はてなキーワード: えことは
Re:http://anond.hatelabo.jp/20100902013402
何となくたどり着いた先はジャスコだった。クリスマスの近いジャスコは家族連れでごった返しているが、カップルは比較的少ないように思う。カップルはもっと雑誌に載っているようなこぎれいな場所に出かけてしまうに違いない、と僕は思う。高校生のカップルが目に余るほどいちゃいちゃして通り過ぎていくのは特に気にならない。若さは取り返せないから、あちらの世界は違う世界だと認識できるのだ。同年代のつつましいカップルが一番心をかき乱す。なぜ僕ではないんだろう。なぜ、僕にはないんだろう。そういう考えが頭に浮かぶのはあまり幸せなことではない。
ぶらぶらと歩きながら適当に服を見繕う。別にどこに行く当てもないけれど、良さそうな服があったら買っておくのだ。特に趣味のない僕にとってそれはささやかな散財だった。たまには甘いものとお酒でも買おうか、ということを僕は頭の片隅で考える。
クリスマスソングが流れる店内も、店内のきらきらとした飾り付けも、売り子が張り上げる声もすべて予定調和で心地よくすらある。エスカレーターのそばには大きなツリーが飾られていて、子供がその下を走り回っている。僕は肩からずり落ちてきたマフラーを外しながらぼんやりと巨大なツリーを見上げる。
けえきいかがですかぁという間延びした声に僕はなぜかびくりとして振り返った。売り子の女の子がプラカードのようなものを持って呼び込みをしている。この時期にしかみられないサンタクロースのコスプレをした、きれいな黒い髪の毛の女の子。高校生か大学生か、多分バイトなんだろうと僕は思いながら女の子を視線から外す。別に珍しくも何ともない光景だし、あんまりじろじろ見るのもなんだか変な気がしたのだ。
「けえき」
僕が横を通り過ぎるその瞬間に彼女はすぅ、と息をすってそういった。舌足らずな甲高い、売り子特有の耳障りな声の合間に人間らしい呼吸音が聞こえたことに僕は少し驚いた。思わず振り返ってしまって、彼女と目が合う。
言葉を言いかけたところで目が合ってしまった彼女は、その先の言葉を忘れてしまったみたいに目をしばたたかせた。そして、ちょっと照れくさそうにいかがですか、と小さな声で言う。
思わず振り返ってしまった僕も照れくさくなってちょっと笑う。
あまりの決まりが悪さに僕は、ください、と小声で言った。女の子はぱぁっと誰がどう見ても作り物ではない笑顔になってありがとうございます!と元気よくいう。僕は頭の中でちらりと一人で過ごすのにケーキを買ってるなんて寂しいやつだな、と思われたらどうしようと考える。
ご家族用ですか?と彼女はいった。僕は首を振ってこっちのを二つ、とショートケーキを指して嘘をつく。長年一緒に暮らしている彼女か、もしくは結婚してしばらくたってるけどまだ子供のいない夫婦のふりをして、彼女は忙しくているからささやかなお祝いでもするんだという顔をして、僕は嘘をつく。堂々としていればそういうものは相手に伝わらないんだ、と僕は思い込むことにしている。女の子は透き通った黒い目で僕を見て、にっこりと笑った。
この子は、と僕は頭の片隅で下世話なことを考える。彼氏とかいないんだろうか。カップルであるている同年代をどう思いながらケーキを売っているんだろうか。案外気にしていないのか、気にしないようにつとめているのか。それとも単にサンタのコスプレがしたかっただけなんだろうか。思い出の一つとして。
女の子は何も言わずにフォークを二つつけてケーキをひどく大事そうに箱の中にいれた。少しでも雑に扱うと爆発でもしてしまうのではないかと危ぶむほど丁寧な動作だった。なんてことはない、明日になったらたたき売られるだけのケーキだというのに、その動作は不自然にすら思える。僕はもう一度彼女をみる。
ただ僕が消費するだけのケーキをなんでこの子はこんなに丁寧に、大事そうに扱うんだろう。テレビを見ながら感慨もなく食べるだけなのに。
お持ち帰り時間はどれくらいですかぁと相変わらずの舌足らずな口調で彼女はマニュアル通り言った。僕は何となく30分くらいです、と答えた。30分もかからずに家には着くけれど、これだけごった返していると駐車場から出るので一苦労だろう。子供たちに配るためのプレゼントをたくさん載せた車が、さながらどこかの国から出発するサンタ便のように、たくさんたくさん行列をなして出口へと向かう。その中で、僕は待つ人のいない家へ食べる人のいないケーキを運搬する一人のトナカイなのだ。プレゼントを贈る相手がいないから、サンタクロースもいらない。トナカイのえさがありさえすればいい。でもたまにはトナカイだってケーキが食べたくなったり、その贈り物を自分のものにしたくなることだってある。僕はそういう不届きなトナカイでかまわない。そんなことを考えて僕は誰にもわからないように唇を緩める。
