男にとっては、常に妻は踏み台にすぎない。


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「この男にとって、結婚人生墓場なのだろう」と思える男性プロポーズされたことを祝福します。

でも、この場合でも、妻は、子供産む機械にすぎない。

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子供産む機械がよいのか、夫の踏み台が良いのか、悩ましい問題ですね。


まあ、その代償として、大半の女性は、夫の人生を食い物にするわけだが

2011-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20110405155448

個人的には出産人生墓場だと思っている。

いや、良い意味で。

自分人生捨ててでも子供育てる、みたいな。

かわいくない子供だったら文字通り墓場だし。

結婚人生墓場

職場の40代既婚男性に「複数の女性と付き合ってきたなかで、今の奥さんに決めた理由は何ですか」と聞いてみたら、「タイミングですよ」と即答されたことがある。

そのタイミングが何歳で来るのかは個人差があるのだろうけど(人によっては一生来ないのかもね)、

遊びたい!好き放題自由にやりたいお金も全部使いたい浮気しても慰謝料払わなくていいポジションって最高!という気持ちと、

老後が孤独なのは嫌だな、最近自分可能性の限界を感じる、自分遺伝子子供という形でのこして子供の成長を見守ることで希望を感じたい、という気持ちのバランスが、

加齢によって逆転する瞬間がその「タイミング」なのかもしれないなと思う。

DQN結婚が早いのも、DQN男ほど中学くらいからやりたい放題生きて、20歳過ぎる頃にはすでに「もう無茶をやれない」という心身の衰えを感じ始めていて、

主役の座を中学生高校生に譲っていることが大きいんじゃないかと思う。

から私は女ながらに結婚は男の人生墓場だと感じている。

男の人生は、若い母親愛情に守られながら、若い父親の姿を力強く感じ、自分可能性と未来無限に信じられた少年期がピークだと思う。

から結婚自体というより結婚したい気持ちになる「老成」なり「諦め」「少年性の喪失」こそが男の墓場なのだと思う。

昨日プロポーズされました

2011-03-25

不謹慎震災の話。災い転じて福となしちゃった場合ケーススタディ

私の心の中にはいつも1人の救世主が住んでいます。

最初救世主小学校1年の時に好きだった初恋の相手。

直接想いを告げることはできませんでしたが、いつも一緒に遊んでいました

時を経て、高校生となり、一丁前に恋人ができ、すっかり忘れていたつもりでした

ところがどっこい、ある日突然私の前に現れて、楽しかったこと、

私が楽しくなれるようなことを次々としては去っていきました

そう、夢の中で。


あれ?なんでこの人の夢を見るのだろう?

とっくに忘れていたつもりだったのに。

しかも付き合っている彼氏もいる。

その後も何度か、突然夢の中に顔をだしては

心がポワンと温かくなるようなことを次々としでかして去っていきます


もしかして恋愛感情が残っている?

