Twitterでず~っとダメな作品のダメなところを熱心にツイートし続ける人をフォローしてるの疲れるわ
最近はダメと断ずる作品の読者にまで頭が悪いとかサイコパスだとか言いだすようになってかなり悪質化してきてる
良い作品の良いとこいっぱい呟く人をフォローして前向きに生きていこう
あれもダメこれもダメって言葉ばっかり見てると頭に引っかかって何も描けなくなってしまう
ミュートしたことで奴にとってダメなゴミ作品になろうとも作らないより100倍マシだ
恩ってさ、与えた方はその行為を忘れてて、与えられた方はそれをしっかり覚えてるってのがカッコイイんだろうけどさ、実際のとこ与えた方はしてあげたこと覚えまくってるし 与えられた方は時間と共に感謝が薄まって忘れていくもんだよね?
自分全く逆だ。「クソオンナのピーーーーにぶち込んどけ、で」で、急にえっナニコレ…面白い…てハマった。
それまでは、今流行ってるらしいから、まあ聞いて上げますよ~みたいな上から目線だった。
冷やかし気分で聞いてた。
聞かなかったら、多分ここまでハマってなかった。
ハマる前は、ドラマCDで誰が誰の声かサッパリ分からず、???だった。
WWWで帝統が理鶯に「またメシ食わせてくださいよ!」も今ならすぐ分かるけど。当時はワケ分からなかった。
いま思うとビックリだ。
ノーブラだけでなく、けっこう薄着されていて、対面で話すと乳首のポッチがうっすら見えるくらいだ。
それじゃ今欲しいドキュメントには使えない。
仮に東大かどっかのお偉いさんが頑張ってやったとして、多分現場(下流)のエンジニアには判読不可能になると思われる。
英語(というかインド・ヨーロッパ語族とか中国語とか)は物事を定義する構文に向いてる。最近では構文もユニット化してるから表現がブレない。日本人にしてみれば細かなニュアンスが思いっきり犠牲になってるが、そんなもの無いと思えば障害にならない。
日本語はそもそも物語を伝える機能に優れてる。フローにはマッチするがストラクチャには向かない。単純に単語を定義する構文を考えても無限に近いバリエーションがある。しかもそれぞれにニュアンスが違うし。パブリックな語法だけに限っても数種類のパターンが簡単に思い浮かぶだろう。
俺が安楽死の話を簡単にするやつが嫌いなのは、内心そういうこと思ってるだろうと感じるから
たとえ自分を対象とした自虐であっても、優生学的な考え方には極力慎重であるべきと思う