女の子はケーキと同じように釣り銭を丁寧に数えて、その硬貨が実は純金やダイヤなのではないかと錯覚するほどそうっと僕の掌の上にお釣りをのせた。そしてぴょこりと頭を下げてありがとうございましたぁ!とやたら元気のいい声で言う。その動きがあまりにも厳かだったものだから、僕は神聖な儀式に立ち会ってしまったようなある種の居心地の悪さを感じてもぞもぞとする。腕の中のケーキも何かとても特別なもののように思えてくる。僕は何事も起きないように大事に腕の中に抱えこんで、どうもと口の中で言った。箱はたった二つの小さなケーキしか入っていないはずなのにいやに重く感じられた。役目のないトナカイになぜかとても重大なミッションが課せられたような、そんな気がしたのだ。
ひっきりなしに開閉する自動扉のむこうにはちらちらと白い雪が降り始めていた。ぼんやりと口をあけて僕は空を仰いでいたけれど、忍び込んできた冷気に思わず身を縮める。白い息が鼻からゆらゆらと立ち昇っていく。ジャスコの中のざわめきは自動扉がしまると遠くなり、再びあくとまた耳に飛び込んできて、なぜかひどくさびしい気持ちになるから僕は片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手で大事にケーキを抱えて、歩き出そうとした。また自動扉が開いて、そしてあの女の子の声が聞こえる。振り返った僕の目に、あの女の子は映らなかった。かわりにたくさんのトナカイが子供を追いかけたり、疲れた顔をしてベンチに座り込んでいたり、なぜかピリピリとした顔をして怒っているのが見えた。僕は少し笑った。クリスマスのジャスコにはトナカイがたくさんいる。そして、贈り物を待つ子供のために疲れたり悩んだり怒ったりしている。時間も体力もないトナカイのためにジャスコは今日も開いている。
雪はもう静かに積もり始めている。
※この話はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは一切関係ありません。
※くそあついのに冬の話かよという苦情は受け付けておりません。
目当ての一つは東2ホールO39aの「西理件」。私の愛読している「唐沢俊一検証blog」のサークルである。
スペースの近くまで行くと、男性が三人立っており、真ん中の人が大声で呼び込みをしていた。
「本物はあちら!」「連載は終了、雑誌は休刊、(以下よく思い出せず)」「書店で買うと送料がかかります!」一字一句覚えているわけではないがこんな内容のことを叫んでいた。
私はこういう呼び込みは大嫌いだし(以前これで嫌な思いをしたことがある)、その内容もちょっとまずいんじゃないかと思った。隣の島とはいえ唐沢本人のスペースも近くにあるのである。
本を手にとってちょっと中を見てみる。内容はブログとほぼ同じである。紙媒体でいつでも見られるのは捨てがたい……でも四冊全部買うと四千円で、ちょっと財布が厳しいなぁ……そんなことを考えつつ本をめくっていると、と書きたいところだが、耳元で呼び込みの人が叫び続けているので気が散る。「ちょっと静かにしてもらえますか」と言いたくなったがぐっとこらえ、vol.2とvol.0を買ってスペースを後にした。
24日、検証ブログに待ちに待った夏コミレポートがアップされた。
それによると、例の呼び込みをしていたのは「猫遊軒猫八」という人で、kensyouhan氏もその行為に驚きつつも止めなかったようである。
これは責められないことだと思う。今回の夏コミで氏は「高森圭」という人物から「トラップを仕掛けました」という脅迫メールを送られており、自分の身のみならず周囲に気を配らねばならない状況だったのだ。まして売り子もいない一人参加なら手伝ってくれる人がいるのはありがたい。
さて、その猫八氏の行為について、コメントで触れた方がいた。
>まりお 2010/08/25 15:43
>いつも楽しく読ませていただいております。
>
>大声で呼びこみをするタイプのサークルさんは迷惑と感じます。
>ちゃんと注意して止めるべきではなかったのでしょうか?
