はてなキーワード: カラッポとは
ご存知、タレントを集めて学力テストをさせ、馬鹿すぎる誤答を晒してイジる人気企画。
いつのまにか女子高を模して女タレントばっかり登場する企画になっていた。
小森純とはるな愛が可愛いかどうかは意見の別れるところかもしれんが俺は雑食なのでなんでも好きだ。
3人出てるAKB軍団と、重盛さと美は文句なしに最高に可憐だ(重盛が一番タイプだ)。
しかし、あいつらあまりにも馬鹿すぎる。なにか脳に障害でもあるんか?
単純な足し算でつまづく。小学校レベルの漢字が書けない。中1レベルの英語が読めも訳せもしない。
出題範囲は小中学なのに、てんで正解できてない。
女は多少馬鹿な方が可愛いとか言うけど、あそこまで馬鹿だと度肝を抜かれすぎて、むしろ気持ち悪い。
かわいい女の子大好き^^と思って喜び勇んで見はじめたはずなのに
いざ誤答イジリが始まったらなんか知らんがあまりの馬鹿ぶりにゾッとしてしまった。
昔男女混合だった時の放送は、よゐこ浜口とかのバカ誤答に腹抱えて笑ってたし
イケメンでも醜男でも、男が馬鹿晒して笑い取るのはあんまり気にならない。
なんでかわいい女に限っては、馬鹿ぶりを目の当たりにすると気持ち悪いのか、自分なりに考えてみたが
おそらく、俺は見た目のかわいい彼女たちに一度は一目惚れして、イイな!と感じるが、
彼女らの衝撃的な馬鹿ぶりのせいで一気に恋愛対象から外れてしまい、心の底からどん引きしてしまうんだ。
だから、なんだか超スピーディーな失恋を味わったようなショックを受け、不快感を催す。
(まあ俺なんかは彼女たちと実際対面したら歯牙にもかけてもらえないしがない一般人なので、上から目線な話ですが。)
あと思い返してみれば、昔の男女混合時代のこの企画には
たしかモー娘。矢口とか辻加護とかも出てて、そいつらの馬鹿ぶりは別に気にならなかった。
それは多分あの子らがもともとオバカを自己申告してて、ウリにしてたからだ。
俺は馬鹿が嫌いなので、馬鹿を自己申告してる奴はそもそも好きになれない。よって失恋もない。
なんか調べてみたら重盛さと美ってそもそも馬鹿がウリのキャラのようだが
俺の場合それを知らなかったので、まんまと一目惚れしてしまったんだ。
あと、もしかしたら「あれはヤラセだ、馬鹿を演じてるんだ、実は賢いんだ」というご意見があるかもしれないが
自分自身馬鹿女が嫌いなので、馬鹿を演じることでなんのメリットがあるのか理解できない。
好きで馬鹿のふりしてるんだとしたらそれはそれでやっぱり気持ちが悪い。
結局なにがいいたいのかというと、
総選挙始まるけど、ぶっちゃけよくわからない。まだ選挙権持ってないし、投票に行くと日本はよくなるのだろうか。
俺の爺ちゃんは町の電気屋さんやってる。
小さい店だけど、CDとかLDとか売って仕事帰りのオタクのお客さんと世間話とかして、テレビを配達したりしながら孫の俺の面倒見てくれた。10ウン年前までは。
今はオタクのお客さんはほとんど店にこない。パソコンとケータイあるし。そもそも時間がない。昔は6、7時あたりには民間も仕事が終わってて店による時間があった。今はそんな時間ない。テレビもブラウン管の小っちぇーやつでも10ウン年前までは20万円くらいした。今20万円払ったら結構画面デカくて画質もハイビジョンなやつ買えちゃうでしょ。
安くしてたくさん売ればいい、って考えがおかしいのはゆとりでもわかる。人口減っているんだから。外国に売ればいい、って考えがおかしいのもわかる。外国に技術教えちゃっているんだから、日本が売れるはずがない。
爺ちゃんも歳とったから、配達行くのも大変みたいだけど、それより何より毎日仕事のことを考えるようになった。どこに売ろうとか、見積もり書かなきゃとか、そんなんばっかり。働いても働いてもお金がない。余裕もない。
そんな中で俺はぶっちゃけて楽して暮らしてきたと思う。
今この記事読んでるゆとり世代のヤツらはそう思うだろうか?
