はてなキーワード: 細胞とは
micro-TESEという手術を行い、精巣から精原細胞を取り出し病理解剖までしてもらったが、今後自分たち夫婦の子どもを作れる可能性はゼロだと分かった
名前はこんな感じがいいななんて想定して
だって2人がお互い好きだったんだから、一緒にいたいんだから結婚したんでしょ
わたしは夫にそう声をかけて
自分のことも納得させた
そこからもう数年経った
悔やんでいる内容だった
今でさえ、大した趣味もない
仕事に行って帰るだけ
この繰り返し
友人も、友人の子どもたちも大好き
一緒に遊んでくれると素直に嬉しい
わたしのほうが遊んでもらってる気分になる
とんでもなく虚しい気分になる
誰が悪いわけでもない
この現実がただ辛い
どうしようもないことだし、心配はかけたくないからそれ以上特に話題にはしていない
夫にもこんな気持ちは言えない
乗り越えて
今に至っているのだと思う
なんとなく、お互いこの話題には触れられない
話せる人がいなくて辛い
妻も同じで
と
言えない、言いたくないのはわかる
でも、わたしは
ぐっと言葉を飲み込んだ
その気持ちは内に秘めて
今日だけは吐き出す
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20231228/k10014302421000.html
あのね。コロナの変異株がヤバイのではなく、君たちの免疫力がヤバイのよw
mRNAは免疫抑制するし、3回目接種からIgG4を大幅誘導して免疫寛容する。
つまり免疫は長期間低下。B細胞にがっつり記憶されるから、この免疫低下がいつ終わるのか不明。
打った人は、コロナに限らず他のウイルスにも感染して発病しやすく、免疫低下による他の病気にもなりやすい状態。
反ワクも、ここまで予想してたの少数派で、まともな反ワクは絶望してますよ。
そろそろ、ことの重大さに気づいた方が良いけど、はてなの人には無理か。
残念。
決して自虐風自慢ではない 株をガチでやってたら1億とかスタートライン扱いだし
まともじゃない人間が金を持ってもまともにはなれないという事実を突きつけられて終わり
2022年からデイトレ始めて資金の増加が加速した(普通に働いてるけどフレックス出勤なので9時から10時でやってる)
先月ようやく1億達成した
頑張ってきたので達成感あるしその瞬間は自分の身体の全細胞がふわふわキラキラしてるのがわかった
1億口座にあろうが特に使い道がない
友達がほぼいないから一緒にご飯食べに行ったり旅行行ったりとかないし
自分の生活は変わらない 1人で起きて1人で仕事して1人で食べて1人で寝るだけ
美味しいご飯や素敵な場所はしっかりと人生を積み上げてきた人のためにある
自分みたいにまともに生きてこなかった人間が金を持っても何にもならない
貯金が無くても友達や家族に囲まれて笑ってる人のほうが数千倍幸せだ
3億手にしたら何か変わるんだろうか 多分変わらないと思う
なんかありきたりなこと書いてるように見えるだろうけどわりと絶望してる
https://lgbtetc.jp/wp/wp-content/uploads/2022/04/lgbtq-media-gudeline-2nd-edit-1.pdf
「体の性」は必ずしも正確ではなく、生まれたときに医師や助産師等が判断し、そして法的・社会的に「割り当てられる」
という捉え方がより適切です
医学的性別を医者が恣意的に張るレッテルかなんかと思ってるんか?
医学的な性別、身体的な性差というのは、単に外性器だけでなく、全身の細胞一つ一つの染色体、遺伝子のレベルの差であって、
内臓形成もホルモン分泌も違うし、体格、骨格、筋肉にも大きな差が生まれるってことなんやで
まず秘匿する、共感を得させる、笑い話に昇華させるというパターンに分けられる。
こんなにも苦しみに溢れている社会で
自転車を漕ぎ続けなければ倒れてしまうように、我々の生活は常にエネルギーを必要としている。更に、エネルギーを消費すれば老廃物が出る。
フケであり、抜け落ちた髪であり、取り払われない砂塵である。
取り敢えず、人はその老廃物が蓄積されていない状態を秩序的である、と定義した。
人は半身が生き半身が死んでいるような物だと私は考えている。死んだ細胞は常に体の何処かに付随している。例として爪があげられる。
捨て切れない痛みの記憶なり過去の恋愛歴もそうだ。常に新しい自分では居られない。
親の資産という要素は重要だが、何れにしても生命維持活動を行わなければならない。
富や名声程度で生きづらさは軽減されなかった。それらは喪われた時に人を疎遠にさせた。
幸福を何と定義するかによって、人々は苦しめられる事にもなる。
生きる為に走れば走る程違う景色が見える。見えた景色の中の物を手に入れられれば幸福なのであれば、人の欲は際限がなく、また満たされない無限のブラックホールのような存在ともなる。
幸福な誰かがいる時、自分も幸福に気付こう、招こうとするバイアスがかかる。