>お疲れ様でした。
>お役に立てたようでなによりです。
>
>>まりおさん
>10:30~14:00まで私が売っておりました。
>コミケットのスタッフさんや近在のサークルさんに何度も確かめたのですがなんとも言われませんでしたが……。
>何分、私が独断でやっていた事なのでご容赦ください。
>
>あと、面倒でなければ私のほうのブログにもコメントしておいて下さい。
>売っていたの私なので。
>http://d.hatena.ne.jp/london2008/
コメント歓迎のようだったので、猫八氏のブログに「るりるり」の名でコメントした。
>るりるり 2010/08/25 19:55
>
>コミケで検証ブログの呼び込みをなさっていたのが主様とのこと。
>申し訳ありませんが、正直「うるさいなぁ・・・」と思っていました。
>周囲のサークルさんも「やめてもらえます?」とは言いづらいと思います。
>(私はサークルでの参加経験があります。ただしこれは私個人の意見であり
>ジャンルによって呼び込みが普通であるところもあると聞きます)
ただ「うるさかったよ」と書くのはちょっとキツいかと思ったので、「個人の意見ですが」「それが普通なジャンルもあるらしい」と添えておいた。
「うるさい思いをさせてゴメンね」みたいなコメントが返されるのだろうと予想していたら……
>>るりるりさん
ハァ?
「 で は 普 通 で す 」?
「耳元で叫ばれてうるさかった」と言われて謝罪も無し?
こいつ(もうこいつ呼ばわりする)、私が「呼び込みは非常識です」と書いたら何て答えてたんだろう?
なんだか「斜め上を行く」とはこういうことか、とか、どこから突っ込んでいいのかわからない。
反論しようかと思ったが、脱力しすぎたのでやめておいた。
書いている途中で思い出したが、本を買うとき、「2000円です」と言われお金を猫八に渡したら「お金はそっちです」とkensyouhan氏のほうを指された(本をどちらから渡されたのかは記憶にない)。
猫八は「売っていたのは私」と言っていたが、金の受け渡しをしていなくても売っていたことになるのだろうか?
26日、検証ブログにコミケで隣のスペースだった「綾波書店」の代表者からコメントが書き込まれた。
内容は「呼び込みは迷惑だった」「確認はされていない」「コミケスタッフにも苦情を入れた」というもの。
それに対してkensyouhan氏はコメントと記事で謝罪した。
謝罪内容はまっとうなもので、氏はこれによってサークル代表者としての責任は果たしたと思う。
が、その後事態は混迷する。
「綾波書店」氏の過去の発言から、以前から検証サイドの人々を批判しており、唐沢俊一ファンであることが判明したのである。
で、唐沢スレにはこんな書き込みが……
>510 :無名草子さん:2010/08/27(金) 11:20:46
>コメ欄で猫八を嗜めていた「るりるり」とか「まりお」も綾波の配下のモノだろ
>532 :無名草子さん:2010/08/27(金) 11:45:00
>今となってはあやしいものだしね
>先に「まりお」や「るりるり」にコメさせ
>553 :無名草子さん:2010/08/27(金) 12:06:08
>ブログのコメ欄で苦情を言っているのは「まりお」と「るりるり」だけだしね
>こいつらも綾波の配下かもしれないし
私が誰かの配下だなど、馬鹿にするにもほどがある。こういうのを表現するために「下種の勘繰り」という日本語があるのだ。
だいたい、私のコメントに猫八がああいうコメントをするなんて誰が予想できたというのか?
「大変申し訳ございませんでした」とコメントしたらどうなっていたのだろう?
