研究における「日本語」の重要性は、キズナアイの件で文系研究者増田が散々いろいろ論じてたなあと
たしか日本語の学術言語としてのシェアは普通に大きいから、ある程度日本語で書くのは普通に合理的とかいうのもあった気がする。
そうだね。下手に壁を壊して空気を入れるより、粉塵爆破をおこさせてしまって、空気をなくしてから壁を一斉に粉塵爆破などで壊したほうが結果論火災がちいさくなることはあるね。
あとバブル以前の遺産を食いつぶして30年でまだ何とか持ちこたえててそれが今ってとこだろ。
ちなみに、世界恐慌の後衰退したってのはアルゼンチンがあってな、1930年以前は一人当たりGDPが世界の10指に入ったんだ。
だけど世界恐慌の後産業の転換もできず、ずるずると衰退していって、それでも1960年ごろまでは先進国の一つだった、さらに衰退していて経常赤字が頻繁になるようになってデフォルト常連国になってるのが今。
大規模経済危機を迎えると企業は保身に入って高貯蓄・低設備研究投資の資金余剰になるんよ。だけど、高貯蓄で経済を不景気に招き、低設備研究投資で産業力を落とす。他の国は競争のために金をかけてるのだから。
普段ははてブから高みの見物をしてるんだが、ちょっと言いたいことがあるから下界に降りてきたわ
たしかに、おれんとこも毎回それ出るwww
ああ、その意味では大学と、小中高校両方だな。つまり教育公務員、公産業をぼこぼこにたたかれて「政府が何もしないのが理想的!財政均衡すべき!」とやったから崩壊したな。
ブクマで「バカチョンカメラ」を挙げてる人が何人もいるけど、逆だよ
差別的なので「バカチョンカメラ」という呼び方をやめてコンパクトカメラとかインスタントカメラと言い替えるようになったんだよ
「バカでもチョンでも」という言い方は当時もはっきりと差別のニュアンスはあったし、バカチョンカメラの普及によってそのニュアンスが薄れたという事実もないし今もそうでしょ
ただしバカチョンカメラのバカチョンが本当に「バカでもチョンでも」から来ているかはじゃっかんあやしくて、「vacation」をイタリア語風に読んだという説もある
これが本当だとすると、本来差別の意味がなかった言葉に差別のニュアンスが強引に見いだされたわけで、むしろ元増田のテーマとは正反対になるよね