はてなキーワード: 鉄腕ダッシュとは
では、その形の悪い野菜も、形の良い野菜と「同じ値段で」買ってくれますか?
形が悪いんだから、安く売るべきだし、農家側にもメリットがあるだろうという意見が多いと思う。
鉄腕ダッシュの0円食堂を見ていて思うのだが、農家の側からすると、規格外やはぶきを安く売ることによって、本来のちゃんとした野菜が売れなくなってしまったら大打撃である。野菜作り自体が続けられなくなり、規格外ですら作れなくなってしまう。
かたや消費者としては、形の悪い野菜は、安ければ買う、あるいは、品切れの時など他に選択肢がなければ仕方なく買う、という程度だろう。値段が同じであれば、形の悪い野菜を積極的に買う理由はないと思う。ましてや、自動機に入らなかったり、余計な手間がかかるのだから、同じ値段で買う人はいないだろう。
だけど、生産段階だけみれば、形の良い悪いによってかかる手間はそれほど変わらない。
形の良い野菜を作るために手間をかけることはもちろんあるが、その過程ではぶきが出てくることはあるし、出てくるはぶきは手間の差によって生まれたものではない。だから、規格外の野菜を安く売る理由はない。
流通させるためには、さまざまな形に合わせるために余計な設備が必要になり、形の悪い野菜はむしろ高価なものになってしまうだろう。
とりあえずスーパーでフルーツトマトと比較用の普通のトマト、キウイフルーツを買ってきて果汁を絞った。
検体 | 糖度 |
---|---|
普通のトマト | _4.2 |
フルーツトマト | 10.0 |
キウイフルーツ | 11.0 |
サッポロラガー | _4.8 |
ホワイトホース(希釈前) | 11.4 |
梨(幸水) | _9.8 |
桃(産地失念) | 10.0 |
※8/20梨と桃を追記 。ちなみ店頭ではそれぞれ11.◯度(小数点以下は忘れた)と表示されていた。
一体、糖度計の数字は何を表しているのだろうな
追記)
糖度計の内部構造はどうなっているのですか。教えてください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10108433525
よく自炊をされるなら、バジル、大葉。植えた年に収穫ができます。パセリとかと一緒に混ぜ込んで、食用ハーブの寄せ植えもジャングルみたいで素敵。
観賞用なら、朝顔はいいですね。朝顔と夜顔を混ぜると、昼夜お花が見れるので幸せです。夜顔はいい匂いがします。朝顔は大輪タイプと小輪タイプがあるので混ぜても素敵。
長年愛せるならば、私はアスパラガスもおすすめします。地下の株を育てて五年くらいかけてやっとお店の細いアスパラガスくらいのサイズが収穫できるようになります。はじめのうちは我慢ですが、栄養を作るためにワサワサに茂る葉っぱが風に揺れて夏らしく、脇を通るたびに触ってしまうのでもはや家族のような気持ちです。深めの丈夫なプランターがおすすめ。
楽しい植物は、オジギソウ、ワタ、ホオズキ(食用あり)、フウセンカズラ、ホウキ草でしょうか。実ったものをいただいて何かを作ると、動物として生きてる実感が湧きます。鉄腕ダッシュが先週ハゼから蝋燭作っていましたね、あの感覚です。
春先は挿し木もできます。気に入った木っぽい枝を花屋さんで見つけたら一つ買って、新芽部分を切って土や水に挿すと根っこが出ます。親と同じ気質を持つので、枝ぶりがいいのをよく選んでください。春はいいですね!
https://www.iris-gardening.com/onepoint/
たしかここで去年、江戸時代の朝顔研究家さんたちから、茶色い朝顔の種を破格で買えました
http://www.hama-midorinokyokai.or.jp/midori/details/-392017.php
24時間テレビに始まり、笑ってコラえて、ケンミンSHOW、行列、さんま御殿等々……。
日テレ好きな家族がテレビのチャンネル選択権を有している関係で、嫌でも目にする機会が多くなっている。
日テレの番組は面白い。しかし、どの番組も優等生といった感じで、ある意味で安心して見ていられるが、教科書的な規範を逸脱することは(あまり)ない。
安心感というのは、日本社会での常識や価値観を、ちゃんと踏まえているということに尽きる。
ケンミンSHOWはそれが顕著で、特定の地方公共団体に対する印象(常識、価値観)を軸に、番組が展開する(Ex:北関東は云々)。
しかし、その常識や価値観そのものにメスを入れるようなことはしない。むしろ、偏見ともいえる常識を再強化しているようにもみえるのだ。
偏見を改めようとする試みも、「常識的に」行われるだけで、揺るがされることはない(Ex:しかし、素晴らしい特産物が云々)。
さんま御殿でのトークも、さんまの司会芸としてパターン化されており、ゲストの話はさんまの理解できるレベルに調整され、結果としてわかりやすい常識や価値観に変換されて終わりである。
多くの番組が教科書的過ぎて息苦しい。教科書的に振舞えと言われているように感じるのだ。世間一般の感覚に従えと。
24時間テレビでの障がい者は清廉であれという言外のプレッシャー。日テレの番組は、世間一般の感覚を強化する。
デブはデブらしく、ハゲはハゲらしく、イケメンはイケメンらしく。
日テレの番組は、そのズレを許さない。許されるのは、わかりやすい教科書的なズレだけだ。