検証サイドに関係のある人に少しでも批判的なことを言うと「擁護派」とレッテルを貼る人がいる状況、何なんだ。
(綾波書店氏の正体が判明する以前だが、「穏やかに窘めていた」と言って下さった方もいた。ありがとうございます)
なんだかダラダラ書いてしまったが、私のことはどうでもいい。
猫八はmixiではなく自分のブログか検証ブログのコメントで謝罪なり釈明なりをすべきである。
※8/31追記
猫八は一旦ブログを閉鎖し、その後再開して「お詫び」を掲載した(閉鎖と再開の正確な日時はわからないが、お詫びの日付は8/27)。
>私はコミケについては経験が浅く、当日販売のお手伝いのつもりでやっていた呼び込み
>は、私の職業上の経験からすればそれほど五月蠅くはないという認識でした。
・周囲がやっていない呼び込み
・ある人物を揶揄するような内容
・客の耳元で叫び続ける
これらが「では普通です」な職業というのが何なのかわからないが(殺伐とした商店街の魚屋とか?)、世の中は広いから多分そういう職業も存在しているのだろう。
>>るりるりさん
>申し訳ありません。
(今更だが、「悪しからず」というのは「相手の意に添えず申し訳なく思う」という意味である)
>謝るのは大事だけど、
>自分の発言を削除して無かった事にするのは
>よろしくないのではないでしょうか。
それに対する猫八の回答は、
>>areさん
>以後、注意します。
わかるのは、削除した理由は、考えが変わったからでも、反省したからでもないということくらいである。
唐沢スレによると、一時閉鎖の前にコメントが承認制になり、ブログだかツイッターだかに「自らに厳しい罰を課す」という一文があったらしいが、私は見ていないので何とも言えない。
<追記ここまで>
<以下は私の思い出話的なもの>
綾波書店氏の発言内容には疑問もないわけではないし、「何で今頃言うのか」というのももっともだ。
コメントでもちょっと書いたことだが、隣のサークルへの苦情というのは言いづらいものである。
私は昔、とある小さいジャンルでサークル参加をしていた。ジャンル内は知り合いでなくとも名前を言えば「ああ、あの人」とわかるくらい狭い世界だった。
あるコミケでのスペース配置で、ジャンル内でやや大手と言えるサークルの隣になった。サークル代表者とは個人的にメール交換したり、コミケ後に飲みに行ったりして親しかったので、隣になれて嬉しかった。
が、そこの売り子がちょっとアレだった。そこのサークルのメンバーではなく、私も名前だけは知っているとある人なのだが、この人が私のスペースにはみ出して本を置く、この人を訪ねてきた人が私のスペースの前に居座って延々話し続ける、私のスペースの椅子(参加経験のある方はご存知だと思うが、コミケでは1スペースにつき2つ椅子が提供される。私は一人参加だったので椅子が一つ余っている状態だった)にものを置く、等色々やらかしてくれた。
私はそれに対して注意できなかった。それどころか「あ、いいですよ~」と愛想笑いした。狭い世界で揉め事を起こしたくなかったし、友人とはいえこちらは超弱小、あちらはやや大手である。
その友人も、自分が頼んで手伝ってもらった人に注意しにくかったと思う。
だから今回のことも「まあ、言えないよね」「もし『うるさいですか?』と聞かれたとしても、『いえいえ、大丈夫ですよ』と答えちゃうだろうなぁ」と思うのである。
よくわからんけど、信じちゃうのは、頭の中で操作してるからじゃないの? アキレスと亀みたいな。
というのが成り立つと仮定しても、その水溶液に、水と溶かした(と自分では思っている)成分以外の不純物が入っている可能性が高いから、そのパターン情報をも水は覚えていることになる。
調べるも何も、1060乗倍に薄められたレメディには元の物質は1原子・1分子たりとも残ってないことがほとんど確実なんだからね。例えば食塩が100gぐらいあったとして、その中にはナトリウムや塩素の原子はたかだか1024個程度しか含まれてないんだからね。
そんな論理、ホメオの人たちの思う壺っていうかむしろホメオの人の主張を肯定してるようなもんだぞ。
相手の主張を批判・否定するなら、「相手が何を言っているか」をきちんと理解してからにしないとだめだよ。
ホメオの人の論理は、「水溶した成分」が効くといっているのではない。
「アボガドロ定数すら上回る希釈なんて、なんの効果もない」という主張は、彼らの主張を否定するどころか、
むしろ彼らの主張を肯定的に補強する論理となるということを、あなたは知るべきだ。
あなたの主張をホメオの人に説いたら「そう、全くその通り。だからこそ、ホメオパシーは副作用もなく無害な治療法なのだ」と言うだろう。
上に引用したあなたの主張は、むしろ「ホメオパシー治療法の擁護論」ですらある。
もう一度言うが、ホメオパシーの人の主張を否定するなら、「彼らがどういう論理、どういう仮説をもって主張を展開しているか」を分析して
それに対して正しく反論すべきだ。
俺は別に「俺に絡んでさえこなければ」そんなものはどうでもいいと思ってるがな。
マジかよ。心広すぎだな。
なんでそこまで怒るの?図星だったから?
