こっそり仙豆をまぜておくとバレない
「女王蜂に奉仕する存在が働き蜂である」「働き蜂かわいそう、女王蜂は偉そう」みたいな視点は、過度な擬人化による偏見そのもので、実際には蜂たちのコロニーは一体となって生存しているのだし、女王蜂と働き蜂の間に権力の勾配や、権力に伴う支配被支配の感情があるわけではない。
同じことで、人間のオスがメスに奉仕する存在であることを、オスが劣等であることと同じに見てしまうのは、単純に偏見で間違い。
個々人が満足していればそれ以上の要素は何もない。妻に給料を渡して夫としての肯定感を得られるのであれば、そうする。できないなら他の納得を相談する。それだけのこと。
どこが酷い? 普段これでネイティブに紛れてるのでぜひ教えてほしい。
なんならネイティブに説教するまであるし、ちなみにTOEICは今よりもっとずっと英語が分からなかった頃に950点越えまで取ったことある。
増田にまでdecronym導入すんの?
楽しいことは作るんだよ!
「見下すのは大事」というのはわかる。
しかし、見下すのは自分の心を守るのには役にたっても、あまりやりたいことじゃないし、女性を見下してみたところで、自分が救われるわけじゃないんだよな。
ふむふむ。それでそれで?
もちろん呼ぶよ
多分意味が通じてないんだろうと思う。少し補足するから意味が通じることを願う。
女性が社会の中心になっているのは、現在の状況よりも「伝統的な性役割」を考えてもらうとわかりやすいと思う。「女性は家庭を守り、男性は家族を養う」というあれだ。
これがわかりにくくなっているのは、現代の現実では女性も外で働いている、つまり、女性も社会の外周に出てきているから。でもそれは程度の問題であって、まだまだ家庭に残る傾向が強く、またそれが承認されやすいのは男性よりは女性だということは明らかだと思う。
女性のために男性が存在しているというのは、人類の歴史を考えるとわかりやすいと思う。今も昔も、人類社会は女性が子供を産み育てるのに男性が必要であるという制約を中心にして成り立っている。そうでないと人口が存続できないから、当然だろう。女性は生まれる数が男性よりもわずかに少なく、また一人当たりに残せる子孫の数が男性よりも少ない。ということは、遺伝的に選別を受けるのは女性よりは男性であり、実際に未婚率は男性の方が高い。
身近な男女の関係を考えても、例えば収入は男性の方が多い。ということは、男性がより多くの負担を払っていて、男性がより多くを与えているということになる。
ほんとほんと
やっぱりないか…