はてなキーワード: 渇きとは
勤め先は20床弱の老人病院(診療所)という場所柄なのだろうか、月に数名の患者様が亡くなられる。
つい先日、出勤したら患者様が亡くなったところだという。90余歳のお婆さん、大往生だった。
最後の研修とばかりに初めてエンジェルケアにご一緒させてもらった。
「もうお茶が飲みたいって言ってくれないんだねぇ」と語りかけ、
その言葉にハッとさせられ、後悔の念がこみ上げてきた。
起きている時はほとんど常に人を呼び、
「お茶が飲みたい・ベッドを上げてくれ・あれを取って・これをこうして…」
そんな要求が絶えない方だった。
寂しいのだろう、とみんな思っていた。自分も。おそらくそうだったのだろう。
呼ばれて飛んで行けばその場で用事を考えたりもされていた。
忙しい時などは「ちょっと待っててくださいね」と言って後回しにしてしまうこともあった。
今考えれば、もっとお願いを聞いてあげられたのではないだろうか?
寂しいのなら、もう少しお話を聞いて差し上げることもできたんじゃないだろうか…?
ご遺体をを拭きながら自分の狭量さに恥ずかしくなってきた。本当に今更な話だった。
他の患者様もいらっしゃるので全てのご要望を叶えて差し上げるのは無理だ。
だけどもう少し患者様の気持ちになって、もう少しの優しさを持っていれば。
そう心がけていれば、もしかしたらこんなに後悔はしなかったのかもしれない。
仕事で接する方だけではなくて、日ごろの人間関係にも同じ反省を。
もう少しの優しさと思いやりを持って身近な誰かの声に耳を傾けるような、思いを推し量れるような、そんな人で在りたいと思った。
http://774.tumblr.com/post/3029785215/to-all-the-people-of-world-the-people-in-egyptに掲載されていた英文を和訳しました。
世界の人々へ
エジプト国民はエジプト政府による包囲攻撃の最中にあります。ムバラク体制は、現在、フェイスブックやツイッターを含む人気が高いインターネットサイトへのアクセスを禁止しています。
明日には、政府は三つの携帯電話サービスを停止するでしょう。また、明日になれば固定電話回線も切断されてしまうかもしれない、というニュースも入ってきています。現在エジプトで起こっていることを、報道機関が連絡できないようにするためです。
スエズもすでに包囲攻撃にさらされています。政府は水道と電気の供給を停止しました。子どもや老人を含む人々は、今喉の渇きに苦しんでいます。病院にいる患者は応急処置すら受けることができません。運動への参加により負傷した市民は道路に横たえられていますが、彼らを救助しようとする動きを機動隊が妨害するのです。
また、運動に参加したことで殺された市民の家族らは、彼らの息子を埋葬しようにも、遺体を引き取ることもできません。この写真は北サイニ(エルシェイク・ゾヤ・シティ)と西エジプト(アル・サロム)のものです。機動隊は、抵抗する市民を弾圧しています。イスマイリアで、アレクサンドリアで、ファヨウムで、Shbin Elkoumで、そしてカイロで、住人が道を行き交う中、機動隊は抵抗する市民を弾圧するのです。
政府は、エジプトのすべての都市で、抵抗する市民を弾圧しようとしています。政府は催涙ガスやゴム弾やプラスチック弾、低濃度のマスタードガスのような化学兵器を、抵抗する市民に対して使用するのです。幾人かの抵抗する市民が、今日、機動隊が運転する装甲車に撥ねられ、殺されました。これまでも剣やナイフを忍ばせた私服警官が、抵抗する市民を脅かしてきたのです。
エジプトの内務相によって配置された悪党どもがカイロの街を徘徊しています。彼らは抵抗する市民を悪者に仕立て上げ、黒い噂を立てるために自動車に火を放つのです。そうすることで彼らは、カイロやその他の都市においてこの三日間行われてきた平和なデモの至るところで見られた、警察による暴力や、国による拷問を正当化するのです。
現在、地元メディアは不気味に沈黙し、国外メデイアからの報道は途絶えています。ムバラクとその手下のギャングどもは、今起こっていることを世界に伝えることができるすべてのチャンネルを遮断しているのです。自由を求めるエジプトの人々は、あなたの助けを必要としているのです。
無辜の市民に発砲する機動隊を撮影したおびただしい数の写真をビデオを見るために、アクティビストたちはYoutubeやその他のサイトに殺到しています。警察は、抵抗する市民に対して実弾を使い始めたのです。15歳の少女がすでに負傷し、25歳の男性は口の中を撃たれました。こうしたことがメディアには映らない一方で、明日には同じようなことがますます行われるのです。
このような残虐で非人間的な行いを目にしてもなお、あなたは無言のままでいられるのですか?