20歳にさしかかろうというまだ若かったその時期には、

そんな風に考えてみたりもしました

学生から社会人となり、大人の階段を徐々にのぼり始めていました

その後私は

いろんな人と出会い、いろんな人に恋をし、

いろんな人に失恋し、玉砕して自暴自棄になって暴れたりとか

その時その時を全力で

楽しんだり苦しんだり泣いたり笑ったりしながら過ごしてきました


そしてある日、

初恋の相手は夢にでてこなくなりました

その代わり、今後は別の人が現れるようになりました

その頃私は、ブログを立ち上げ始めた時期でネットという世界に興味津々。

たまたま呼ばれたオフ会で呼ばれて出会った相手です


その日は普通に会話をし、

なんか一発殴られたような気もしました

気にせず帰ってきました

その後、メッセンジャーを通して文字で会話をするようになり、

PCに疎かった私にいろんなことを教えてくれました

この時も私には、付き合い始めたばかりの彼氏もいて、

とりたてて恋愛感情などというものを感じていたわけではな

ただただ、会話するのが楽しくて

毎日のようにとりとめのない話をしていたと記憶しています。

それどころかいつも怒られてばかりで

というか怒らせるようなことをしでかしている私が悪いのです

3回に1度は平謝りに謝まってばかりだったと記憶しています。

その人が突然夢の中にでてくるようになったことは

本人には口が裂けても言えません。

言ったら「きめえよ、ふざけんな」と怒られること確定だし。

また、言ってしまうことで大事な何かが壊れてしまうような気がして

私だけの秘密にしておくことにしました

ところがそんなことに気を遣うなら、もっと別のことに気を遣えよ

と、自分自分を責めてあげたいことをやらかししまったのです

酔った勢いで、決定的とも言えるべき非常識な暴挙にでてしま

完全無欠に怒らせてしまいました

平身低頭で謝ったのですが、許してくれる気配がまったく感じられず

ただただ自分のバカさ加減に愛想をつかすしかなかったのです

なのに夢の中には相変わらずちゃっかり現れてくれちゃって

目頭が熱くなるようなうしいことをジャンジャンやらかしていくのです

から目覚めると、指先までほわっと温かくなっていて

冷え性の私に、とても良い血行状態を与えてくれるのです


定期的に夢の中にはでてきてくれますが、

実際には二度と話すことができなくなってから2.3年の月日が流れていました


そしてあの、忌まわしい311東日本大震災が起きたのです

揺れがきたとき、私は忘れ物をとりに自宅に戻っていました

このままちょっと一休一休みと、

パソコンで少し作業をした後、

ベッドに横になり漫画を読み始めた時にそれはやってきたのです

ひとりぼっちだった寂しさと、6階という高所にいた為、

体感震度と心の震度ボルテージは最高潮に達し、

「私、淘汰されるかも・・・今度は私の番だったんだ」

という諦めと恐怖が入り混じった感情がドクドクと体中を駆け巡りました

棚という棚から物が飛び出し、食器や鏡が割れる音が響き渡ります

ニュージーランドで起きた震災の家屋倒壊をニュース映像で見ていたので

あの映像が頭の中でシンクロしていきます。このマンションは突貫工事で建てたっぽく

新築なのにあちこちに不具合がでていて、やばそうな気配を醸し出していたかです

揺れが若干収まったあたりで、外の様子を見てみることにしました

目の前の家の瓦屋根の瓦が全て落ちてしまっています。

そして子どもの泣き声が。

2つ先の部屋に住んでいる子でした

ドアが開いていたので様子を見に行くと、お母さんが放心状態で立っています。

小学生女の子ワンワン泣いている2.3歳くらいの妹を抱きかかえるようにして立っています。

とりあえず避難だ!

