はてなキーワード: 祇園祭とは
恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。
ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。
彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対、安倍辞めろ、その他諸々、駅前で毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。
変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである。
その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市が伝統的無形文化遺産として指定するかもしれない。
それはそうとして。
実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。
そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。
僕個人としても立憲主義プロセスを無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。
しかし。
果たしてこの現代版踊り念仏が政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。
理由は簡単だ。
「迷惑」と「聞き飽きた」。
ただでさえ混雑していた四条が行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸や川端、果ては堀川辺りまで波及する。
『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人に負担掛けてまでやらんといて』と。
その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。
これが良いことであるとは僕には到底思えない。
重要なのは政権批判そのものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。
左派には民主主義、国民主権を叫びながら国民に主権があることを忘れて政権そのものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。
『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。
この違いこそ日本のリベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。
より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。
彼らは先述のようによく政権批判の演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。
またこの手の奴か、と。
普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。
これが大人しい田舎なら話は別だ。
ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。
その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。
こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。
重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。
と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方のサムライ・マチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。
しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである。
報道によるとこのデモは若者が主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。
彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。
書き起こし、ざっくりと読んだつもりで書きます。
要するに、
為末は、異文化のものは、そこの文化のものとして作品を仕上げろ、
宇多丸は、異なる文化だけれど、それを色々とアレンジして作品を作り上げてもいいのでは?
という主張のように読めた。
話飛んじゃうけれど、最近知った話に、京都の祇園祭のほとんどの山車にはペルシャ絨毯が飾られているらしい。伝統的な日本の着物柄と思われている京都の西陣織の柄、あれはペルシャ絨毯の柄から影響されて出来上がったと見るのが妥当な見方じゃないかと思った。要するに、いくら伝統的な文化といえども、他文化に影響されあって成立してくるもの。文化てそういうもんだと思う。
なので、宇多丸の言い分はぐちゃぐちゃ言い訳がましく見えるかもしれないけれど、宇多丸が言ってる方が納得がいく。
そもそも、ラップはスラングとしてジャマイカ英語がよく入ってくる、他文化混入を否定するようなら、ラップやヒップホップの全否定につながりかねないんじゃないかと。
一時的な流行が、長年の年月を経て生き残り、一定の方向性を持つと、初めて一つのスタイルやジャンルとして認識される、とかなんとか言ってる人が居たような。だから、日本のラップが時間を経て、一つの形を形成すれば、それこそ演歌(これも西洋音楽をベースにした民謡ちっく音楽)のように残り続けてスタイルを確立できれば、そのうち一つのジャンルとして認識される事も有ると思う。間接的に宇多丸が言ってる事でもある。
あとは、好き好きの問題。演歌が嫌いな人に演歌の良さを分かれと言っても無理なように、日本ラップの良さを分かれと言っても無理な話(自分には解らないけれど)。好みの問題。
スタイル云々で批判される時点で、まだまだ確立されたジャンルではないけれど、結局は日本ラップが補完されていくプロセスの一つになるので、ジャンルとして確立する手前まで来ているのかもしれない。
インフルエンザでキャンセルが相次いだ、しかも数千万単位つうことは修学旅行生が良く来るような関西地区か。大文字とか祇園祭とかあるだろうけど、大口の予約が入るのが秋の五連休と秋以降の修学旅行だからそれに向けて対策をとる、ってことなんじゃないの。修学旅行だったら今から動かないとたぶん予約してもらえないだろうし、五連休もそろそろ旅行会社各社がパック旅行の宿泊先を決めるころだろうし。
あと旅館業許可をとるのはたぶん結構めんどくさいから、もしつぶれても経営者が変わるだけで、中の人は変わらんのじゃないかね。
まーあと増田は若いから、さっさと辞めてしまうのがいいと思う。傾いた船からはさっさと脱出すべき。残っていてもいいことはない。たとえバイトでも。
11:35の時間の書いてあるところのすぐ右のあたりがはてな本社のはず。
交差点のすぐ近くのはずだから、窓を開ければすぐみえる立地だと思う。
階数を考えれば、山鉾のてっぺんよりも高い位置からみることになる。
しかもすぐ下の通りはいちばん前は有料観覧席になっており、
金を払わねばみられないくらいのところ。
下から眺めるのは誰でもできるけど、同じ高さからみるのは余程の人しかできないよ。
はてな本社があるのが、1Fにセブンイレブンがあって、直ぐ近くに地下鉄の入り口があり、
通りを挟んだ正面にホテルのある建物ならば、まず間違いない。
近くでバイトしてたから、オフィスの窓から山鉾がみれることは保障する。
ただ、9階だと高すぎて、近くにきたときに屋根についている棒しかみえない可能性がある。
だけど、絶景は絶景。山鉾を上からみる経験なんてできるもんじゃあない。