世の中にはイロイロな人がいて、育児や家事に力を入れている夫がいることも、あなたには理解できるはずだ。
少なくともあなたは家事や育児のつらさをわかっているはずだ(と思う)
そのあなたがなぜ「世の中の男は家事も育児もわかってない」という固定観念を持ってしまっているのか?
そのあたりを俺は知りたい。
だけど、朝七時に会社いって、夜七時に帰ってくるんじゃ、
やってる育児はオマケみたいなもんだよね、悪いけど。
俺はこんな家事やってるぜ! のリストに、炊事・掃除・洗濯がないし。
フルタイムで育児したことある人間からするとさ、なんつうかね、
肝心なところは奥さん任せなんだろうな、というのが伝わるわけですよ。
で、いざとなれば女房はお払い箱にして、保育園つかうぜ! とか書いてるけどさ、
そんな簡単なもんじゃないって。そもそも、赤ん坊は入園できないだろう。
風邪引きばっかりで、月の半分休むことだってある。
増田はよっぽど恵まれた企業に勤めてるらしいが、フツーの会社じゃ、
そんなにポコポコ仕事に穴あけられないって。
増田は今だって、奥さんなしじゃ全然やってけないはずなんだ。
増田はそこのところ、十分にわかってない。
俺は働いてるんだから、専業主婦のオマエがこれくらいやって当然だ、
そう思ってるだろ?
俺がこれだけ「オマエのために」やってるんだから、
オマエも「俺のために」、いろいろやってくれたり、愛情を持ってくれ、
そういう話だろ?
そりぁあさあ、夫婦共に健康で、金にも時間にも余裕があって結婚以来仲良くやってる、
そういう家なら、そういうノリでもいいんじゃないの。
だけど、増田んとこ、そうじゃないじゃん? 奥さんウツ病だし、
増田も押しつけがましいというか何つうか、そんなに立派な人間というわけでもないんだろう?
割れ鍋にトジ蓋? いいかげんなところで、折り合いつけるしかないだろうが。
増田は、奥さんに求めすぎなのよ。 妊婦で、精神的に不安定なひとが、
上を見れば切りがないけど、増田は怒るよりも、奥さんにもうちょっと感謝したほうがいい。
奥さんの代わりは、増田も増田の実家も保育園も、ぜったいできないって。
実をいうと、セックスレスとか夫婦ゲンカとか、うちも増田の家によく似てる。
六年しなかった。ただ、今年二人目つくったので、ある程度、克服した、といえるかもしれない。
もう長すぎるし面倒だから適当にまとめるけど、うちの場合、適度な距離を保つ、というのが、関係修復のカギだった。
親子だって分からねえこと多いのにさ、夫婦が互いを理解して、物を見方を同じくするなんて、はじめから無理な注文なんだ。
できるだけ相手のいうこと聞くよう努力したうえで、六割くらい分かったかな、と思えば、あとはあきらめちまう。
それと、相手の考えを批判したり変えさせようとか、やらないようにしてる。どだい無理だし、傲慢だし、意味ないから。
生理的にセックスしたくない! っていってる奥さんを、理詰めで翻意させられるわけないだろう。
で、なんとなく生きてると、なんとなく問題解決したりするんだよ。
俺が増田だったら、ああしてこうしたらなんとかなるとか、そういうキリキリしたアプローチはしない。
あと、せめて、赤ん坊が生まれて少し手がかからなくなる一歳くらいまで、待てないもんか?
事実www圧倒的大多数のシングルマザーは子供をどうにかこうにか虐待などせずに育て上げているというのこそが「事実」ですが何か?
君以外の皆が、それが「事実」だと分かっているんだ。
「君以外の皆」wwwちきりんの元記事に少なからぬ非難ブコメがつき、私の元増田に賛同コメントがついているのを見えないの?