幸いにもここは避難所である学校の近くです。その親子と一緒に避難所に向かいました

一人じゃないっていうことで、私自身がすごく救われた気分になりました

避難解除がなされ、深夜頃、自宅に戻ることができました

倒壊すると思い込んでいた建物も無事のようです

「私まだ、生かされてる」

再びベッドにごろんと横になり、ここで私の走馬灯はまわりはじめました

私がかかわってきたいろいろな人が頭の中をめぐりはじめました

「そういえばあの人、大丈夫だったかな?」

真っ先にあの人のことが浮かんできました

今更連絡なんてできないしなー

ていうか私のことなんでもう記憶から抹消されてんだろうなー

なんて思いながら、幸い停電することもなかったので

電源がついたままのパソコンの前に座りました


ここで奇跡が起きたのです


つなぎっぱなしだったメッセンジャーから着信メッセージ

なんと、あの人からのメッセージ地震直後に入っていたのです

「だいじょうぶだったか?」

たった一言

たったその一言だけなのに

これほど心にズシンと響いた言葉はありませんでした

この付近では震度6強記録したそうですが、それ以上です

不謹慎ながら「揺れといてよかった」と思ってしまいました

まだオンラインっぽかったので、

「だいじょうぶだよ」とメッセージを送信してみました

なんと返事が返ってきました

2.3年ぶりの会話です

お互いに地震直後の状況を軽く報告しつつ

最後

「生き残れたら、また一緒に遊ぼうね」

と送信しました

「絶対やだ」

と帰ってきました

うんそう、いつも通り。昔と変わらない反応です

夢の中でいつも助けてもらっていること、

すごくごめんなさいってずっと思っていたこと

言いたいことはたくさんあったけど、

あえて言う必要はありません。

あの人にとっては、ほんの軽い気持ちで声をかけてくれたのでしょう。

けど、その一言にどんなに救われた思いがしたか、

全てを伝えてしまうにはあまりにも重過ぎて、

逆に負担をかけてしまうことになります

というか

ほどけかけていた紐が、またかろうじて繋がったのに

またほどけてしまいそうで本当はすごく怖かったのです

でもだけど

心って結構通じるんじゃね?

って思えたことは事実だし、

「災い転じて福となす」って結構本当のことなのかもしれません。


何気ない一言が、実は誰かを救っているかもしれない。

知らず知らずのうちに、誰かを救っているかもしれない。


人は誰もがどこかで誰かの救世主になっているのかもしれません。


私の心の中の救世主は、そんなことはまったく我関せずに

今日もどこかでまた別の人を救っていることでしょう。

この気持ちってどう表現したらいいのだろう?

恋愛のそれとはまた別かもしれないし

やはり潜在的に想いがあるのかもしれない。

心が勝手偶像崇拝しているみたいな感じ?


ということで、このお話は一生自分の中にしまっておくつもりでしたが、

かに言わずにはいられなくなってしまいました

今回の大震災で心を病み

生きる目的とか、生きる意味とか

あれこれ考えすぎて思い悩んでしまっている人に送りたいと思います。

人と人は繋がっていて

自分の意思とは裏腹に、人を救ったり、時に人を傷つけている。

それ自体が人が人として生きていく存在意義なのである

ということを。

で、結局、私はその救世主にいつかその話をするのかって?

