はてなキーワード: 歴史的仮名遣とは
数ヶ月このサイト使ってみたけど、やめた方がいいな。
稀にちょっと面白い投稿がバズって流れてくるから興味を持ったけど、蓋を開ければ判で押したような男女論、床屋政談、鬱病日誌ばかりだ。
怨嗟の文章も迫力があれば良いというものだけど、それもどこかで見たような借り物の言葉ばかりだし。
はてなブックマークの反応を覗けば、それこそクソリプの見本市だし。クソリプというかクソ引用かな。
Twitterで言う所のヘンな自撮りがアイコンのおっさん、歴史的仮名遣い風で文章を書く奴、bioが「おもしろき〜」みたいな関わってはいけない系の奴らが勢揃いしている感じ。
罵り合うのが趣味なのか。匿名の喧嘩のしすぎでとっくに狂ってしまっているのか。なんにせよ、真っ当な態度で人に構ってもらう方法を持ち合わせない人達なんだろう。
気に入らない存在をおもんないあだ名で呼び続ける老人がいる。例えが思いつかない(つきたくもない)けど、嫌いな政治家をしつこく○○ちゃんって呼ぶような感じの。ここの人らの錆びついた暴言って、それに似たような感じ。
ブックマークの方も相当だけど。
トンチンカンなコメントばかりが上位に来ていて具合悪なる。稀に真っ当なのもあるけど、そういうのに限って隅に追いやられてる。
文章を読めてないのか読んでいないのか。そう書いとるがなという内容を「それはこういう事だぞ」と、なぜかウエメセでリピートしたり。
別にかくあるべし!と声高に演説している訳でもなく、私はこう思いますと書いてあるだけの文章を勝手にそう読み替える。それで勝手にイラついてか、「バカって言う方がバカなんだゾ!」といったレベルの道徳の説教を垂れたり。
まあ他人の考えが何か気に入らないけど粗探しをする頭もない時、コイツがバカで拗らせてるだけ、と切断すれば楽ですからね。
理で批判的な事を言うことができないから、知性あるオレがそうだと言うからお前はバカなんだ!としか言えない。
文章読めてない癖に主観と客観と区別だの論理性だのを一丁前に語る奴もいる。投稿内容の話の立て方は感情論でも何でもないのに、そういう言葉を並べ立てる奴は少なくないね。
ネットで見聞きした論破ワードを使っておけば、何か言った気になれるのかもね。
なんというか、独自の視点から独自な事を言わないといけないみたいな考えに囚われてるんじゃないかって思う。その癖知識が無ければ頭も悪くユーモアもないから、的外れな事かおもんない茶々を入れる事しかできない。
まあテレビに向かってブツクサ呟く人間のインターネット版の話は置いても、面白い投稿なんて待てどくらせどそうそう出てこないし、もうやめ時だな。
みたいに先回りしておくと反応が来なくて面白い。中学生みたいな単細胞逆張りだから。
長いから読んでないわ、みたいなのも多いね。興味がない人間が興味のない旨を嬉々として報告しますか?
という所まで先に言われたらどうなるのかな。いつもみたいにうるさいお前はバカだ!かな?