学校通ってるとかコンビニ行けば食いもんあるとか漫画アニメとかカラオケとか、そういう面で満たされているんだろう。多分。昔と比べれば。
でもこれから先生きていって、今より生活がよくなるなんて到底、心の底から、思えない。
仕事したらそんなん全部できなくなるでしょ。頭のいい人は頭のいい方法で金稼ぐかもしれないけど、俺は人より頭よくないし、要領も悪い。
だから高校卒業したら大学行って教員目指すことにしたんだよ。他の仕事よりは楽そうじゃん。悪いことしない限りクビならないし。
俺に教えられる生徒は可哀想だけど、仕方ない。
みんなそうだろ。派遣とか契約の人は日本をよくしよう!って思って働いているの?正社員でも公務員でも政治家でもそうだけど、弱いものを助けよう、っていつも思っているの?
テレビでもネットでも新聞でも、自分のことしか考えていないヤツは当然叩かれてる。でもそんなのテレビとかネットとか新聞の中でだけじゃん。
本当にみんなのことを考えて生きている人間はいるのだろうか。
言葉数が多いヤツ程信用できない、ってのはわかる。でも、何も言わず、他人のために生きよう、なんて思っている人は、いたとしても、レッドリストに載るくらいしか日本にはいないんじゃないか。
範囲が広すぎる。
じゃあ、ゆとり世代でこれから日本をよくするにはどうすればいいか、わかるヤツいる?
そんなんゆとりじゃなくてもわかるわけないじゃん。
コンビニやカラオケでバイトして、漫画とかアニメニコニコにうpしてれば楽しく暮らしているゆとりにわかるわけないじゃん。
今の時代はモノが有りすぎるからダメ、という話はよく聞く。逆に言えばモノが何にもなかったら何でもアリになる。モノがないならああしたい、こうしたい、って思って何かやろうって気になるんだろうか。
モノはどこにでもあるんだけど、それは全て俺のものではない。触れて、感じて、遊ぶことはできるけど、それは俺のモノではない。
今、中国とか東南アジアとかから出稼ぎに来てる人がいて、日本人がやりたがらない仕事をしているけど、50年後、俺が爺さんになった時には日本人がその仕事をしていると思う。外国人の金持ちが日本を動かしていて、日本人の頭がカラッポのおいぼれなんか、誰も見ようとしないだろう。
あのジジイども、昔ゆとり教育とか受けてバカになっちゃんたんだぜ。
俺は老人ホームで外国人が、偉そうに、とか言いながら一人で死んでいく。老人ホームに日本人のジジイババアはたくさんいるけど、最期は一人だ。きっと。
最近、爺ちゃんの手伝いを始めた。時給千円。
テレビとか冷蔵庫とかクーラーとか、重いもの運ぶ時に手伝ってる。ぶっちゃけ役立たずだ。力は爺ちゃんの方があるし、俺は電化製品の知識なんてない。
爺ちゃんは助かるよ、とかありがとう、とかすごく俺に感謝してくれているけど、それはきっと俺が爺ちゃんの孫だからだろう。社会に出たら、給料貰えないレベル。
俺が今思うのは、これからは爺ちゃんに楽して長生きしてほしい、ということだ。爺ちゃん、海のぬし釣り、まだ伝説の魚釣っていないだろ。一緒にやろうぜ。
爺ちゃんに長生きしてほしい。そして、俺は長生きしたくない。
1月29日 23時45分、自宅。愛してきたものが大往生を遂げた。いやあ、あんたは長生きしたよ、ホント。
もう泣いて泣いて泣いて泣き崩れた。涙も枯れ果てたなんていうけど、まさにその状態。今はカラッポ、何にも無い。
ああ、これが放心状態というものなのか。本当にカラッポで何も無いや。なんとも不思議な気分だ。
この「死」を認識し、分析し、理解し、肯定し、受け入れ、立ち直るのに何日要するだろうか。
と言いつつ、答えが出ないことは分かってる。むしろ今は考えられない。今の自分は自分であって自分でない気がするから。
