はてなキーワード: ニーハイブーツとは
何がって、黒ストッキングの話だ。
2013年から2014年がピークだっただろうか。ティーンから40代に至るまで、幅広い層で秋冬ファッションにおける黒ストッキング/黒タイツの着用が広がったのだ。
合わせる靴も、その少し前まで流行っていたニーハイブーツやロングブーツが消え、ショートブーツやパンプス、スニーカーなど、足首が見えるスタイルが多数派に。また、ボトムスもショートパンツやミニ丈のスカートなど、膝上から太ももまで見せるものが普通となっていた。
足首から太ももまであらわになった脚線。その広々としたうねりを包んでいたのが黒ストッキングである。黒ストッキングがあるから安心して脚線を露出できる。脚線を露出する服装だから黒ストッキングが必要となる。その相乗効果により、世はまさに大・黒スト時代であった。
では、その後の黒ストッキングの後退の理由はなんだろうか。現在、街を見渡すとルーズシルエットやワイドパンツが闊歩しており、その流行を理由として挙げる声は多いだろう。
しかし、本増田は、決定的な理由は別にあると考える。それは「黒ストッキング=透け感が重要」言説の登場である。
増田読者諸兄は、「デニール数が少ないほどイイ女!」……そんな記事を見たことはないだろうか。曰く、デニール数(ストッキングの厚さ)が少ない、すなわち、薄くて素肌の色が透けて見えるストッキングがセクシーでいいのだそうだ。同時に、厚手のストッキング/タイツはセクシーではない(男ウケが悪い等)、と。
調査を行なったところ、2015年初頭からそのような言説の記事が登場。単発ではなく、後追い粗製乱造ウェブ記事の増加(2016年のDeNA WELQ事件を思い返してくれればよい)が拍車をかける。
ここで疑問に思われる方もいるかもしれない。
「薄い黒ストッキング=セクシーとなれば、今度は薄手のものが流行するのではないか?」
だが考えてみてほしい。例えば、ある冬の寒い朝、高校1年のあなたの娘さんはいつものように110デニールの黒タイツを履いて学校へ出ていった。その翌日。突然、30デニールの透け感たっぷりの黒ストッキングを履いて学校へ行こうとしている。頑固親父ならずとも「どうした?」と言わざるを得ないだろう。かように、セクシーであるというのはハードルが高いものだ。単に年齢・性別の問題ではなく、セクシーであっていい場面というのは非常に限られているという意味でも。
この「黒ストッキング=透け感が重要」言説、国内老舗ストッキングメーカーのマーケティングも絡んではいるのだろう。2014年時点に立ち帰れば、黒ストッキング/黒タイツ市場はもう飽和してしまったから、「秋冬の防寒用」から「年中の基本着用」へと(ベージュを中心とした)パンストの復権、パンストのレコンキスタ、パンスト維新を企図していたことがうかがえる。しかし、「セクシー」を強調したことが仇となったか、ファッションの変化のあおりも受けてパンスト・タイツの消費自体が低迷する結果となってしまった。
(※国内供給量の推移:2013年 3400万デカ → 2017年:2800万デカ)
「デカ」とは靴下の単位で、10着(セット)のことを指すらしい。閑話休題。
かくして、我々がその攻守のバランスを愛していた80デニールの黒ストッキングは「やぼったいもの」の烙印がおされることになった。ファッション都落ちである。我々はセクシーではないことの方が多い日常を過ごし、でもほんの少しのセクシーさを求めていただけなのに。
まもなく、寒さとともに本格的な秋冬ファッションのシーズンが来る。黒ストッキング/黒タイツはどのような2018-2019シーズンを迎えるのか。あなたのワードローブに眠っている黒ストッキングはお元気ですか。
有休消化期間に入った私は、毎日自分のの送別会で出かけていた。
家に帰ると、彼が待っていた。こんな日がずっと続いたらいいのになぁと思っていた。
同時に、続くわけないとも思っていた。終わらせないといけない。
私から別れを告げるつもりはなかった。別れなければいけないとは思っていたけど、別れたいとは思っていなかったから。
彼は見事に誘導に乗り、「無理なんでしょ?」わかった。荷物は近いうちに取りに行く」というメールを送ってきた。
これで終わる、と少しほっとしたが、最後にどうしてもあの疑惑を確認したかった。
私に隠れて元カノと会っていたことについて、本当のことを言って欲しかった。
別に、会っていたこと自体をどうこう言うつもりは全くなかった。
ただ、嘘をつかれている事が嫌だった。
でも彼の答えは、「隠れて会ったりなんてしていない」だった。
そして「こんな誤解で終わるなんて嫌だ」「お願いだからもう一度信じて欲しい」「必ずもう一度信じさせる」
そんな言葉を続けた。でも、私はもう信じられなかった。
どうして嘘をつき続けるのか、分からなかった。
付き合って間もない恋人が浮気した、とかならまだよかったかもしれない。
でも私にとって彼は恋人というよりも、ものすごく大事な友達だった。入社してから5年間、ずっと仲が良かった友達。