「崎陽軒のシューマイ」と言ったら、友達から「シューマイじゃねえよ、崎陽軒はシウマイ。シ・ウ・マ・イ!」と力説された。
と、まったく取り付く島がない。
だが、日本語の歴史的仮名遣いでは言文不一致になることも知ってる。
「蝶々」が「てふてふ」になるように、「しゅう」も文章に書くときは「しう」と綴ることがある。
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gendaikana/huhyo_kyo.html
なので書き文字ではシウマイだが発音はシューマイなのでは?と問うたのだが、意図が伝わらなかったようだ。
TwitterやPixivなどで腐向け一次・二次創作小説を日々拝読しているのですが、もちろん大人なのでエロ描写を含むものを好んで嗜んでいるわけで……。そんな中たまにここちん(心のちんちんの意)が途中で萎えてしまうような、普通の言葉で言えば興奮が一気に醒めるような作品に出会うこともあるわけです。
このここちん中折れ状態に至るには自分の場合「シチュエーションに萌えない」「お互いへの想いの描写が足りない」などといった本質的な理由よりも「日本語がおかしい」みたいな些細な理由が多く、今後の自分への戒めも兼ねてここに列挙しておこうと思います。小説書かないけど。
「考えれる原因は3つ」
もはや説明は要らないと思う「ら抜き言葉」・・・普段喋っている時には全然OKだと思うけど、いざ小説内の地の文で使われると即萎えてしまう…。キャラクターの口調などによってはら抜きの方が合うなぁというケースも多く、会話文やセリフではそんなに気にならないけど、地の文で使われると違和感が凄まじい。”ら抜き”を使わなくて済むような違う言い回しにしてくれないかなと思ってしまう。ただし「”ら抜き”が標準である方言を使用する地域」というものが多数存在するらしく・・・うーん。
「まだ試合には出せれないな」
「指一本すら動かせれなかった」
「れ足し言葉」という呼び方は私が勝手に言ってるだけなのであまり気にしないで。具体的には不必要なれが挟まってくる感じです。上記の例だと正解は出せない、表せない、動かせない。結構いるんだこれが。
「そうゆう言い方は卑怯だ」
大昔から言われてるのにまだユーザーがあまりにも多い。ご存じの通り「そういった」「そのような」みたいな意味の「そういう」の砕けた言い方なんだけど、この「そうゆう」を使うだけで受けちゃんだか攻めちゃんだかのIQが50ぐらい下がって見えてしまう…。実際に会話してる時はいいけど、文章上で「そうゆう」はほんとないわ…。
一度の間違いなら「タイプミスよね」と温かい目で見ることができるけど、延々同じ間違いを繰り返していると「地名や人名すらちゃんと覚えてないなんて作品愛が足りなくない?!」と萎えてしまうやつ。舞台が日本や漢字圏だとあまり発生しないタイプだけど、カタカナの固有名詞ベースの作品では結構な割合で発生しているように思う。
多いのが「グ」がつく名称を「ク」、「ド」がつく名称を「ト」で間違っているやつ。ハグリット、グットマン、ガラハット、ゲイボルク、ゴットストライク、ジャレット、ブラックドック、モードレットなど。
他にも「ヴ」を「ブ」と書いていたり、半濁点と濁点を間違えていたり(バイコーンをパイコーン、など)、固有名詞の中で文字の順番を間違えていたり(ガタノソアをガタソノア、など)。お名前はちゃんと確認しようぜ!
「今まで気ずかれないように必死で隠してきた」
「経験を一つづつ積み重ねて来た」
「近づく」「気づく」「一つずつ」が正解(※一つづつ、については歴史的仮名遣いとしては正解らしいけども)。なんとなく、カクッと膝の力が抜けるような気持ちになりませんか。
「彼のbikeの心地よいsoundが忘れられなかった」
「学校に戻ったがgroundには誰の姿もない」
こういうタイプはむちゃくちゃレアケースで、今まで2回ぐらいしか遭遇したことがないのですが、恐ろしいことに実在します。すぐ読むのやめたよね。なんかこっちが恥ずかしくなっちゃって。
「結局それを手に入れることはできなく、後悔が残った。」
「反対する者は不思議といず、あっさりと決定された。」
「〜できなく」からは幼稚な印象を受けてしまう。かと言って後者のようにむやみに「ず」に置き換えるのも珍妙な印象を生んでしまう場合があって、ケースバイケースで考えないといけないから難しいなぁ。「いず」は「おらず」に置き換えるのがベターだと思います。
また何か見つけたらまとめます。
詳細は不明だが1995年の「現代の小説1995」のなかでモフモフが使われている。
空は青く、モフモフと柔らかそうな雲が空の低い所を泳いでいた。
筋肉少女帯よりは後だが、食べものに用いられていない例である。
は飛び抜けて古いが、おそらく「もうもう」の歴史的仮名遣いか?
