はてなキーワード: お天気お姉さんとは
日本のニュース番組の質はさておき、番組それ自体に出てくるアナウンサーの意見は尊重されないものだ。
「ニュースによって声色一つ変えてほしく無い」という様な意見すらあるし、アナウンサーはロボットに置き換えてしまえば良いのではないだろうか。
まあ代わりとして務まるのは速報性のあるニュースや政治系のニュースにはなるかもしれない。全てを変えようとすると「お天気お姉さん」を好む奴らが批判に出ると思うし。
視聴率やニュースバリューを合わせてどう伝えればいいかを判断して発言するロボットや、
TBSの小林悠元アナが、週間文春の取材で「適応診断」と心療内科にて診断されたと明かしたという記事が出た。
今日(20160315)YAHOO!のトップに出たから見た人も多いだろう。
私は習慣で毎週のように「報道特集」を見ている。
週刊誌に報道が出てから、テレビに映る彼女を見る目にバイアスがかかっていなかったと言い切ることはできないが、
「報道特集」を見ていた中では全くもって、アナウンスしている彼女の様子に対し「この人ちょっとおかしい」などとは思わなかった。
全国放送のアナウンサーで、大勢の人にその映っている姿に違和感を抱かせるようなら、すでに大きな話題になっていただろう。そうならなかったのは彼女のすごいところだろうと思う。
週刊誌に書かれて精神的に苦しいながらも、全国放送で毅然とアナウンスできる彼女が「適応障害」で、ローカルながらも涙を流して取り乱すお天気お姉さんはなんでもない(違ったらすみません)。
すごく違和感ある。
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自分の周りの例だけど、友人が30歳でとある企業に中途入社して、入社後2ヶ月目位から月の残業が100時間を越えるような働き方を1年ちょっと続けたところで、会社に行くのがつらくなって心療内科に行ったところ同じ診断をされて会社を辞めることになった。
その人の会社への診断書(傷病手当金もらうためのやつ)の病名には一筆「適応障害」と書いてあっただけだそうだ。
だがちょうどそのころの彼と数回会ったが、全く違和感はなかった。よく話すし、きちんと笑うし。
彼曰く「医者の前でちょっと落ち込んでるように話したらこう書かれていた」という。
もうすでにそこで働き続ける選択肢は自分の中になかったから、あえて抗議もしなかったという。
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たとえば、
かなりのイケメンに話しかけられて、そうではない男性に対するよりも周章してしまう女性は多くいるだろう。
うまく目が合わせられなかったり。
同様に、かなりの美人に対して、そうではない女性に対するよりも狼狽してしまう男性も多いだろう。
こういうの文字通り「適応」に障害が発生した瞬間と言えるんじゃない。
まぁそんな短絡的な例でなくでも、極度の緊張状態が長く続いたとき、人は自分でも気づかないうちに「いつもの自分」からずれてしまっているものだろう。
そんな時に、近しい人にきつくあたる例だっていっぱいあるだろう。そしてあとでひどく後悔する。
要するに「どこで線引きするの?」というのが、専門家ではない人間が抱く率直な疑問ではないだろうか。
真相はわからないが、まさこさまにも「適応障害」という情報が流れているよね。
この言葉から受ける印象というのは、どういう症状なのか理解がない人にとって見れば、相当に歪んだ印象を与える「病名」なのではないだろうか。
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心療内科という医師と患者一対一での密室で、その人の人生を、大げさに言えば破壊するような可能性を孕む診断を、
恣意的に下せてしまう今のこの医療体制には問題がないといえるのだろうか。
別の医師だったらそうは診断しない可能性が大いにある、かなりグレーな領域じゃないのか。
「適応障害」という名称と、診断を下すプロセスの2点についてとても引っかかる思いを大いに感じる。
きっとこの曖昧さ、不透明さに腑に落ちない思いをしている人が結構な数いるんじゃないかと思う。
とにかく小林悠さんがこれは終わったことと割り切って、「そんなものもうどうでもいいわ」とこれから前を見て生きていってほしいものです。
いまさらながらって感じがするけど、
リュックベッソンと言えば、
そう。
いまでこそバイオハザードシリーズでお馴染みの
ミラジョヴォヴィッチはとても有名だけど、
彼が彼女を見初めて出演した
あと、
お天気お姉さんルイーズブルゴワンは
話を戻すわね。
で、そういう
即見始めちゃったのよ!
演じる人が変わっても、
キャラは通して同じなので、
時間の尺的にも余裕があるのかしら?
キャラが栄えてて好きよ。
あら、
やめておくわね。
以上、
浜村淳でした!
