はてなキーワード: 独断専行とは
・オブジェクト同士の戦い開始
何でこいつら超科学で作られた超兵器なのに相手の位置が余裕で視認できる距離で砲撃やらビームやら飛ばしあってんの。地平線の彼方とは言わんけど、ギリギリ見えるくらいの位置からの撃ち合いなんじゃないの。
なんで軍属の主人公(たち)が上官の命令無視してお姫様助けに行くの。主人公が独断専行でお姫様助けに行く、は話的にまぁ良いとしても、何で目の前の上官はそれを止めないの。むざむざ死にに行く、無駄に捕虜になって情報漏えい、他の隊員の撤退行動の邪魔になるかも、とかいくらでも止めなきゃいけない理由があるでしょ。
雪山の中を捜索しにいくのに何でそんなに装備軽いの。どうして頭や顔を守らないの。なんで徒歩なの、スノーモービルとか雪上バイクとか何で使わないの。
なんで今まで捕えられてた、開けっ広げな場所でうだうだ問答やってるの。逃げながら隠れながらでもできるでしょ。
なんで爆弾を前に投げて、爆弾通り越えて洞窟に逃げ込むの。順番逆だろ。
あと気になるのは、主人公くんが必死に語ってるのに表情がほぼ作画されてなくてのっぺりしてるところ。全然必死感が無い。内容と合わせて何言ってんだこいつ感がひどかった。
旧陸軍は、現場が東京を無視して独断専行して進軍し、満州さらに支那へ戦線拡大して、挙句自滅した。
「帝国陸軍の本質」の筆者は、その理由を明治初期の陸軍大学校教官メッケルの教育内容にある、と看破。
「場合によっては、大本営の命令を待たず、独断で行動すべし」と教育した。
その教育があって、帝国陸軍は現場が勝手に行動する軍隊になった。
しかし、メッケルがそのように教育したのには、それなりの理由があった
★メッケルは19世紀半ばのプロイセン軍のメソッドを日本に移入。
プロイセン軍は最強の軍隊で、ドイツは統一するし、フランスも破った。
★19世紀半ばは、まだ無線電信が発展してなかった。
⇒現場軍と大本営とは、軍馬とか伝書鳩とか、アナログな方式で命令を伝達するしかなかった。
だから、大本営の命令を待ってたりしたら、行動が大幅に遅れて致命傷になる。
★帝国陸軍の士官のタマゴたちは、メッケルから「独断専行するように」と教育されたとき、
「なぜ独断専行すべきなのか?」を深く考えなかった。
考えていたら、無線電信技術が発達した20世紀の戦争で、独断専行が無益有害であったことに気付いたハズ
小学校の教室の天井高は、文部科学省の省令で事細かに決められているのだが、
「省令より低い天井高にしたいと思います、特に教育に支障はないと思いますが、いかがですか?」と
文部科学省にお伺いを立てた。
以前の薪ストーブ、石炭ストーブで教室暖房行っていた時代の名残で
薪ストーブ、石炭ストーブもない現代では、あまり意味のない規定
★そうすると文部科学省は
草加市の申請を拒否した。
★「教育的効果」という文部科学省の言い分に疑問を感じた草加市は、自ら実験を実施。
天井が高い教室と、低い教室に児童を入れ、それぞれ「どっちが学習しやすいか?」を聞いてみた。
⇒結果は「天井が低い方が、心理的に落ち着く」という、文部科学省赤っ恥な結果になり、
スーパーロボット大戦OEで、なんと漫画版の名台詞がボイス付きで流れるというサプライズがありました。
「少しづつ動きを覚えさせて…」「ここまで鍛え上げたんだ…」
「あんたが気まぐれで遊ぶ玩具とはなあ…」「違うんだぁ!!」
この野明の台詞は、
押井版野明の「レイバーが好きなだけの自分に甘えていたくない」(だから、レイバーのテストパイロットを辞めて、正義のために戦う)
レイバーが好きで、レイバーのために働く自分へのプライドを感じさせる名シーンだと思います。
このように、ゆうきまさみと押井守は同じ題材、同じキャラクターを扱いながらも、まったく違った切り方を見せていると思います。
その際たるものが「警察官」という職に対する価値観だと思います。
「まともでない役人には2種類の人間しかいないんだ。悪党か正義の味方だ」
このように述べています。
このまともでない役人とは、自分たちのことでもあり、劇場2の敵のことでもあります。
