子供の頃、初めて自分のものとして与えられた傘は、使い古してちょっと壊れた透明のビニール傘だった。
田舎では、学校が遠いことなどもあって、子供が傘を忘れると親が学校に届けてくれる家庭が多い。
少なくとも自分の通った小学校ではそれが当たり前で、雨の日に傘をささずに学校から出るとそれを見た担任から呼び止められて親を待つように言われた。
初めてのときは素直に待ったけど、同じように傘を忘れた子供には迎えが来る中、自分は最後まで残り、そのまま暗くなったので雨の中を歩いて帰った。
家に着くと、親から「お前に傘をやっても意味が無いな。」と言われた。
傘を電車に忘れたときには、駅員さんに相談して見つけてもらって終点まで取りに行ったけど、
忘れ物を「骨が一本内側に折れ曲がった透明のビニール傘」と照会してくれたときも、それを取りに行った自分に渡してくれたときも、駅員さんたちは微妙な顔をしていた。
でも、当時の自分にはその表情の意味は分からず、ただ大切な傘が戻ってきたことに安堵した。
その後、台風の日に傘は完全に壊れ、ずぶ濡れになって帰宅すると「おまえはすぐに物を壊すな」と言われた。
今、職場の自分の机の中にはいろいろな色の折り畳み傘が10本弱ストックしてあって、傘が無くて困っている人がいるとどんどんあげてしまう。(もちろん、大抵の人は後日返してくれる。)
ちょっと切ない今日の増田文学