はてなキーワード: ハリーハウゼンとは
これがほんとにできない
信じられないくらいにできなくなってる
ブログでも論文でも、一まとまりの文章の中にそのキーワードが全て含まれていれば必ずヒットしたようなことが全く出てこなくなっている
例えば
まずレイ・ハリーハウゼンを最初にだせよ
「ストップモーション」で「スケルトン」 と言ったらレイハリーハウゼンだろ普通は
なんで
"MineCraft Stop Motion マインクラフトストップモーション"
"youtube ポーズスケルトン【学校セット】 アクションフィギュア紹介 "
"15 件の「「スケルトン」のアイデア探し - Pinterest」のおすすめ"
だれがこのキーワードでそれを探すんだよ。
仰りたいことは分かります。
そのうえで言い得て妙だと思った加藤ヨシキさんのツイートを引用します。
>「王様は裸だ!」と指摘するのは良いと思うんですが、「王様は裸だ!あの小さなチンポを見ろ!あれじゃ奥さんも浮気してるに違いないぜ!」まで行くと王様も怒りますし、なんなら奥さんも怒りますし、周囲もなぜそこまで言うのかと思いますよ。その辺の常識と礼儀は大事にしていきたいです。(https://twitter.com/DAITOTETSUGEN/status/699594948023181314)
どこの世界でもそうですが、ニワカは古参に叩かれます。文壇もスポーツも音楽もゲームも仕事も。先達に比べて知識量のない人が偉そうにしているのは、鼻につくものです。でもね、ニワカが罪を犯しているのかというと、そうではないと思うのです。
誰を傷つけたわけでもない。知識がないだけでアホ呼ばわりされて叩かれるのは、やはり不当で止めるべき悪習だと自分は考えます。(腹が立つのは仕方のないことなので、出来るだけそれを外に出さないよう心がけたいと思っています)
映画を羅列する意味についても、大本の記事には「私を構成する9枚のCD」という企画を読み、それに着想を得たとあります。羅列に意味はないとしても、実際に彼は羅列を面白いと感じ、それで記事を書いた。それは好みの問題に過ぎません。(パク……インスパイアの問題はあるかもしれません)タランティーノもよく映画ランキング作りますが、世界中のファンがそれを待っています。年間200という数字が、タランティーノの存在同様の重みを持つかどうかは、それぞれの読者が判断することです。
アクセス数云々も「彼には認められる記事が書けなかった」という意味で使用した表現で、記事の存在意義を問題にするのなら「彼には意義ある記事が書けなかった、以上」というつもりで書いたものです。分かりにくかったら申し訳ない。
興行作品である映画は、観客に受けるような工夫が(当たるかどうかは別にして)散りばめられています。玄人好みのものと、一般層に向けてのものはあるかもしれません。世間的に受けたとは言いづらいヱヴァQですら、スタッフロールに入った劇場内に立ちこめるポカーンとした雰囲気に「エヴァはこうじゃなくっちゃ!」とワクワクした人(悪いファンかもしれませんが)もいます。
表現規制の話とかでもよく出てくる話ですが、名作を排出するためには、ピラミッド的に数多くの駄作を必要とすると自分は考えています。多産とクオリティは比例の関係にある。ファッション映画が増えたからといって、名作が駆逐されるわけではないと自分は思います。ジャッキー・ブラウンがそうだったように、ファッション層ってすぐ離れちゃいますしね。ファッション的な映画がって、増えればすぐさまダサくなるし。(ホイチョイ製作映画も廃れました)カウンターカルチャーはそういう土壌で出てくるので、良い映画が無くなってしまうことはないと自分は思います。
表現の自由について論じたいわけでもなく、「老害になるのはよそうぜ」って自戒を込めて言いたいだけなんです。感じたことを書くことは自由で、だから自分も感想を書いているわけです。(『高知名度の漫画をドヤ顔で薦めてくる男たち』までくると「分かるわー」としか思えないんですが)
なのであなたが(なのかな?よく分からなくてすみません)そうなさったように、「自分はこういう記事の方が面白いと思う」って記事を書くのが、よりスマートでクリエイティブで良いと思うんです。でもそれにハリーハウゼンの名前も出てこないアホが……って言われるのはイヤじゃないですか。その名前を出さない理由だってあるかもしれないし。
より良いものを出せばいい。その方がかっこいい。他人を貶める必要は無いと思うんですよ。
と自分はやっぱり思うのです。世の中そんなもんでしょというのも分かるけど、やっぱりそれは変だと思うのです。前に書いたのと主張はほとんど変わらないから、蛇足だし、理解し合えるとは思わないんですけど、書かせていただきました。
あと話は移ってしまうんですが、「キル・ビルが駄目な人」ってのが自分にドンピシャで(文章からそういうにおいがしたんでしょうか?)、あれの楽しさが全然分からなくって……そうするとタランティーノ好きの話にも入れなくって、たいへん寂しい思いをしています。
パシフィック・リムを7回見た。
それが多いのか少ないのか、私に判断できない。
まだ1度も見ていない人からすれば「なんでそんなに見てるの?!」と驚かれてしまうだろうし、
毎日のように映画館に足を運んで、10回、20回と見ている人からすればたいしたことないだろう。
なぜ7回見たのか。
おじさんたちは嬉しそうに私の知らないたくさんの映画の話をしてくれた。
俺らにとって「スター・ウォーズ」は本当に特別な映画なんだよ。
エピソード4でXウイングが画面の外からビューッと飛び出してきて
デス・スターの表面を進んでいくところが衝撃的にかっこよくて、
映画館の座席でひっくり返りそうになったくらいだ。
おじさんたちのオススメで、私は「スター・ウォーズ」を生まれて初めて見た。
そういえばこれの続編が中学生くらいのころに新作映画のラインナップに入っていたのを覚えているけれど、
ストーリーは面白いし特撮もかっこいいけれど、2013年に生きる私が見ると、何か物足りなく感じる。
Xウイングのシーンも、ぼんやりしているうちに一度見逃したくらい印象に残らなかった。
また、おじさんたちは別の映画の話もしてくれた。
レイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」は本当にすごかった。
骸骨剣士との戦いのシーン、あれは1コマ1コマ人形を動かしながら撮影していて、
ハリーハウゼンはあのほんの短いシーンのために何カ月もかけたんだ。
あんな映像、俺らは見たことなかったから、めっちゃかっこいい!って興奮したんだ。
その話を聞いてさっそくそのシーンを見てみた。
確かにすごい。
当時は特撮技術でもって労力をかけて作ったんだと思うと本当にすごい。
でも、こんな映像を見たことがない、ということはなかった。
CGモデルをモーションキャプチャで動かせばすぐできるんじゃないかな、とか。
もしかしたら無料ソフトのMMDを使って作れてしまうかもしれないな、とか。
「当時」としてはすごかったのかもしれないけれども、
私はおじさんのわくわくした気持ちを共有することができなかった。
そうこうするうちに、おじさんたちと会う機会はなくなってしまった。
それまでに、私は初めて「ゴジラ」を見たし、
「海底軍艦」や「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ」も見た。
どれもそれなりに面白かったけれど、退屈なシーンも多くて、
おじさんたちみたいに「すごい作品なんだ」と声を荒げることはできなかった。
それからしばらく経って、「パシフィック・リム」が封切になった。
おじさんたちはこの映画も楽しみにしていた。
じゃあ、それなら、見てみようかな、と仕事帰りに映画館に足を運んだ。
面白かったし、わくわくした。
イェーガーは個性的だし、キャラクターたちは魅力的だし、ストーリーに無駄がない。
