分かる。分かりすぎて異国の地で同郷の仲間に会えたような嬉しさがある。
いったれウオミー
飛行機代で五億円が無くなるのが先か死ぬのが先か?誰か言ってたように、投資で増やせばマイレージマイライフみたいに、一年の1/3は飛行機の生活になりそう。入院やコロナの隔離期間があると死ぬんだね。かなりハードだわあ。
そろそろ終わりそうな予感がする
これまで体調に大きな変化はなかったけど、ここにきて生理がくる前日あたりは眩暈が酷い
何かのバランスを崩してるんだろうと思うけど、起き上がれなくなるぐらい辛い
やっと終わるんだ
「おぱんぽん」というのがあるが
遺伝子的な体の相性で体臭をいいと感じるかどうかって大事らしいよね
体臭をかいでいい匂いだなって感じた思い出話とかその相手はどんな関係だったかとか聞きたい。
自分は大学生の頃、塾講師やってたんだけど、担当してた高校生の女の子がカバンから教材取り出そうとした時に髪がふわってなって、その時の汗とシャンプーの匂いがめちゃくちゃ衝撃的だった。
去年の秋にお父さんは肝硬変で亡くなった。
お父さんは終戦の年に生まれたので、この時期になるとニュースでお父さんの年齢が流れる。今年で76だ。生きてたら。
お父さんとは年が離れすぎていて、仲良くも悪くもなく、あまり話さなかった。それでもちゃんと育ててくれて、欲しいものは買ってくれて、やや貧乏だったけど不自由なく生活できて、ずっと薄味の幸せを感じられた。僕はお父さんの息子でよかったと思っている。
もうすぐ亡くなるってときに、お父さんに「育ててくれてありがとう」と伝えた。とりあえず言っておかないとという気持ちで。お父さんは泣いてしまった。
お父さんにしてあげられなかったことがたくさんあって未だに後悔するけど、「育ててくれてありがとう」を伝えられただけで幾分かマシになる。伝えられてよかったと今でも思う。
お父さんと会わない夏なんて何度もあったはずなのに、今年は妙に物悲しい。僕の人生から、「お父さんと何々する」「お父さんに何々する」といった選択肢がごっそりなくなったのは、すごく寂しい。スイカを買ってきて、クーラーの効いた部屋で、お父さんと一緒に赤い鍾乳洞を作ったあの頃が恋しい。
お父さんが亡くなってから、僕はエナジードリンクを飲むようになった。特にエナジーを必要とするわけでもなく。お父さんが肝硬変で死んだように、僕も糖尿病とかで死ぬんだろうな。
子供の頃、初めて自分のものとして与えられた傘は、使い古してちょっと壊れた透明のビニール傘だった。
田舎では、学校が遠いことなどもあって、子供が傘を忘れると親が学校に届けてくれる家庭が多い。
少なくとも自分の通った小学校ではそれが当たり前で、雨の日に傘をささずに学校から出るとそれを見た担任から呼び止められて親を待つように言われた。
初めてのときは素直に待ったけど、同じように傘を忘れた子供には迎えが来る中、自分は最後まで残り、そのまま暗くなったので雨の中を歩いて帰った。
家に着くと、親から「お前に傘をやっても意味が無いな。」と言われた。
傘を電車に忘れたときには、駅員さんに相談して見つけてもらって終点まで取りに行ったけど、
忘れ物を「骨が一本内側に折れ曲がった透明のビニール傘」と照会してくれたときも、それを取りに行った自分に渡してくれたときも、駅員さんたちは微妙な顔をしていた。
でも、当時の自分にはその表情の意味は分からず、ただ大切な傘が戻ってきたことに安堵した。
その後、台風の日に傘は完全に壊れ、ずぶ濡れになって帰宅すると「おまえはすぐに物を壊すな」と言われた。
今、職場の自分の机の中にはいろいろな色の折り畳み傘が10本弱ストックしてあって、傘が無くて困っている人がいるとどんどんあげてしまう。(もちろん、大抵の人は後日返してくれる。)
恐怖に真剣に向き合いすぎでは。考える度に強化されそう。
注射で迷走神経反射を起こす人は一定数居るし、業務で注射を打つ人なら知っている。
打つ前に申告すれば、横になって打つか、設備が無ければ補助役をつけられる。面倒をかけると思いそうだが、黙って倒れられるよりずっといい。
というか居るのは前提なのでそのコストは織り込み済み。対処フローは向こうが持っているから任せればいい。
読み返したら採血のときは申告しているから、言うまでもなく知っているか。失礼。
エレベーターの方も乗らなければいいと思うんだが、ご家族の理解が無いと難しいか。別行動を取ると「大丈夫だから」とか「そんなに怖がるのはおかしい」とか言われそうだ。
人と居れば何かが起こってもどうにかなりそうと思えるなら、一人の時はエレベーターを使わないだけで済みそう。それをおかしいと思う必要は全然無い。
素人なので聞きかじりだが、恐怖症の治療も「怖くなくなるようにする」のではなく、「現実的に困っていることにフォーカスし、対処法を積み上げていく」という方針になるらしい。怖くても大丈夫になるというか。