ラノベなら1999年発売の「フルメタル・パニック 本気になれない二死満塁?」に登場するボン太くんも忘れてはならないだろう。
彼はモコモコのきぐるみで「ふもっふ」「ふもふも」「もっふる」などとしゃべる。
「もふもふ」でこそないが、それに近い音の並びであり、柔らかな毛並みを連想させるものである。
フルメタシリーズのマスコットキャラとしてアニメも2003年に放送されており影響力は強い。
他に影響が大きそうなものとしては、2005年発売の「テイルズ オブ レジェンディア」に登場する、ラッコが進化した「モフモフ族」なるものか。
企画は2002年から立ち上がっていたらしく、そこから2005年までのあいだに「柔らかな毛並み=モフモフ」という認識が浸透していたことを示唆する。
実際、2chを検索してみると2003年ごろから「モフモフ」の使用が見える。
http://hobby.5ch.net/test/read.cgi/dog/1058378352/981
981 :わんにゃん@名無しさん:03/08/30 12:41 ID:cOjoIUjg
>>979
とにかくフサフサモフモフ。
https://hobby.5ch.net/test/read.cgi/dog/1063382568/714
714 :わんにゃん@名無しさん:03/10/12 22:43 ID:VyEtJSzx
>>708だったにゃん。
間違えたにゃん。ごめんにゃん。
そろそろおねむなので、にゃんのお腹をモフモフしながら寝るにゃ~ん♪
https://game9.5ch.net/test/read.cgi/gamerpg/1101732011/110
110 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/02 02:08:22 ID:XAv7a6E6
>>108
やっぱケルベロスかなぁ。ルーパのイメージも入ってるかもしれないけど。
毛皮だしもふもふだし舎弟にしていっぱい無茶いっていぢめたい。
いずれも動物に対して用いられている。
以上から「もふもふ」が動物の毛並みを表すようになったことの原因にルイズコピペを置くのは不適当であると言える。
追記。
https://life2.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1022140222/
85 :マジレスさん:02/05/27 12:07 ID:GQ/tFpr.
モフモフってどんな行動だろな。
生まれて初めて聞いたよ。モフモフ。
効率性?確かに変換がなければタイプは速くなるが、アクセント記号書くのが効率的とは思えないな。どうやってタイプしたらいいのかわからんぞ。既存の機器で入力できなくてもいいわけか。もしや手書き入力か?文字コード直打ちか?
Mac nara eigo Kiibóodo de boínnji wo nagaoshi surú daké desu. iOS demo onaji desu. Windows nara, Alt Kíi ka nánika to no kumiawasé de dékita to omoimásu.
同音異義語ってそんなに嫌うような代物なのか?全ての単語に固有の文字をあてれば解決だな。もっともチャイナは簡体を進めたために衝突が増えたはずだが。ハングルの導入も然り。
Douonn igigo no kotó wo shinnpai shinái no de áreba, tánn ni kunnrei shiki de wakachigaki wo suréba íi daké na no desu ga, sou surú to, "douonn igigo ga..." to kanarazu iwaremásu.
Watashi ha douonn igigo ha sukoshi kúrai nara shikata ga nái to omoimásu ga, mattakú kúbetsu ga tsukánai no ha yóku nái to omoimásu.
学習コストって何のことかわからんが、日本人で日本語書けないやつには会ったことがない。外国人が苦労するとは想像するが、それなら発音と表記を揃えるべきだ。歴史的仮名遣いを取り込むとか、そうか、つまり趣味以上のものではないわけか。
Nihonnjinn ha nihonngo no kakikáta wo gakkou de nagái jikann wo kákete naraimásu. Sore ga Kósuto desu.
Gakushuu Kósuto wo sakugenn shité, onaji jikann de gakkou de hoka no kotó wo oshierarerú yóu ni náreba íi to omoimásu.
ローマ字書きのメリットとして機械に理解させたり、検索性の向上、合成音声への応用などあるわけだが、さういふ文脈は無視して趣味性の追求のために時代に逆行する信念には敬服しますた。これからもかんはつてくたさい!
Soréra ni tsúite taisetsu na no ha, hyóuki wo míte dóno tanngo ka ga wakáru kotó desu.
効率性?確かに変換がなければタイプは速くなるが、アクセント記号書くのが効率的とは思えないな。どうやってタイプしたらいいのかわからんぞ。既存の機器で入力できなくてもいいわけか。もしや手書き入力か?文字コード直打ちか?
