なんか日に日に他人への興味を失っていく。自分にしか興味なくなってきている。昔は人の目気にしてばっかで、周りが全てだったのになー。他人の生態には興味があるので人間観察とか増田とかネットストーキングとかは今でも大好きだけど、他人との関わり合いには興味持てなくなってきた。他人の不幸も昔は一緒になって悲しんでいたのに、今じゃへーそう、ふーんとしか思わない。どこで間違ったんかなぁ。
夢見んな
日本国内なら自分達が差別する側だからわかんないだろうが、俺達東アジア人は欧州とかからすれば黄色のサルだ
そういう希望抱いて外に出る奴は痛い目遭いやがれ
大半のモブはデマでした!とか実は被害者側でした!ってなると「ごめんなさい勘違いでした(ヘコヘコ)」とか謝ったりダンマリ決めこむけどさあ。
ちがうなあ、むしろ「卑劣な悪人(疑惑)」「何も非がない被害者」になった時こそもっと叩いて粘着すべきだろ。
弱者になったんだぜ?心に傷を負った弱者ね。サンドバッグとしては最高じゃないか。自分が正しいと信じて必死に耐えてる初期よりも、もう色々あって疲れ果ててる弱者。
これに追い打ち仕掛けるって絶対楽しいって!「周りの謝罪なんて期待してません」「もういいです」とか強がってるけど、ハラの底で優しい言葉と俺らのごめんなさいを欲しがってるんだって。そこを裏切るの!マウントとれて絶対気持いいよ!
「なぜ私が謝る必要があるのか?火のないところに煙は立たないし、あの扱いは正当である。」「疑われる側にも原因がありますし、一概に彼(彼女)が100%被害者とは言えないはず。」とやつらを理論的に責めるもヨシ。
「嘘付けやっぱお前犯人だろ。」「まだお前疑ってるから。晒しといたから。謝んないよ。」と難癖つけてもヨシ。
余罪探しもいいな。ホッとした所に追い打ちしてやっぱり悪者でした!って流れにしたい。余罪が無いなら【作り出せば】いいしな。
自分の正義信じて叩いてたやつもちょっと考えてみ?そこでお前謝るとお前がワルモンだぜえ?正義のままでいたいなら、なんでもいいから退かずに撃ち続けろ。最悪喧嘩両成敗で、お前も悪い俺は謝らないってやれよ。
まあ弱者攻撃すんの楽しいし逆張りも楽しいから俺はこうしてんだけどね。俺みたいな性格悪い人間にターゲットにされた時点で、そういう被害者達は諦めな。
いい音を出すサンドバッグや的を手放すのは嫌だし、壊れるまで遊ぶよーん。
質問に答えただけなのにソリャナイヨー
次のページを見るをクリックしたらたまに広告に飛ぶ。モドッテミルトそこに後から広告が現れてる。
回避するために、クリックするのところをスマホの画面の上のほうまで持ってきて押さないといけない。
悩まずに次のページを表示させたい。
学校で使う教材や教具や備品を売ってる会社に勤めているのだが、ホームページで商品を紹介する時に、「友達とたくさん話すことができます。」「友達と一緒に楽しく学ぶことができます。」という感じの紹介文を書こうとしたのだが、もし学校に友達がいない子がこの文章を見たらどう思うのか?すごく気になってしまった。
学校に行っている人は友達が当たり前にいる、という考えはそうでない人にとってはものすごく苦痛だと思うし、友達という言葉を紹介文に使うことによって、友達とは存在して当然なのだと強く決めつけているような気がして自分としては使用するのはあまり好きではない。
ただ、そこまで敏感になる必要があるのかと思う気持ちも一方であり、ポリコレ過ぎるなぁ、思いつつも一応紹介文には"友達"ではなく"たくさんの人"という風に変えておいた。
友達100人できるかな♫なんて、もうさすがに歌われていないような気がするし、(まだ歌われていたらごめんなさい。)安易に友達というワードを商品の紹介文に使うのは避けた方が良いのだろうか..