はてなキーワード: 歴史的仮名遣とは
(増田アドベントカレンダー2014の9日目の記事です)
最初作曲の勉強して増田のテーマ曲作ってメロディ記法?(というのがあるらしい?)で書いて載せること考えたけど、勉強間に合わなかった。
うんこ漏らせないし、小ネタとして、MS-IMEのユーザー辞書でこういうことしてる的な話でも書こうと思います。
定型句は見つけたら登録してる感じ。この辺はありがち。
例えばこのようなものを登録する。
おせます | お世話になっております。 |
おせした | お世話になりました。 |
かきけ | 下記の件、 |
よろます | 宜しくお願いします。 |
あざます | ありがとうございます。 |
あざした | ありがとうございました。 |
いじょ | 以上となります。 |
メールとか書くの速くなる…
同音異義語多い単語とか打ってると変換候補が多くて困惑するし、誤変換で確定して「あーっ!」とかなること多いけど、それぞれにオレオレ読みをでっち上げてユーザー辞書に載せとくと少しだけ楽。辞書は別に切っておく。
http://anond.hatelabo.jp/20140313130607
↑この辺みて割と最近思いついて使ってる話だけど、既にどこかで同じようなことやってる人もいるかも。
(例)
「へんこう」
へんむく | 偏向 |
へんさら | 変更 |
へんぴか | 偏光 |
「げんこう」
はらこう | 原稿 |
あらこう | 現行 |
もとこう | 元寇 |
などなど。「いじょう」「こうせい」とかいろいろあるので仕事が暇な時とかに登録していくといい感じ。
「たいしょう」
しんめと | 対称 |
ぺあぞう | 対象 |
…
忘れやすいルールで略すとあまり意味がないので何かしら読み替えルールを作っとく良いのではないかと…。
キータイプの超人クラスになると、こんなことしなくてもIMEの学習機能を切って変換順序を丸暗記してるらしい。怖い。
以前やったお仕事でIT部門の規制がガチガチで、WindowsとOfficeしか使えないVBAの仕事があって全然捗らなかったけど、今思うとIMEで対応できたはず。
いf | If - Then End If |
ふぉr | Dim i As Integer: For i = 0 To max Next i |
試しに上のようなローマ字交じりの単語で登録して変換してみたけど、一応使えてる。
あとgrepとdiffなくて苦労していたけどfindstrとfcで代用できます。
最近は普通に多機能なエディターを使えるのでこういう悩みはない…。
あとMS-IME以外もOKな環境なら普通に予測変換やAZIKが使えるものを使うと楽。
http://anond.hatelabo.jp/20130830202223(最初のトラバ先)
http://anond.hatelabo.jp/20130831142238(自分の記事)
元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。
(実は若くなかったら申し訳ない)
念のために書いておくけれど、僕は最近のラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。
実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)
教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格の人達で、しかも扱う分野が本来主観的なものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。
それに、最近のラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。
そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。
(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベが流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)
だから、専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コストで賢明な判断だと言える。
しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない。
特に3番目の問題、
でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?
元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校の体験入学ごときで解決してしまった気分になっていることだ。
僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。
そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。
おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人からの客観的な添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。
また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジやオックスフォードもあるかもしれない。
そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。
文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。
下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。
さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?
それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。
だからといって、先人がそれを教育の世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。
どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。
「文章作法を学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。
「作文」の価値を捉え直した、文章表現の入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのものの価値を再発見している。
大学の講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。
だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。
前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。
レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論・記号論の観点から再評価した名著。
なぜ直喩が隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。
大江健三郎による文学論。そもそも小説や文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。
それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。
文章読本は色々あるが、その中でももっとも実践的と言われる丸谷才一の本だ。
歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。
(しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)
E.M.フォースターによる文学理論。Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店で1000円で入手できた。
「ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。
小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。
新装版が出るんだ……。
芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイックに小説を書き続けている作家の文学指南書。
テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。
ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソンが大英博物館で一気呵成に書き上げた文芸評論書。
「アウトサイダー」というキーワードのもと、文学・美術・舞踏・哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。
本気で読むと人生が狂う。
先の記事で書いた。全日本人が読むべき。
なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している。
偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞で名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。
しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性は結構あるつもりだ。
教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。
失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。
そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOS・エディタ・コンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。
http://q.hatena.ne.jp/1133929203
定の読み方「テイ」も「ジョウ」も音読みだが、約定は「ヤクジョウ」と読むのが一般的。
漢字の音読みには呉音、漢音、唐音という分類があって、この分類で約「ヤク」は呉音読み。
定「テイ」は漢音、「ジョウ」は呉音読みとなる。
呉音漢音交ぜてはダメというわけではないけど、呉音同士、漢音同士で組み合わせるのが一般的。
ちなみに、法定の法の字、呉音、漢音どちらでも「ホウ」と読み、呉音は「ホフ」、漢音は「ハフ」と歴史的仮名遣いで書く。
何故法定の読みが漢音+漢音になったのかはよく知らない。
法定という言葉ができた時代によるものなのか、定を「テイ」と読むことが多かったからなのか。