同音異義語ってそんなに嫌うような代物なのか?全ての単語に固有の文字をあてれば解決だな。もっともチャイナは簡体を進めたために衝突が増えたはずだが。ハングルの導入も然り。
学習コストって何のことかわからんが、日本人で日本語書けないやつには会ったことがない。外国人が苦労するとは想像するが、それなら発音と表記を揃えるべきだ。歴史的仮名遣いを取り込むとか、そうか、つまり趣味以上のものではないわけか。
ローマ字書きのメリットとして機械に理解させたり、検索性の向上、合成音声への応用などあるわけだが、さういふ文脈は無視して趣味性の追求のために時代に逆行する信念には敬服しますた。これからもかんはつてくたさい!
https://anond.hatelabo.jp/20180105123031
への補足
科目の目標
国語を適切に表現し的確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や
想像力を伸ばし,心情を豊かにし,言語感覚を磨き,言語文化に対する関心を深め,国語を尊
重してその向上を図る態度を育てる。
(1) 事項
(1) 「A話すこと・聞くこと」,「B書くこと」及び「C読むこと」の指導を通して,次の事項
について指導する。
(ア) 伝統的な言語文化への興味・関心を広げることについての事項
(ア) 言語文化の特質や我が国の文化と外国の文化との関係について気付き,伝統的な言語文化
への興味・関心を広げること。
「言語文化の特質」とは,我が国の言語文化の独自の性格やその価値のことであり,微視的には,
作品一つ一つに表れた個性と価値,巨視的には作品を集合的にとらえた時代全体の特質,さらに現
代につながる我が国の文化全体の独自性のことである。ここでは主に古典を教材とした指導を通し
て,生徒がそれに気付くことを求めている。
「我が国の文化と外国の文化との関係」を取り上げているのは,我が国の文化を理解するに当た
って,中国など外国の文化との関係が重要となるからである。我が国は中国の文化の受容とその変
容とを繰り返しつつ独自の文化を築き上げてきた。その経緯を踏まえ,古文と漢文の両方を学ぶこ
とを通して,両文化の関係に気付くことが大切である。古来,我が国は,文字,書物を媒介にして,
多くのものを中国から学んだ。その結果,漢語や漢文訓読の文体が,現代においても国語による文
章表現の骨格の一つとなっている。漢文を古典として学ぶことの理由はこの点にもある。
ここで,
「外国の文化」としているのは,高等学校では,近代以降の言語文化も視野に入れて幅
広く伝統的な言語文化について扱うこと,また,我が国の文化は,近世以前においても,南蛮渡来
といわれたヨーロッパの文化の影響もあることなどを踏まえたものである。
「伝統的な言語文化への興味・関心を広げる」ためには,古文と漢文だけでなく,古典に関連す
る近代以降の文章や,伝統芸能,年中行事など,多様な方面からアプローチすることが大切である。
現在,我が国は一層の国際化に向かい進んでいるが,その中にあって我が国の伝統的な言語文化の
独自性と価値を知り,それを尊重する態度の育成は,これまで以上に重要になっていることを認識
する必要がある。
(内容の取扱いの(5))
イ (1)のアの(イ)については,読むことの指導に即して行うこと。
生徒は,古典を読むのに必要な言葉のきまりの基礎的な事項について,中学校で学習している。
「文語のきまり」には,文語文法のほか歴史的仮名遣いなども含まれる。特に現代語と異なる古
文特有のきまりに重点を置いて,仮名遣いや活用の違い,主な助詞・助動詞などの意味・用法,係
り結び,敬語の用法の大体などについて指導し,古文を読むことの学習に役立つようにする。
「訓読」とは,元来中国の文語文である漢文を,国語の文章として読むことである。
「訓読のきまり」とは,訓読に必要な返り点,送り仮名,句読点などに関するきまりをいう。これらのきまり
についての指導は,教材の訓読に必要な範囲内で適切に行う必要がある。なお,訓読は,おおむね
文語文法に沿った読み方をするが,普通の文語文法では扱われない訓読特有の伝統的な読み方もあ
ることに注意する必要がある。
なお,内容の取扱いの(5)のイに示しているように,文語のきまり,訓読のきまりについては,
詳細なことにまで及ぶことなく,読むことの指導に即して扱うとする考え方は従前と同様である。
(2:52 解説より追記)
