小学校の後半か中学ぐらいに租税教室ってあって、税務署の方から人が来て
「君たちが学校に通うために、エー、ひとりあたり年間百万円ぐらいの税金が使われているのです・・・」
「ここまでで質問ありませんか」
僕「学校通えなくていいので、毎年僕に百万ください」
Java は進化してるし、JVM で動作する他の言語も増えて技術の幅は大きく広がった。
今は OSS の JDK が乱立していて、そのどれを使って開発すべきか決断することも一つのノウハウとして必要。
他にも今なら DevOps のために自動ビルド・デプロイの仕組みから設計していく必要がある。
まともな会社ならそろそろ Java をコンテナで運用する流れになってきてるから、マイクロサービス的な設計も意識する必要があるし、暖気運転が不要な Java 実行環境なども考えて作っていく必要がある。
君の縄。 -Your rope.- が秀逸過ぎたんだよ
中高と運動部だったんだけどいまだにその部活の夢を見る。特に高校時代の方。
当時の部員と会ったり話したりする機会はほぼないのに。
正直部活にあまりいい思い出はない。実力が伴わないのに目標ばかり大きく、チームはなかなか勝てなくて、部員はいつも暗い顔していて、意味があるかもわからない空気最悪の反省ミーティングを繰り返し、私は顧問に認められようと必死だった。今思えば間違った努力の方向だったけど。
楽しい思い出もないではないし、学びもあったが、いまだにフラバするような惨めで恥ずかしい思い出もたくさんある。
でもそんなの、別に珍しいことじゃない。あれから十年以上経って、もっといろんなことがあって、そのなかの一つの経験にすぎない。
そう思っているのに、しつこく見るのは部活の夢ばっかり。
夢の中の私も当時のように四苦八苦しているが、いつもなんとなく状況が好転し、最終的には希望が見えてくる展開だ。現実はちっともうまくいかなかったのに。そして顧問に認めてもらえて、私は喜ぶ。
それが毎度たいへん虚しい。
いくら苦いとはいえ遥か昔に置いてきた経験と記憶だと思っているのに、あまりに夢に見るので、潜在意識下ではまだ癒えない傷跡でも残っているんだろうかと、今朝考えた。
キツめのお締まり
ええと、テレビはいつまでもブラウン管ではなかったし、車はオートマ車が出現してマニュアル車は減って行ったが、当時「液晶テレビが一般化するまでテレビを買わない」とか「車はオートマ車が出て来るまで買わない」とか言ってた人の立場からすると、どうなんでしょうね。
すずめの設定が雑なんだよね
居なくなった母を想って塞ぎ込むシーンがあるでないし
看護師を目指してるのは実母の影響だろうけれど
それを叔母と話し合うでもなければ、何かの伏線という事もない
おもちゃの椅子が母親の形見であることは強調されまくるが、これが何かと繋がるでもない
日記を黒く塗りつぶす程のショックがトラウマとして残ってる風でもない
別にそれで衝突が起こるわけでもない
そういう風に、作品中で殊更大丈夫だと描かれたすずめが、大丈夫だよと4歳の子に語り掛け大団円
あれ、震災にあった人はどう受け止めるんだろう?
とかモヤモヤしたよ