そして、一生一緒に生きていこうと思った人だった。この人となら絶対大丈夫だと思っていた。
そんな人に裏切られた。
私はそれまでの人生で、色んな人に助けられてきた。
本当に、周りに恵まれているなぁと実感することが多かった。
病気で大学に通えなくなった時、仕事を始めたばかりで何も分からず辛かった時、元彼を亡くした時。。。
一人ではどうすることもできない辛い状況に陥った時、周りの人が支えてくれた。彼も、その中の一人だった。
だから、どんな時でも自分の周りの人を裏切る事はしなかったし、逆に、裏切られる事なんて考えた事もなかった。
でも、彼に裏切られた。
大事な大事な友達の一人で、一生一緒に生きていこうと思った彼に。
もう、誰も信じたくなかった。誰とも関わりたくなかった。何も考えたくなかった。
そして同時に、元彼のところに行きたい、という気持ちが溢れてきた。
彼が亡くなって2年1ヶ月、一度も考えたこともなかった事だった。
ずっと抑えてきた気持ちは一度あふれ出したらもう、とめることはできなかった。
もしかしたら、会社を辞めて彼の名前を見る事ができなくなってしまったことで、
コップの水がすれすれまで入っていて、彼の裏切りが、最後の一滴だったのかもしれない。
生まれて初めて「死にたい」と思った。
その日1日、死ぬ事しか考えられなかった。
そしてその日の夜私は、これから死ぬつもりであるというメールを彼に送った。
もちろん、わざとだった。
私が死んだ後、彼に私と同じ思いをさせるのだけは嫌だった。
だから自分が嫌われるためには、わざと自殺を仄めかす発言をすればいいと思った。
それに、私が死ぬなんて言ったところで、彼は絶対に相手にしないだろうと確信していた。
そういうことを簡単に言うやつは嫌い、と言われるのを期待していた。
しばらくメールをやりとりを続け、最後にするつもりのメールを送信しようとした時、玄関ですごい音がした。
彼が合鍵を使って部屋に入ろうとしていた。私の目論見は、見事に外れた。
内側からロックをかけていたので入ってこられずに済んだものの、彼は開けろと玄関先で叫んでいた。
しまいには、開けなかったら窓ガラス割ってでも入ると言い出した。
これは脅迫だろう。。。と思いつつ、仕方なく部屋に入れた。
部屋には入れたものの、彼の話を聞く気は全くなかった。
一通り自分の言いたい事を言えば気が済んで帰るだろうと思っていた。
が、何時間経っても帰る気配はなく、そのうち言いたいことがなくなったのか、無言になった。
この時点で私の当初の計画は失敗だった。
この人は、私が死んだら悲しむ事になるのかな。。。
彼に私と同じ思いをさせるのだけは、どうしても嫌だった。
だからといって、「後を追いたい」という気持ちも、どうにもならなかった。
なんとなく思いつきで、彼に「生きているのが嫌なほど辛かったことってある?」と聞いてみた。
彼は「ある」と答えた。予想通りだった。
彼は自分が辛かった時期の事を話し始めた。
気付いたら私は、「これからも一緒にいて欲しい」と言っていた。
嫌われるためにした行動で、全く逆の結果になってしまった。
でもその時私は、この人となら一緒に生きていけると思っていた。
私はこの人の事が、男としてではなく、“一人の人間として”好きなんだなぁと思った。
そんな事件があってからしばらく経った日曜日、彼と浴衣を着てどこかに行こうという話になった。
候補にあがったのは、エプソン品川アクアスタジアム。浴衣を着ていくと、割引が受けられた。
でも私は3年前に、亡くなった元彼と一緒に行ったことがあった。
結果、悲しい気持ちには全くならなかったし、以前のように元彼の事を思い出して
私は自分の変化を感じていた。
元彼は体のラインが出る服が好きで、私は服を買うときいつも自分の好みよりも
元彼が喜んでくれそうな服を選んでいた。
ピンクと白がよく似合うと言ってくれていたので、買う服はピンクと白が増えた。
でも今シーズン、ピンクと白の服は1着も買っていなかった。
元彼と付き合っていた3年前、私はヒールのある靴が苦手だった。
でも元彼が高いヒールのある靴の方が綺麗だというので、どうにか努力して
6cm程度のヒールの靴で歩けるようになっていた。
ある時、たまたま通りがかったショップの店先に、ロングブーツがディスプレイしてあった。
ちょうど欲しいと思っていたニーハイブーツ。でも、ヒールがなくてぺったんこ。あー、だめだー。
そう思って通り過ぎようとした時、もう無理してヒールのある靴を履かなくていいんだ
ということを思い出した。
私は昔、パーカーが好きでよく着ていたが、元彼がパーカーがあんまり好きじゃないというので
全く着なくなってしまいこんだままになっていた。
久し振りに出して着てみると、彼は「パーカー好きなんだよねー」と喜んだ。
ゆったりした服も、ヒールのない靴も、パーカーも、慣れてしまえばそれが普通になった。
私が着たい服を着て彼が喜んでくれるのが嬉しかった。
でも、元彼が好きだった私が消えてしまうような気がしていた。
彼を確実に好きになっていたが、好きになってはいけないという気持ちもあって悩み続けた。