だめでしょう
とまりませんな
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう
もう晴明が近いので
もみじの若芽と毛のような花に
秋草のような波を立て
焼け跡のある藺草のむしろも青いです
黒いフロックコートを召して、こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまずは文句もありません
血が出ているにかかわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
ただどうも血のために、それを云えないがひどいです
ずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
わたくしから見えるのは
なんだかんだ、と
一体何処で、油をうっているのか
わかりようもありませんが
外は大雨のようだ
降り出す前に、僕は帰路につけました、これはきっといいことだろうと思う余裕はまだ、ある
家へ帰ると、インターネットで買っておいた、カメラバッグが届いている
心の平和も、宣言するには、心許ない
何が足りなくて、何が満たされているのか、わからない
こんなことばかり、恥も知らず
しかし存外、そうでもない
この渇きと、飢えが、跡形もなく消え去ったとき、僕はきっと死ぬのだろう
どうも、満ち足りないから、前へ、上へと歩んでいける節がある
何年も昔、秋の夜だったか
日付がかわって、間もなく
彼女がそう言う理由は知っていた
長年付き合った彼に、別れを告げられた
彼女が、少しずつ、しかし確かに、形作っていた、結婚という夢も崩れた
いつでも
天真爛漫に、誰よりも幸せそうに笑いながら
苦しんでいた、彼女
彼女の家へ向かったのは
それを薄々、感じていたから
彼女に限って
まさかことに及ぶようなことはないと分かっていたが
教えてあげたかった
そんな時は、もっと直接的に、感じられるものじゃなきゃ、心は救われない
それは時と場合によって
傍にいることであったり、行動であったり、継続であったり
色んな形をとりはするが、どれも
やさしさや、隣人への愛とよばれるものだと、僕は思っている
それが為になるのか、何かの役にたてているのかはわからないが、しばらく彼女の傍にいることにした
僕よりも多くの経験を重ねてきた人であることに間違いはなかったが
それでも少しは役に立てたと、今でも思う
彼女が、僕たちが、生きられる、大きな世界の何分の一でしかなかった
その人の小さな世界で、ほぼを占めていた
何かが、なくなってしまったのならば
当然、心に穴はあくだろう
もし誰かに甘えることで、仮に、少しでも
それも可能ならば、友情でもって
何故なら、残酷なことに
いくらでも、生きられる場所を、用意してくれているように思った
一人ではないこと
楽しいことは、まだ残されていること
少しの間でも、忘れられること
それがだんだん、長くなっていくこと
例え、生きていることに意味を見出せなくても
死を選ぶのは、いや、自分を傷つけるという行為が、答えになるわけではない
失ってからはじめて気付くものは、たくさんあるし、それが自分じゃ洒落にもならない
だから、うしろむきな僕が、いつまでたっても見つけられない
生きる希望は、それはそれで、よいのかもしれない
だから、この世界がきっと用意してくれているであろう、居場所を探す力だけは残しておかなくてはならない
渇いている心が、飢えた頭が、ある限りは、より善いものを求めて、歩いていく、力になるだろう
道中は、弱音ばかりで、幸福の音色を聴かせることなどできないかもしれない
しかし、満ち足りていないのなら、前へ進める
小さなことで、満ち足りぬ自身をいずれ、誇れる日がくるかもしれぬ
それが、希望を追う、力になるだろう
そしてまた、目の前の絶望にも、溺れぬよう、抗う力になるだろう
そうすれば、溺れかけているように思える、この頭の中からみても、
どうぞ一度くらいは殺された子どもの気持ちになってください。
どうやったら、他人の気持ちになんてなれるんだ?