これ以上嫌われると本当に口も聞いてくれなくなりそうなので

それだけは墓場まで持っていく所存でございます。

2011-03-17

さあ今こそ買うのだ

買って買って買いまくれ

買って買って買いまくれ

買って買って買いまくれ



日経平均9000円にのるかそるかの水準なんて何年ぶりかの安値



配当利回り5%の株だってそこらじゅうに落し物のように落ちている



純資産が100億なのに時価総額がその半分なんて株もたくさんある

50億円が落し物のように落ちている



今までは政府がバカで日銀が保身だったか株価は上がらなかった



しかし今度の地震大義名分ができた

バラ撒け バラ撒け バラ撒け バラ撒け バラ撒け バラ撒け 

東北の死者の墓場に大量の公共投資をバラ撒け

手向けの花束のように札束をバラ撒け

国債を誰が買うかなんて気にすることはな

日銀様が大量に資金をブタ積みしてくれている


弱気な奴は買えない

強気過ぎる奴は皆今週に入って退場させられた

残っているのは空白

売りも買いも薄いこの空白を勇気ある投機家が買いまくれ



年収1300万で都心中枢にマンションを買った

住宅ローンを何千万も抱えているけど同じくらいの額の株式投資をしている

今週に入って500万損したが500万ぶち込んで200万儲かった

総力で買いに行く

今年の大晦日には住宅ローンを繰り上げ償還して港区タワーマンションドンペリで祝杯だ



いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ

いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 

いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 買いまくれ 

2011-03-10

なぜ炎上した人が必ず「twitterは議論に向かない」っていうのかわかった

今まで自分は「twitterは議論に不向き」という発言についてコミュ力ない奴が言い訳で言ってるだけだと思ってた。

なぜなら友達との会話に限らず知らない人とでも、ちゃんと対話できていたから。

むしろtwitterなかったら対話出来なかったであろう人とも普通に話ができたりして、むしろ可能アリアリじゃないですか、と考えてたくらい。



甘かった。炎上してからはじめてわかった。




和やかに会話してる間はいいんだ。

でも、いざ口論になったり、話がもつれたとき、状況が一変してしまうのだ。

話してる相手のフォロワーとか自分フォロワー非公式RT使って会話にガンガン割り込んでくる。

そのうち、自分フォロワーでもないやじうまがよってきて無責任かつ感情を煽るような発言を無遠慮にわめきちらす。



自分タイムライン面白いくらい荒れまくり。多分向こうもそうなってたはずだ。

ただでさえ、会話がスムーズいかず多少ストレスたまってるのに、twitter自体の使い勝手も異常に悪くなる。

冷静になって対話したくとも、相手のツイート見るためにはどうしてもそいつ以外のむかつくコメントも一緒に目にせざるを得ない。

これでイライラするなとかいわれても難しい

しかも冷静になるために場を離れようとすると、向こう側の人間が「逃げた」だの「返事してくれないんですか」だのわめきだす。

その頭悪いコメントに対してこっち側人間がそれに反応して俺の思ってないことを俺の発言として語りだしてまた場を荒らししまう。

(君らのやってることはまさにマスコミレポーターとかコメンテーターなわけだが、どの面下げてマスゴミとか言ってるのかかがみみてこいとか言いたくなるね)




さらに進むと、もうホンマにただのやじうまが「あほ」とか「死ね」とか「うざい」とか「無言でただ非公式RTだけ」みたいなのもでてくる。

そういう状態でも事態収拾というか、とりあえず当事者同士の話はさっさと片付けて撤収しようと無駄努力を2時間くらい続けたあとふと思った。

「もーどーでもいいわー」「はいはいtwitterは議論に向かないツールでしたごめんなさい」と。

で、眠くなかったけど寝るって書いてほんとに寝た。




起きてからTLを確認してみた。

3~4人の粘着を除いては消えており、相手からは「あれちゃってごめんなさい」ってDMが来てた。「こちらこそすみませんした」って返信した

なぜか粘着野郎が愛しくなって、そいつらだけはブロックせず、他のやじうまどもをかたっぱしかブロックしたあと、何事もなかったように「おはよう」ってツイートした

それで終わり。



twitterあかんね。ぜんぜんあかんね。ルール無用すぎて議論とかできんわ。

ケンカしてるときに、遠巻きに見るんじゃなくて、ガンガン非公式RTで図々しく割り込んできて、その自覚がないバカがいる限り、議論とかムリ。

いままでtogetter炎上してる奴見て、なんで当事者以外の奴にいちいち返信で喧嘩打ってさらに炎上さすんだとかバカにしてたけどアレは腹立つわ。

非公式RTも今まで肯定的に捉えてたけど、使う人間がバカだとすげえ迷惑だし、そういうバカが多そうだから今日から否定的に捉えることにする。

あと、ルールも個人が自由に運用すればいいよ派だったけど、「とらぶる時だけはルール必要だよ派」に変更することにする。






追記

あああ、またまなめりっとの人がブコメスター付けてしまった。

しかも「なにいってんの馬鹿かこいつ」的ニュアンスなやつに。

今んとこまだ自覚できてないけど多分的はずれなことを言ってるから相手にする価値ないと思われてしまったんだな。

ってことでこの記事もまなめりっとの関連記事の墓場行きで終わりです本当にありがとうございました

あのリストROM側の人には便利なんだろうけど、記事書いた側としては十把一絡げ扱いでちょっと悲しいのよね。

今まで四回墓場送りにされてるけれど、一度でいいからはうす側に入りたい万年二軍選手です精進します。



maname さまざまなめりっとは墓場じゃないよおおおお

まなめさんからコメントきたんです!!!!やったー!!!

それがどのような内容であれすごく嬉しい!!!

いつもしばらくしたブクマ整理で不要なブクマ消されるの知ってますが出来れば残しといてくださると嬉しいです

墓場というのはまなめさんに紹介する価値があると思ってもらえる記事かけるようになりたいという自分の覚悟みたいなものです

これ読んだ人は、さまざまなめりっとにネガティブな印象を持たないように!約束だよ!