また、劇場1、劇場2共に、特車二課は上の了承をえず、独断専行で悪に対して殴り込みを行っています。
という点を踏まえたうえで、ゆうきまさみ版の後藤隊長はどう語っているのでしょう。
「警察ってのはカゼ薬みたいなもんでな、症状が出てから使われるのがほとんどだ。」
「熱が出れば解熱剤を、せきにはせき止めを投与するように、
「おれたちも症状に合わせて投入される。
与えられた仕事をたんたんとこなしているうちになんとか社会が状態を取り戻す。
それが警察のあるべき姿なのさ。
わかるか泉? おれたちの仕事は本質的にはいつも手おくれなんだ。
こいつは覚悟がいるぞ。」
(中略)
手遅れにならないよう、先回りをする押井版に対して、
ゆうき版は本質的に手遅れであることを自覚し、それを受け止めたうえで、風邪薬には風邪薬のプライドがあると、自分の仕事に強い意識をもっています。
ゆうきまさみは「仕事をする一社会人としての警察官」を描いており、
押井守は「一社会人を超越した正義の味方としての警察官」を描いているといえるでしょう。
この、一社会人としての警察官という題材は、後の鉄腕バーディーにも引き継がれていく、ゆうきまさみの大きなテーマとなっていきます。
追記
>aukusoe 押井守の超越感がどこから来ているのか、ゆうきまさみの市民感がどこから来ているのか、とりみきさん漫画でわかりやすく解説してください。
スタジオぬえの話とかゆうきまさみが通ってたカフェの話とか、アオイホノオでやって欲しい題材ですね。
>otiharuk otiharuk んー押井は別に「先回りカコイイ」というニュアンスで使ってないような
格好いいというか、事実として先回りしてるわけじゃないですか。
ゆうき版は児童売買の可能性がある子供がいても、自分たちで独断専行はしなかった。
これが、押井とゆうきの後藤隊長の描き方の決定的な違いではないでしょうか?
ゆうき版の後藤隊長なら、劇2や劇1のとき独断専行したでしょうか? しないでしょ、
「みんなで幸せになろうよ」なんだから、劇2のあんなことさせるわけがない。
>横手美智子の職業選択の自由で、野明は警察官を選んでるんだよね。
>なのに、押井世界では実写版や番狂わせで野明は警察官を辞めている。
>その辺をぼかして書くあたり、押井のずるい所だよなあ。
うーん、それは大げさじゃない、TV世界と旧OVA〜劇1〜劇2〜番狂わせ〜実写の流れは違うわけだし。
>いづぶちの雪のロンドの遊馬や、横手の太田の戸惑いの午後の太田を題材にそれぞれを語って欲しいな。
ラーゼフォンしかり、出渕が主役に据えるキャラはどこか詩的な感じで、
押井版の理屈っぽい遊馬や、ゆうき版のすねた子供みたいな遊馬とも違う、一番大人な遊馬だと思う。
太田に関しては難しいな、カヌカとクマガミが関わってきてややこしい。
押井版劇2小説にたしかクマガミさんが登場してたから、あの時空にもいることはいるんだろうけど、
劇2の事件には参加してない辺り、なんかややこしそう。
>横手小説の後藤隊長は、風邪薬であることすらも諦めている女々しい印象なんだよなあ。
うわー今手元に小説版ないなあ、アニメイトに買いにいって確かめてみます。
>なるほど納得。押井版よりも、ゆうき版の方が好きな理由が判った。
ゆうきまさみは、どうにもならない社会の枠組みで悩む姿が多く描かれています。
じゃじゃ馬の主人公は馬を育てることで、自分一人で出来ることの限界を知りクライマックスを迎えます。
そりゃそうなんですよね、調教師でも騎手でもない、牧場の従業員が馬に出来ることなんて高が知れている。
そういう、己の限界がゆうきまさみではたびたび描かれる重要なテーマだと思っています。
>miruna 読んでない スパロボオタは劣等種
漫画版の名台詞がボイス付きできけるのはスパロボだけなので例に出しました。
>triggerhappysundaymorning ゆうきまさみは画風からも諦観滲み出してる気がします尿.
>kanose 押井の犯罪を先行してつぶすというのは正義の味方というよりも公安の発想なのでは。それにしてもブクマコメントへの反応はや!