恨んでいたのか、悲しんでいたのか、そんなものは本人にしかわからない。
子供の同意なく、親を叩けねーよ。
悲劇だからなくすべきだ、というのはあっているが。勝手に気持ちに共感すべきではない。
ちなみに、ニートじゃねーよ。母親は離婚で記憶にがあるときにはいなかったし、父親もいなかった。
そのうち、もどってきたけど、アル中だ精神病院入退院繰り返してたよ。最後は。
撒き散らすからクソの始末までしてやったよ。
俺個人のことについて言えば、だからなんだ?
他人に気持ちがわかるのか?悲喜こもごも複雑な気持ちがわかるのか?
親で苦労した奴の気持ちなんて誰にもわからねーよ。
俺達外野に出来るのは、同じ事が起きなくなるにはどうしたらいいか?ってことだけだと思ってるよ。
テレビで日テレ山本アナ自殺か?とのニュースが流れ、原因の一つとして産後鬱があげられていました。
そんな時に妻が言った発言。
鬱っていうのは、性格がきっちりした人がなるの。あなたのようないい加減な人はならないの。
私の知ってる人でも死んでる人がいるけど、死ぬほど酷いのが鬱なの。あなたのは、ただ、自分の
能力がなくて、仕事ができなくて逃げようとしただけなの。鬱でもなんでもないの。
鬱とか言って恥ずかしくないの?私だったら、人には絶対言えない。鬱の人の子供を生んだなんて
・・・とずっと責められます。
鬱に対して典型的な理解を示さない人物像がそこにありました。
ちなみに、夫婦なんだから、なんでも話して、感情を出して反応してと妻は言ってくれますが、
実際に感情を出すと、何キレてるの?私にそんなこと言っていいの?あなたにそんな権利があるの?
等々怒り出します。
いわゆる、怒らないから言ってごらんと言っておきながら、話すと怒るタイプの人物です。
何かあると、口調が荒くなり、なんで怒ってるの?と聞くと、こんなの怒ったうちに
入らないと怒ります。
話が脱線しました。
自分は以前仕事でのストレスから、病院にかかったことがありました。
その際は、客先で8:30-03:00の作業で、朝、昼、夜に進捗MTG(お客様側はシフト勤務)
で毎日責められ、精神的に追い詰められ、体にいろんな不具合がでました。(真冬なのに酷い発汗、
口の渇き、舌のもつれ、動悸、食欲低下と急激な体重減少(3ヶ月で25キロほど)、慢性的な背筋痛、おねしょ、
性欲低下等々。会社を辞める、死ぬ、逃げる。いろいろ考えがちらついていました。
その際、精神的なよりどころとして心療内科にかかりました。話を聞いてもらうだけでも、助かった
記憶があります。処方された薬も、効いてるのかどうかわかりませんでしたが、飲んでいました。
結局、この時期に、すべてを打ち明けられたのは病院だけだったような気がします。
上司には、ずっとHELPを求めていたのですが、運よく、その仕事が延長されることなく終了したので、
ストレスから開放されました。上記の症状も一気になくなり、以前、飲んでもなんともなかった薬の
効き目が強く感じてきて、飲むのをやめました。
上のくだりを付き合う前の彼女に話したことがあります。
これからも鬱の話題がでると、同じことを話すことでしょう。人はわかり合えないものです。
書いてみると、自分に甘いところも見えてきます。妻の言うこともわかるけど、こちらの言い分も
わかって欲しいと思っています。でもこれからも自分の気持ちはできるだけ言わないように
すると思います。