あなたのためにこんなに苦労してるのよと唱えられて育てられた。そのせいか物心ついたときから、存在していること自体がなんだか申し訳なくて、生まれてきてすみませんねって風にずっと過ごしてた。無理して高いものを用意されたりすると、そんなことまでしてくれなくていいのにと思った。その苦労のせいで、こんなにしてあげてるのにお前は!と普段の生活のなかで苛つかれるのが凄く嫌だった。
ところが、大人になってこれまでの全ては親の見栄だったのかもしれないと気づいた。大学の友人達は親と健全な関係を築いていたからだ(少なくとも僕の両親や親戚のそれとは全く異なっていた)。これまで僕に選ばせる形できた道は、親の世間体とか親戚同士の見栄の張り合いとか、そういう事のためだったのかと妙に納得した。僕はそのために生まれてきたんだ。皮肉なことに、大学まで行かせてもらったからこそ気づけたのだけれど。
そんな風に大人になった僕は、親になることに魅力を感じない。むしろ早く役目を終えて眠りたいとさえ思う。バブル真っ只中だった親世代からすれば、自家用車を乗り回し、子供を大学に入れてそこそこの企業に就職させるのがステイタスだったんだろう。でも僕はそれをしたい(させたい)とは思わない。たぶん本当の意味で家族が欲しくなる頃には、もう年齢的に手遅れなんだろうと思っている。
これからも奴等はきっと、結婚はまだか孫はまだかと問うだろう。そして当然のように手厚い介護を要求するだろう。なぜならそれが奴等の価値基準だから。親戚や他所の家と比べて(金銭的な見栄えで)優位に立ちたいのだ。さもしい奴等め。
彼等にとって子供とは彼等の人生を彩るために存在している永遠のアクセサリーだ。でも、アクセサリーはなくても生きていけるだろう?少子化上等くそくらえだ。
機械かも知らんぞ?
高価なアクセサリーが欲しいなんて贅沢は言わないがせめて食べ物以外が欲しかった
他の月に生まれた子は同じ金額でもプレゼントがハンカチや文房具みたいな形が残るものを貰えるんだ
バレンタインの先取りはやめろ
貰う立場だから直接は言わないけどチョコを貰った時のガッカリ感はヤバい
鬱だ
でもお前は育ててもない見ず知らずの他人の息子娘に下の世話をさせるんだろ
そうじゃないので上級国民/上級労働者 以外の おっさん おばさん はイケてないのだ。多くは子ども優先
金ないのに自分の遊びや外見や自分のキャリアガーとかやるアホもおるけどね
子どもを代弁し、守ろうとする親御さんの言葉を否定することだけはいい加減止めよう
コンビニのラノベの表紙が気持ち悪いと言ってたら本当にその子が気持ち悪がってるんだよ
児童相談所の職員が嫌いと言ってたら本当にその子が嫌ってるんだよ
銭湯のLGBTが怖いと言ってたら本当にその子が怖がってるんだよ
一番弱い者のことを考えようよ、な?
人間(飼い主)が死んだら一緒に暮らしている犬や猫はどうする?すぐに保護してくれる人やその後の引き取り手はいる?
犬や猫の方が年取って介助が必要になったら仕事はどうする?独りでお世話していける?
命に対する責任って何?
左翼側も同じようなこと言ってたぞ