もうなにもかもが無意味に思えてきた。元々ガチガチのネガティブ思考の持ち主でペシミストだからこういう事があると余計酷い。
俺、この先ちゃんと生きられるかな。なんだか不安になってきたぞ。はあああ、気持ち悪い。
つうか愛するものが死んだのち、それに依存してきた自分は自分の存在に対して懐疑的になるってなんだよ。いみわかんねえ。
いみわかんねえことが実際に起きてるんだからいみわかんねえよな、はは。
あーもうさっきから視界には面影と幻影が映りっぱなし、耳には鳴き声が響いてしゃーない。
舌を出し、瞳孔が拡大し、呼吸が止まったあの死んだ顔を思い出すと吐き気がする。亡骸を見るともうだめ。吐く。
抱きかかえてもコクッて首が垂れるんだぜ、なにせ死んでるからね。その目で見られるととても怖いんだけど、また涙が湧き上がってくるんだ。
呼んでも返事はない。触ったら冷たい。トントンと叩いても反応しない。つうか当たり前だよな、そんなの。死んでるんだもん。
明日は火葬場へ行きます。納骨もする予定です。
幸せだったのかなあ。最後は辛かったよな、注射も打たれたしな。
書きたいことはいっぱいあるんだけど、あんたとここの人たちにウザがられるからやめるよ。とにかくお疲れさん。そしてゴメン。
そもそも、中身なんてカラッポなんですから深く考えちゃダメですよ。
つまり、誰よりも先駆けてPUCなるそれっぽい言葉を使い出して、それが流行ってしまえばウハウハになるってこと。
まずは実体なんか無くても、とにかく新しい言葉を作ってしまう。
で、どこかと協力して、新しい技術をPUCという言葉で修飾するようにする。
「これはPUC的な技術ですよ」「ああこれもPUC的ですね」「これからはPUCだ!」と。
すると、自称・最先端な新し物好きが飛びついてきて、それぞれの考えるPUC的技術を発表しだす。
次に技術に疎い人達が「なんか最近はPUCとやらが最先端みたいだぞ」と注目しだし、「PUCとはなんぞや?」という特集記事を組んだりし始める。
最後に、マスコミが「皆さん、時代の最先端はPUCなんです!」と騒ぎ出して、ようやくこの馬鹿騒ぎが終焉を迎える、と。
でも、こうやって真面目に考える奴がいるから、カラッポの箱がそれっぽい何かで埋められて行くんだろうなぁ。
やりがいや達成感とは無縁の人生だったと思うが、それを悩んだことはない。それらを放棄することで、しがらみや苦痛からも逃げることができていたからだ。
全面的に逃げを打ってきたことから分かるように、私は非常に打たれ弱い。
昨年、私もそんな感じだった。
でも、この1年間で自分は変わったと思う。
だからあなたも必ず変われます。
私はその解決を、目的に求めなかった。
むしろ過程に求めた。
とにかく外に出た。人に会った。
目的は何でも関係なく、とりあえず自分を活動的な状態に持って行った。
これだけは本当によくない。
その状態に甘んじている自分を捨てよう。
就職活動それ自体も、いい経験になる。
50人にOB訪問するとか、100社の説明会に行くとか。
明らかに変わっていく自分を見ることが出来るのは、悪い気分ではない。
それを考えれば恐いものなんてない。
沢山のものを見て、沢山の人に会えば、自分の持つリソースの幅が広がる。
世界中を旅して飢餓に苦しむ人を見たらその人のために生きようと思えるかもしれない。
この時期になって、本気で「困った」と思うようであれば、生きる意味を考えるよりもまず動いてみてほしい。
本気で「困った」と思っているのなら、変わる勇気を持ってほしい。
自分が変わって、本当にこの世界を楽しめるようになったらどれだけ素晴らしいか想像してほしい。
とにかく動け。一歩ずつでいい。
去年の私にそんな風に諭してくれた人が居た。
来年あなたにも同じことが言えますように。