名前を隠して楽しく日記。
オッ、オレに聞かんでくれえッ!!!!!
そもそも極に氷がある
その水はどこへ消えたのか?
どこに残っているか?
おそらく地下では?
この予測はほぼ当たっているしそれが実証されたとしても驚くに値しない。
というようなニュアンスね。
オッ、オレに聞かんでくれえッ!!
都知事選インタビューでやり返されたことを精神科医に見てもらう風な感じで石丸さんを異常者扱いしてたわ。
精神科医の先生のほうは石丸さんをベタ褒めしてて台無しになったみたい。いまだに私怨たらたらの情報媒体とか本当にテレビは終わってる
オッ、オレに聞かんでくれえッ!!
区別がついてないってのは誤読じゃないの、あの本屋のクレーム対応がおかしいって話なんだから
BtoC商売してるような小売りは、納期に間に合わなかったら他の小売りで調達して詫びることあるでしょ
まず、「定義的におかしくなる」という指摘は、クィアという概念の範囲とその含意についての議論に基づいています。この議論は、クィアという用語が本来指す範囲が広義であること、つまり「正常」とされない性的指向を包括するため、ペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリアなども含むべきであるという論点に関わるものです。ここで焦点となるのは、社会的に「正常」とされるか否かであり、性的同意の問題とは異なる概念です。
性的同意の有無は重要な倫理的かつ法的な要素ですが、この文脈において議論されているのは、性的同意とは無関係に「クィア」という言葉の適用範囲がどこまで広がるべきかという問題です。「定義的におかしくなる」という主張は、性的同意の有無ではなく、クィアという概念が本来持つ意味の一貫性や範囲についての議論であり、これに対して反論するためには、その意味論的な広がりとその正当性についての理解が重要です。
したがって、この文脈では「性的同意があるかどうか」という要素は、本来の議論の焦点ではなく、クィアという概念の定義やその社会的・文化的な適用範囲を巡る議論が主題となっているため、性的同意の話に持ち込むこと自体が議論をすり替えるものであると言えるでしょう。