サンドイッチにしちゃいました。
缶詰を使うときは、
シロップが甘いので
パイナップルとか桃缶とかね。
まあ、お好みで。
桃の甘さがほのかにするわ。
ヒューヒューとか言わないし。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
格差社会だなんだとかまびすしい一年だったが、経済的側面ではなくエロの側面からも考えてみよう。
ここで言うエロとは、風俗、すなわちソープやカップル喫茶、ピンサロなどではなく、ネット、雑誌、DVD、最近あまりないのかもしれないがエロビデオなどのこととする。
風俗は、おそらく利用者間の格差が生じづらい。アクセスするために物理的に店舗に行くなどが必要で、かつそれなりにお金を払う必要があるためだ。つまり、物理的エロに関してはお金を払って店舗に赴く限りにおいて利用者は平等にアクセスが可能だ。
対照的なのは、ネットでのエロだ。ネットにアクセスできるかどうかでまず格差があるし、さらにエロにアクセスできるかどうかにも格差がある。さらにネットでのエロへのアクセスにお金を払うかどうか、という格差が生じている。
有料サイトもたくさんあるが、品質は玉石混淆も甚だしいし、一ヶ月日本円で5000円程度かかる。一方で、無料というか違法性は無視して見れば、無料のアクセス手段を知っていればエロにかかるコストはインフラにかかるコストを除けば限りなくゼロに近づく。
ネットでのエロへのアクセスができる人間の間での格差はたいしたことはないだろう。有料でも無料でも、アクセス可能なコンテンツと言う観点だと共通のものが多い。
格差が大きいのは、ネットでのエロへのアクセス手段がある人間と、雑誌や、レンタルDVDなどの手段しかエロへのアクセス手段がない人間の間だ。
ネットでのエロへのアクセス手段を持っている場合、質だけでなく量に関しても圧倒的に雑誌エロ派(派と言うには自発的に選ぶわけではないかもしれないので不適切か)よりも多くのエロにアクセスしていることは言える。
量に関しては自身の選択によるものが大きいであろうが、レンタルDVDで1週間に10本借りる人はまれだろうが、ネットエロ派は1週間に10本しか目を通さない人は逆にまれだろう。
ネットエロ派に起きているのは、いわばエロインフレとも言うべき状況だ。
電車広告なんかと見ているとよく思うが、ネットエロ派の大多数は「ほしのあきの谷間」だとか、「お天気お姉さんの純白パンチラ」なんかには「圏外」なこと甚だしいだろう。「現役スチュワーデスヌード」とかもしかりで、ピクリともしないだろう。
ここで注目したいのは、こういった雑誌、週刊誌のコンテンツで「興奮できる」という需要があることで、「そんなものでおかずになるのか」というようなものが需要があることで見えてくる格差だ。
ネットでのエロへのアクセスが可能な人たちは、無修正のエロ動画やエロ画像なんて見飽きているだろうし、おっぱいが見えているぐらいではなんとも思わないぐらいにエロ感度が下がっているだろう。新宿や吉野町を歩いているときに風俗の看板を見ても、なんとも思わないのではないだろうか。その程度の露出では彼らのエロアンテナにはまったく引っかからない。ヘアヌードなんて、生ぬるいのだ。セミヌードなんて「帰れ!」というのが正直なところだろう。
ネットでのエロへのアクセス手段を知り、求道してきた人たちは、雑誌エロ派が数十年にわたって触れてきたコンテンツ量を数ヶ月で消費可能である。そこには圧倒的な量の格差が生じている。また、質に関しても、ネットエロの場合はモザイクなし、ありとあらゆるフェティッシュに応じたコンテンツが簡単に手に入る。量と質についての圧倒的格差が生まれているのだ。
週刊誌やスポーツ新聞で興奮できるなんて、ウブなんだな、という見方ができる。圧倒的な量と質のエロに触れて数年を過ごした人たちは、エロに関してインフレが起きていて、ちょっとやそっとのエロでは圏外なのだ。素人が脱いでいたり、女子高生が援助交際している動画なんて見飽きているし、そもそも量が多いため記憶になんて残っていない。
素人が脱いでいるぐらいでは動画の冒頭の10秒程度で再生するのをやめるのが関の山。従って、素人の一般的な女性が動画を撮られて「ばらまくぞ」と脅されたとしても、日の当たる場所を歩けなくなるなんて心配は無用だ。レースクイーンなんかの容姿で商売できるような人たちが脱いだりSEXしている動画だって掃いて捨てられているのだから、普通の素人の動画なんて注目もされない。「みんなに見られてしまう」なんていうのは自意識過剰だ。
大量のエロを消費し、エロインフレが起きている層と、週刊誌やスポーツ新聞の記事で興奮できるウブな層。おおざっぱにそれぞれ前者は若い世代、後者は年齢が高い層にわかれているだろう。
エロに関する感受性の格差は、セクハラのガイドラインにも再考を迫るかもしれない。ネットでのエロへのアクセス手段を持つ女性は増えているだろうし、女性でもエロインフレを起こしている人は多くなってくるだろう。そうなったときに、セクハラの当事者となることが多い年齢が高い層と、若い女性の間でエロ感度が異なるため、年齢が高い層が「セクハラ」だと思って行う言動(行動は別か)が、若い女性側では「そんなのセクハラにならんよ」ということが多くなるかもしれない。
セクハラのガイドライン是正はさておき、エロ感度格差是正のためには、質的観点では雑誌やDVDでの外性器に対するモザイクの解禁が考えられる。そもそもなぜ今のようなダブルスタンダードが許されているのだろうか?その前になぜ外性器にモザイクがかけられているのか?どのような意味を持っているのだろう?法律がある?外性器にモザイクをかけることのメリットがさっぱりわからない。子どもや見たくない人が見てしまう、という懸念があるならば、そのコントロールはネットの方がやりやすいだろう。
モザイクの技術を発達させても、それは発泡酒と同じだ。発泡酒のうまさを追求しても、日本でしか売れないし使えない技術で意味がない。発泡酒の技術を追求する投資なんて無駄の極みだ。携帯電話と同じガラパゴス化を目指すのか?企業の世界的な競争力を削いでいるだけだろう。