ってなんかあんのかね。
うちの両親(高学歴で知能は低くないはず)と会話をするのがなんかものすごく疲れるんだよなと思ったら、相づちみたいなものを一切打たないんだよな。
他人の話を興味無さそうに聞き流すか、自分のしたい話(学生時代の思い出話とか歴史のうんちくとか)をただひたすらに起承転結もなく話し続けるかで、会話らしいやり取りとか全くできない。
俺は赤の他人とですら、延々自分と関係のない話でも興味深く相づちをうちながら聞いてられる方なのに、親とだけは疲れてしまうのですぐいやになる。
何が悲しくてBBAに婿入りしなければならないのか
そもそも反社反日カルトの自民党が大っぴらに政党として選挙活動するのが間違ってるんだよ
それを正す意味でありとあらゆる手段で自民党の選挙活動を妨害するのは、司法が手が回っていないことを市民が補うと言う点で合法であり正当
しかし、バーにおいて実際にアルコールを口にしたのは、『青鞜』の中心人物であったらいてうと荒木郁子の二人だけであったという。当時は女性がアルコールを飲みに出かけることが一般的ではなかったため、ほかのメンバーたちは躊躇してしまったのだ。女性解放を掲げる人たちでさえ古い慣習の束縛は強かったのであり、その中でらいてうが非常に自由な精神をもっていたことがうかがえるだろう。
らいてうが訴え続けた女性解放、男女同権の考え方は、戦後社会の中で徐々に結実していく。1950年代から始まる経済の高度成長と、60年代後半からの「ウーマン・リブ運動」を経て、女性が社会に出て仕事を持つことは珍しいことではなくなる。それと同時に、戦前までの女性に対する蔑視や偏見も薄らいでいった。
それを象徴する現象として、女性が飲食店などでビールを当たり前に楽しめるようになったことが挙げられる。1956(昭和31)年の調査では、「女性もビールを飲んでよいか、飲まない方がよいか」の質問に、女性の過半数以上が「飲んでもよい」と回答。高度成長期に入ると、戦前は男性が占有していたビアホールに、続々と女性が進出しビールを嗜むようになる。『青鞜』のメンバーでさえ束縛されていた、女性が飲酒することに対する社会的偏見は、戦後社会の発展の中で急速になくなっていったのだ。
ワイは常に真面目やで。
そう思ってる人は多いけど、まともな人はこんなところで悪ふざけしないんだよ