古典を読み味わうためには,古典を理解するための基礎的・基本的な知識及び技能を身に付けて
いなければならないことは言うまでもない。しかし,従来その指導を重視し過ぎるあまり,多くの
古典嫌いを生んできたことも否めない。そこで,指導においては,古典の原文のみを取り上げるの
ではなく教材にも工夫を凝らしながら,古人のものの見方,感じ方,考え方に触れ,それを広げた
り深めたりする授業を実践し,まず,古典を学ぶ意義を認識させ,古典に対する興味・関心を広げ,
(ク) 我が国の伝統と文化に対する関心や理解を深め,それらを尊重する態度を育てるのに役
立つこと。
(ケ) 広い視野から国際理解を深め,日本人としての自覚をもち,国際協調の精神を高めるの
に役立つこと。
(ク)及び(ケ)は,国際化への対応を考慮した観点を示している。我が国の伝統と文化に対する関心
や理解を深め,それらを尊重することは,我が国と郷土を愛する態度を育成することになる。また,
それは異文化理解の基礎を培うことにもなる。日本人としての自覚をもちながら世界の中の日本の
立場や役割を考え,国際理解を深め国際協調の精神を養うことは,世界的視野に立って国際社会に
貢献しようとする態度の育成につながる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1162964
小生と旧仮名遣いには近付かないようにしてる
旧かな使ひは見かけたら二つ向こうの山まで逃げる案件
確かに「正かなクラスタ」とその周辺はいっつも論争してて、巻き込まれたら面倒臭いから近寄りがたいイメージがある。
もし本気で歴史的仮名遣(旧かな、正かな)を布教したいのなら、そんな印象を撒き散らし続けてる時点で戦略的には失敗だよなあ、と前から思ってる。
個人的には、歴史的仮名遣は現代仮名遣いより技術的にまともだと思ってるから尚更。
「正かなクラスタのことは嫌ひでも、歴史的仮名遣は嫌ひにならないでください!」とでも言っとけば良いのかな。
「本物の旧仮名遣い」って何なんだろ? 山岡士郎さんに頼んだら見せてくれるのかな?
冗談はさておき、字音仮名遣を守ってなくても和語の仮名遣がきちんとしてるなら、広義の歴史的仮名遣に入れてあげてほしい。字音仮名遣も「春」は「シユン」か「スヰン」か、「共」は「キヤウ」か「クヰヤウ」か、なんて具合に何が本物か追求しだしたらキリが無いし、いろんな流儀に寛容になっとく方がみんな気楽。
http://b.hatena.ne.jp/entry/qiita.com/tadsan/items/fb496e450fc27c8c4494
歴史的仮名遣へのヘイトスピーチが人気コメントの2位・3位。これはひどい。そして悲しい。
多分、著者のtadsanは一々コメントを返したりしないので、この場で勝手にツッコミを入れてみる。
bottomzlife なぜ意味不明な歴史的仮名遣いがまじってるんだ。気持ち悪いからやめてほしい。プログラマなら日本語のコーディングガイドラインも守れ
「まじって」なんかない。全文が単なる歴史的仮名遣でしかない。(これは逆に、「現代仮名遣い」との差が少ない証拠になってる)
あと「日本語のコーディングガイドライン」が「現代仮名遣い」を指すなら、そのガイドラインの方が意味不明でクソ。まだ歴史的仮名遣の方が論理的で、プログラマ的にも腑に落ちる。その辺は http://web.archive.org/web/20020612101011/http://hb9.seikyou.ne.jp/home/kyuri/nihongo/kana-hikaku.html でも見れば、小学生でも解る。
「歴史的仮名遣い風」ではなく、正真正銘の歴史的仮名遣。(字音仮名遣? 知らない子ですね…)
それでも信用しないのなら、個人の勝手だが、そんな差別をする奴は信用ならない。
snobbishinsomniac 「ヘッダ」「メソッド」ではなくて「ヘツダ」「メソツド」だろうし、「レガシー」「モジュール」じゃなくて「レガシイ」「モジユウル」ではないのかな。
外来語の長音記号とか大書き・小書きとかはどっちでもええんやで。
ちなみに「モジュール」は「module」でダ行だから「モヂュール」と書く人も居る。
慣れの問題。いや本当に。
時間を掛けてまで歴史的仮名遣の読み書きを習得する価値は、個人的にはある。似た感覚としては、全然論理的でないHTML3.2を捨てて4.01とか5.0に移行するのと同じ程度に有用。