でもだからといって、それを部下に半ば強制した劇2はやっぱり、正義の味方だと思います。
>frivolousman ゆうき→状況に対する「しんがり」として、労働者、サラリーマンとしての警察官。押井→組織を超越しちゃうスーパー警察官…FBI、CIA、公安の類。
そうですね、僕も同じ理解です。
http://anond.hatelabo.jp/20131225120526
を読んでこういう真面目な増田の使い方もあるんだとちょっと感心したので自分も書いてみたいと思います。
仕事で韓国に8年在住しておりハングル語がだいたい読み書きできるので、今回の銃弾提供問題に対して韓国のネットユーザーがどのような意見を表明しているか、大手掲示板や人気ブロガーの記事を読み漁ってみた。
大雑把に言えば韓国軍&韓国政府&日本に対しての批判が大きかった。
・銃弾数の管理も出来ない為に日本から提供を受ける事になってしまった 我が国の恥である(軍批判)
・日本の軍拡を真っ先に止めなければならない立場の韓国が弾薬提供を受けるなどもってのほか(政府批判)
・日本は必要の無い弾薬提供を口実に我が国に貸しを作ろうとしているのではないか(日本批判)
こんな感じ。
南スーダンの状況が極めて予想以上に悪化しつつあるという報道がなされ始めるとネットユーザーの意見がガラッと変わり始める。どこかしら他人事のように自衛隊のニュースを眺めている日本と違い韓国は徴兵制で全ての国民が何らかの形で軍と関わっているために「身内」意識が非常に強い印象を受けます。たとえ自分の家族や友人が従軍していなかったとしても韓国軍に死傷者で出るような状況に対して国民総出で危機感を表明する文化があります。建前上軍隊を持たない日本人として最初違和感をかなり覚えたのですが、まあほとんどの国ではそんなものらしいです。この段階に入ると批判の主な矛先は韓国メディアに移ります。
・身内(軍)に予想外の危機が迫っているのに空虚な建前論で日本を批判するメディアの無秩序さはいい加減どうにかならないのか(メディア批判)
・日本は南スーダンPKOの同僚として当たり前のことをやっただけ 軍の若者と現地の避難民の生命が何よりも優先される
・批判の矛先がおかしい 我が国の未来を担う若者が遠い地で生命の危険に晒されている中でメディアは飯事に終始している(メディア批判)
・全ての事象を日本の責任に転嫁して何の果実も得ない相変わらずの朴槿恵の無価値外交(政府批判)
この辺のネットユーザーの矛先の変化に関しては朴槿恵政権と韓国メディアの無節操な立ち位置に対する9月頃から高まり始めた批判的な燻りを考慮する必要があります。政権発足当初は日本に対する強硬でぶれない姿勢と、アメリカと中国という大国相手に一歩も妥協しない立ち回り方が熱烈な支持を受けました。そのピークは朴槿恵の中国訪問時の異例の好待遇です。アジアのバランスは朴槿恵が担っているという自尊心に満ちあふれていた時代がありました。
ところが9月頃から様相が一変してきます。日本の集団的自衛権をアメリカがあっさりと認めるとメディアは180度態度を変えて朴槿恵批判に舵を取ります。「ぶれない姿勢」と評価された政権の姿勢は一夜にして「独断専行」というレッテルと張られ始めます。日本でもこういう事はさほど珍しく無いのではと感じる方もいるかと思いますが、韓国メディアの無節操さは半端じゃないです。日本で言えば2chまとめブログのような扇情的な煽りをトップメディアが率先してやります。「1週間前まで真逆のこと言ってたよね?」と我が目を疑う事もしばしばです。
まとめると現在の韓国において「目立った成果を上げられない朴槿恵政権」と「あれだけ朴槿恵を絶賛しておいて一晩で手のひらを返すメディア」の両者に対して革新系を支持する若者を中心に強い不信感を国民が抱き始めている状況です。
日本の軍拡阻止はほぼ韓国国民全員が共通して持っている考えですが、今回の弾薬提供に関しては身内の軍隊が大変な危険に晒されているという事実が周知しだすと日本の行動を批判するネットユーザーは激減しました。
どうしても日本メディアで報道される韓国に関する情報は朴槿恵政権が発したものに限られます。でも実際の国民が実際に思っていることは全くの別問題なのです。日本だって同じですよね。政権与党の方向性に反発している人は星の数ほどいます。
私はハングル文字が読めるという特異な立場にあるのでこの辺りの微妙な空気感をそこそこ感じ取る事ができるのですが、どうしてもメディア報道にのみ韓国情勢の動向を頼らざるを得ない人は「誤解」「すれ違い」が生じてしまいがちです。これは韓国人にも同様の事が言えます。
今回の弾薬提供に関してもはや日本の軍拡の第一歩だと批判する人は皆無に等しい状況です。とにかく無事で帰って来て!という悲痛な声が大半です。