2010-12-09

天国だけが知っている

太陽が目にはい

たとえ、太陽が目にはいらなくても、

太陽存在することを知っている

存在したことだって知っている

太陽存在することを

知っているということが

それが、すなわち、あらゆる生命なんだ

 


何年も前に、死んだ彼女は、生命について

何かを残してくれただろうか

残してくれていただろうか?

しかして拾い損ねてはいいか

おじいちゃんは、紛れもなくおじいちゃんだったのに

オレはその現実生命を、いくつになっても理解できていない

彼らがいなくなってしまったことで悼んだのかすら覚えてはいない

オレは決して、哀しみでは泣かない

涙は絶対に流れない

絶対に、いったいどれだけ哀しくても、決してない

くやしさや、いかり、この世の無情さ、また誰かのいたみに涙することはあっても

自分はな

自身が哀しくて涙をながせることであれば、うらやましくすら思う

それで少しでも楽になれるのならな

命ってなんだ?

彼女や、おじいちゃんや、お世話になった友達のおかあさん

いまでも思い出のままだ

オレがこの世でもっとも自分をさらけだした

唯一の人間は、会ったことなど一度もない

言葉を交わしながら、思い出の中にいるようなものだ

世の中には、無数の心があるが、その終わりは誰もわからない

あらゆるふれあいが、いったいいつ終わるのか、当人たちもわからないのだ

オレの周りには大切な人が何人かいて、大切ではない人ももちろんいて

そのいずれかは既に終わっているかもしれない

それが生命の終わりとは限らないが、

会いたいのに、会えないということは、数え切れぬほど転がっている

みえるだろ

まだまだたくさん、会いたかったのに、もう会えない、二度と

まだまだたくさん、話したかったのに、話すことはもうできない

いや、話すことはできた

できたにもかかわらず、しなかったことが続いていくうちに、

気づけば終わっているんだよ

終わるだなんて思っていないんだから、そういうこともある

責められやしないよ

でも考えてみろ

世の中には、会うことだってできるのに、会わないこともあるんだよ

まだ会えるのに、もう会わないこともある

まだ話せるのに、もう話さないことだってある

いつ、片方が死んでもわからないだろ、そうだとしても、

しない、だから哀しむことすらできない形もあるんだ

目の前にいても、いなくても、同じなんだよ

から、じつは、死ぬためには準備が要る

考えれば当たり前のことだ、人間は生まれたときから死にはじめてる

そしてたいていの場合、おおくの準備期間を与えられているのに

充分な準備をおえて、さあ、死ぬぞとはいかない

からせめて、その他の人々、日本人的な考えでいえば、

その他の命のみならず、あらゆる環境や物事、社会にいたるまで

大切にすること、いかに美しく生きるかというところにその準備があたり

彼は、その点、オレにとって美しかった

彼はしんでしまったのだ

ほんとうに

いってしまった

ほんとうに

知ったのは一週間とすこし前だが

彼は本当に、オレにとって美しかった、ただの一度も

彼に対して悪い感情をいだいたことはなかった

もし彼に準備をする余裕があり

オレがその準備に応えることができるとしたら?

頼むから

ありがとうと言わせてくれ

でもそれもできなかった

誰もできなかったのだ

でも、残されたものもある

からくよくよと思い悩むのは、やめにした

卒業してから疎遠になってしまったことを悔やむのは、やめにした

言いきれなかった事を並べたてるのは、やめにした

それはなにか言い訳をしているような気がしてならない

たま飲み会や、食事で、普通に話すだけだったことなんて

後悔するのは失礼な気がするのだ

オレはなくなった心をむやみに肯定するようなことは

誠実ではないと思っているし、誠実であるということは

人の誇りを守るという意味で、なにより大切なことだと思っている

誠実さなしには何も誇れないのだから

それでもとにかく彼はいなくなり、

学生生活のように日々を共にしているわけでもなければ、

お互いがお互いの生活をもっているいまとなっても

かなしくて

かなしくてしょうがないのだ

だって彼が苦しまなければいけない理由も、

彼がしななければいけない理由も、

どこにもないのだから

それなのにオレは、普通に笑いはするし

食事もすれば、お酒ものむ

誰かを笑わせることもできるし、他の誰かのために哀しむことだってできる

一体オレはどこまでおもしろくなれるのか、試したくらいだ

そうして日常忙殺されながらも

ふと、背中の奥から、何かが揺れて現実をかみ締めるのだ

現実はいつも不意に訪れる

日々を越えて、お墓の前に立ち、目の前をくもらせながら

背中の奥からなにかこみあげてくるのを無視して

何を祈ればよいのかもわからない

彼のための思えばよいのであれば、それは日々だ

何故かなしいのに、笑えるんだろう

そういう人の愛くるしい矛盾が、にくくおもえるときもある

自然体って、なんだっけ?

これは書くべきではなかったのかもしれない

でもこれが、もし届くならば、もし未来のオレに示すことができるならば

彼女や、おじいちゃんのように、悼んだことすら思い返せなくなってしまったとき

何かがよみがえるならば、オレにはこうするしかない

帰り道、いよいよ現実感を失いながら、日常に戻るための努力した

ユニクロで買い物をしながら、袋をもって、歩いて家に帰る

日常に、日常的なことを、歩きながら、いつもの道で

雨すら降っちゃいない完璧日常だった

涙がながれていることをのぞいては

訃報から一週間以上が経ち

その答えをずっと探していたのだが、そんなものはないのだ

生命はなにも、真理めいたものを語ってはくれない

教えてはくれない

ただ、そこにあるのだ

いや、元々ないのかもしれないが、

それでも美しい思い出は残る

そして、これから先いつの日も、我々は誰かにとっての彼であるように生きるのだ

 

それがおそらく生命だろう

呼吸は関係ない

http://www.masasha.com/story/

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