ちなみにこの記事は実際にはうすで扱ってもらう資格がないと思うので、泣き言なんか無視して墓場送りお願いします

アンチのように受け取られたかもしれませんが、まなめはうす大好きっす。いつも見てるっす。


追記される前にはてブ消してしまった…サーセン…。

消えてるじゃないですか!!!やだー!!!

2011-03-07

cloudnoteがウェブサービスとして未完成過ぎて閲覧する気も使う気も起こらない

2chからデータを取得して

編集するUIを作って

データベースに保存する機能ができたかリリースした

というやっつけ仕事感がすごい。

コンテンツへの導線が右欄の「新着」(4つしか表示されない)と「コメント数が多いまとめ」(4つしか表示されない)とその一覧くらいしかなく、

あろうことかRSSすら無いためエントリーを作っても流れていくだけで誰も捕捉できない状況である

しか名無しで保存可能なため(cloudnoteという名前で保存される)どんどんゴミコピペが生成されそして流されていく。

サイトの中で如何にしてにユーザを飽きさせない、リンクをたどっていける仕組みを作るか。これが全然できていない。サイトの離脱率がすごいんじゃないかな。

そんな状態なので当然それぞれのエントリブックマークされず。墓場のようだ

http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=eid&url=http%3A%2F%2F2ch.cloudnote.jp%2F

リリースされてしばらくはコメント名前欄でjavascriptを書いて遊べた(今では改善されている。対応の速さを褒めたいところだがこんなのは最初から対応されているべき)。

togetterだってリリース時はもっとマシだった。

このままゴミコピペが生成され続けてそのうち飽きられるんじゃないかなこれ。

もっとマシなサービスだったら、少しでも見直してやろうかと思ったところだがこれがホットココア技術力の限界なんだろう。


とりあえずcloudnoteみた感想。もう見ない。

2011-01-30

増田低学歴の領土になっている

http://anond.hatelabo.jp/20110128164526

あーこれさあ、

たとえば匿名ダイアリーって、

明らかに低能や低学力低学歴(厳密にはそれぞれ別のことである、為念)が多いよね。

はてなの中で比較して。




匿名からちょっと無責任に悪いこと書く、みたいなのとは別の

明らかにあたまがわるい

つまり、

申し訳ないけど、

学歴が低く、

それだけではな学力も低く、

更には知的意味での態度もよろしくない、いわゆる低能、

たいな人の割合がかなり高い。




個人的に最初に触れたはてなサービス匿名ダイアリーだったから、

その絶望的な頭悪さには驚いた。

特にレスポンストラックバックがひどい。

(多分、あたまわるい人は自説の開陳や三行以上の作文が苦手だから主にトラバ活躍する)