いいものを見たな、と思った。
調べてみると、ぎりぎりまだIMAXを上映中の映画館を見つけた。
立ち寄りで直帰します、と言い置いて会社を出て、IMAXでの上映を見た。
すごかった。
空いている座席がなくて、巨大なIMAXのスクリーンのかなり前のほうの席にいた。
ベケット兄弟がイェーガーに乗り込み、イェーガーの頭が落下してボディと合体する。
そして重厚なロボットが音を立てて夜の海に乗りこんでいき、怪獣と殴り合いのバトルを始める。
海に取り残された線上の人たちがジプシー・デンジャーを見上げたとき、
私もまたその巨大なロボットの姿を見上げていた。
映像の技術的なことはわからないし、冷静に考えれば設定に不思議なところもある。
でもそんなことは関係ないのだ。
悪い怪獣と殴り合いをするジプシーを拳を振り上げて応援したくなる。
この作品の魅力を説明しとうとしても、自分の興奮が先に立ってしまって、
「とにかくすごい」「楽しい」「わくわくする」こんなふうにしか表現できない。
おじさんたちは言っていた。
ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」のエピソード6を撮影したあと、
自分が撮りたいものを撮るための技術が出来るまでに10年以上待ち続けたそうだ。
おじさんたちが大好きな、昔の映画を悪く言ったり、バカにするつもりは全くない。
でも「当時新しかったもの」が時を経て古く見えるのは仕方のないことだと思うから、
こう表現することを許してほしい。
一番新しいものが一番すごくなきゃいけないんだ。
「こんなの見たことない」って思わせなきゃいけないんだ。
私は「パシフィック・リム」みたいな映画を見たことがなかった。
映画にこんなに興奮することも初めてだし、同じ映画にこんなに何度も足を運ぶことも初めてだった。
たぶん私は「パシフィック・リム」のおかげで、おじさんたちの気持ちをわかることができたと思う。
それから3Dで見たり、吹き替えで見たり、2Dではどうか試したくなったり。
立川爆音上映会のチケットも必死で取ったし、池袋絶叫上映にも行った。
この連休は遠征して4DXを見に行く。
次にあのおじさんたちと会うことがあったら、「パシフィック・リム」の話を振ってみようと思う。
それで私のわくわくした話も聞いてもらいたい。
たぶんおじさんたちは、「あのシーンはあの映画のオマージュ」「あの設定はあのアニメが元ネタ」
なんて話をいっぱいしてくれるんだろうな。
インスパイヤ元 - アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のアートアニメオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「アートアニメオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないアートアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アートアニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアートアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うような2時間アニメは避けたい。
できれば15分、長くても1時間にとどめたい。あと、いくらアートアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。映画好きが『くもとちゅうりっぷ(1939年)』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
アートアニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ハリーハウゼン以前」を濃縮しきっていて、「ハリーハウゼン以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さもちょうど良いし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「アートアニメオタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、JAXA監修のオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもメリエスな
の彼らをはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「椅子のデザイナーだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、アメリカならCGになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「話の話」、「頭山」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるバルタの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも55分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
笛吹き男の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがトルンカやゼマンだったらきっちり20分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて55分を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえバルタがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でマッケイ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
昭和よりも前の大正時代の段階で、ジャーナリズムの哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が1枚1枚 紙で描かれて作られていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアートアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるセルとかCGで作られたアニメしか知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ヤンの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない罠を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ『死刑執行中脱獄進行中』は「部屋」以外ではあり得なかったとも思う。
「何者かに仕組められた罠から逃れられない」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は「部屋」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう難解小説風味の内容をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
ハリーハウゼンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。ズビグニュー・リプチンスキの「タンゴ」が入ってないのはおかしい!とかね。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記