元増田に賛同するにせよそうでないにせよ

誤読脊髄反射に文脈の取り違え、国語力の墓場といえるようなツリーが散見された。




「え?なにこれ?はてなってこんなレベルなの?」と思ったけど、

ふと記事の右下の赤い文字に気付いてクリックしてみたら

その先にあったはてなブックマーク世界では

ずっとまともな国語力の人達が妥当に元増田を読解して批判をつけている。




つまりなんていうか

はてなの中で明らかな学歴の断絶を見た。匿名ダイアリーとそれ以外に。

繰り返すけど、匿名から無責任なことを書きがち、みたいな性質の話とは違う。

ぶっちゃけて言えば2chより頭が悪いしか思えないやりとりが増田では見られる。




これって絶対、増田ゲットー的な役割になってるんだよね。

増田以外のはてな知的弱者ガッツガッツン行くところだから

学歴とオツムと両方よろしくないような人は増田以外のサービスは怖くて使えない。

自然に低能特別区たい増田に集まってくる。

はてなの中で、殴られ殴られした馬鹿が最終的におしこまれるのが匿名ダイアリーなんじゃないだろうかと。





勿論増田利用者が全員その手の人だってわけではな

まともな頭の人が広場としての機能を利用して自説の開陳に来るだとか

まともな頭の人が匿名の利を生かして不埒なことを書きに来るだとか

そういう「本来の使い方」もされている。

2011-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20110110022033

30代で一度も男性と付き合ったことがない、なんてのは相手にしたくないなあ。男性に嫌われる性格に違いないと思うから

経験人数が多いのは別に問題ない。同じくらいだ。こっちも。

不倫だねえ。問題は。つまり「社会的規範意識が弱い」わけだから借金」とか「近所づきあいが出来ない」とか、いろいろと社会的に揉めそうな要素を抱えてそうだ。生涯の伴侶には社会人としてまともを求めたい

とにかく、どちらの場合も「打ち明けてきた段階」でアウト。

考えてみ。彼女過去男性遍歴なんか聞きたいか? そんなことは墓場まで持って行け。そのくらいの自我がない女性はいらん。

2011-01-02

有村悠犯罪予告詳細

b:id:wanderingdjさんがy_arimにblockされていて見られないようなので有村悠の発言を置いておく。



幼女性的ないたずらして人生終わらせたいな!

http://twitter.com/y_arim/status/11097264160

死ぬ前に宅間守加藤智大並の大惨劇を引き起こしてやりたい

http://twitter.com/y_arim/status/11097556646

.@japon3 それを生きがいに生きるってことは、きみをぶっ殺すことを生きがいにするってことなんだよ! 日の丸野郎!

https://twitter.com/y_arim/status/11098627433



・番外編

母の足音がする。いま部屋に入ってこられたら刺し殺しそうだ

http://twitter.com/y_arim/status/12544422835130368

自分母親がここまで呪わしい言葉を吐く存在であったら、ぼくは今頃親殺しの咎で刑務所に入っているだろう。

http://twitter.com/y_arim/status/21086766479974400

何故木製バット持ち出して母に対抗しようとした小3のときにそのまま撲殺しなかったのか、悔やまれる

http://twitter.com/y_arim/status/24495295164

でなければうちの猫を殺してやる!!!

http://twitter.com/y_arim/status/12997119195480064

したいほど憎い相手は腐るほどいるが、死刑制度には反対だ。

http://twitter.com/y_arim/status/24132390899

いい加減にしろよiPhoneアプリ殺すぞ

http://twitter.com/y_arim/status/8881505111642112

人によっては暴発するかも。つまり、リアル幼児に手を出す。自殺するひともいるでしょう。性欲の薄いひとなら墓場まで持って行けるかもしれないけど、男性自慰できないと大変だしなあ。ぼくは日に3回も4回も抜くので、児童ポルノ切手したらかなり苦しい思いをすると思う

http://twitter.com/y_arim/status/18215891695050752

ただ、間近で女の子の裸やおしっこを見られた3〜4歳のころからずっとそういうのが好きというのはもはや動かしがたい気がする。数年前に一度児童ポルノを断ってみようとしたことがあるけど、我慢できなかった。

http://twitter.com/y_arim/status/18231032599810048

「実写児童ポルノ被害者がいるので取り締まるべきだが…」という主張を最近もさんざ目にした。心から同意できるだけに、「じゃあおれはどうやって性欲処理したらいいというんだ!?」という思いは膨らむ一方だ。「手だけは出さないから見逃してくれ」というわけにはもはやいかいし

http://twitter.com/y_arim/status/18196271927926784

元ネタリアル全裸幼女から止むを得ない……

http://twitter.com/y_arim/status/24743201864

ろくな技量もなく、そもそもタブレットでまともな線が描けないくせに赤ペンスレで他人の絵に修正入れていた過去がある。当然、自分の入れた修正はデッサンがおかしかった。そのことをスレで指摘されると「やはり精神を病んだおれはプロはなれない、自殺したい」とわめくという最低の有様だった。

http://twitter.com/y_arim/status/26808737029



他にもあるはずだから誰かよろしく。

http://anond.hatelabo.jp/20101024023220

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