これだけで君は現実が見えてないのは明らかだね。もうちょっと考えてからものを言いなよ。
何故赤ちゃんポストや一家心中とこの事件が違うのかさっぱり分からない。
どれも同じだろう。
まず、赤ちゃんポストは親としての責任放棄ではあっても、少なくとも子供を殺すという最悪の結末だけは回避している。他にも、児童相談所や保育園に置き去りとか、子供を死なせずに済むやり方はいくらでもある。最悪のやり方をした場合でも自分が刑務所に入る覚悟だけで済むのだから我が子を手にかけるのとは比べものにならないほど安上がりではないか。だいたい、自分が体を売るまでのことをするくらいなら、警察なり保育園なりでなりふり構わず土下座でもなんでもして子供を引き取ってくれる相手を探してもらうことぐらいはできるはずだ。この場合は限られた相手に恥をさらすだけで済むのだ。それだけのこともできない奴が同情に値するわけがない。
一家心中も愚か極まりないことだが、、思いこみとはいえ少なくとも自分の命を賭けようという意志があったことはわかる。子供を飢え死にさせながら男漁りをしていた鬼女とは明らかに違う。
誰も見ていないかもしれないが、一応。これ↓を書いた増田ですがブコメに補足。
http://anond.hatelabo.jp/20100802235251
事情がわからない方はこちらを先にみてほしい。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801
y_arim anonymous, history, war いやだから改変元にしてもB・Cを以てAを免罪する論じゃなかったでしょうがよ。 2010/08/03
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20100802235251
いや、どうやったらそう読めるのか不思議でならないのだが。私の元増田はどう見てもネオナチの言い草にしか見えないはずで、それと同様にid:Chikirinの言い草は虐待親を免罪しているようにしか見えない。
なぜなら、
これだけ露骨にえこひいきをして、極めつけは題名が「誰が何をネグレクト?」だ。つまり、「親が子供をネグレクト」したという事実を意図的に相対化してごまかしている。
そして、ブコメの中にも、「誰も責められない」だの「父親の方が悪い」だの「誰でも追いつめられればこのぐらいのことはやる」だの、その手の暴論が余りにも多いではないか。冗談じゃない。実際に圧倒的大多数のシングルマザーはそんなことはやっていない。だいたい、育児放棄するにしても、保育園や警察署の前に放置するとか、もっとマシな方法はいくらでもあったはずだ。他人の子供を押しつけられた場合でもそのくらいのことはするだろうが。
まあよい、百万歩譲って福祉の行き届かない現状を批判しようと思ったのだとしてもよい。普段の過激自己責任思想との不整合も目をつぶろう。だが、そのために持ち出す例としてこれは最悪ではないか。赤ちゃんポストとか一家心中を持ち出すならまだしも、ネグレクトの中でも最も同情に値しないと言ってよいこの事件を持ち出す神経は心底理解できない。あるいは、どうしてもこの例を持ち出すにしてももっとやり方があるはずだ。たとえば、「懲罰的な戦後処理は再度の戦争を誘発しかねない」ということを主張したければ、どうしてもドイツの例を出さざるを得ないということはあるかもしれないし、「ヴェルサイユ体制の不備がナチスの温床になった」という主張は実際極論でもなんでもないが、ヴェルサイユ条約で締め付けられれば誰でもユダヤ人を殺しかねないなどとほざく馬鹿はネオナチだけだ。つまり、この事件を引き合いにああいう主張をすること自体がそのよこしまな意図を暴露しており、非難に値することだといえるのだ。
そんなことがわからない奴がはてなだけで数百人もいるなんて信じられない。
発達障害者支援法が施行されて、とりあえず先天的に入力がおかしい人がいる、ということは理解されるようになってきた。問題は、後天的にもしくは不幸にもただのバカという場合だ。
そういう人の場合、一応教育で是正できるだろうという期待はあるのだが、その教育は大凡理性的、知的なものとはかけ離れたところに位置することが多い。知的、理性的、社会的といった類の能力に問題がある者のための教育なのだから、これらを前提もしくはこれらに期待するようなことはしないだろう。つまりはそれは古来から『体に覚えこますこと』とか『しつけ』といった文脈で語られる物事に属することになる。
民主制が導入されてから老人優遇策ばっかりで若者にとっては地獄どころじゃない苦難の地。いやマジで。
こんなことなら地獄に落ちとけばよかったわ。
つーかさ、こうならないように聖人による寡頭政治が定められていたと思うんだよな。
なのにプロテスタントの奴らが「神の子はみな聖徒です!」と言い出してさあ……。
なんか正論に聞こえるじゃん?
ヤベエと思って反対運動したんだが「あいつら天使に萌えてるロリコンだからww犯罪者マジキメェww」とかレッテル貼って押し潰されてさ。
そしたらやっぱり老人が意思決定完全に掌握してしまってひでえことになった。
最も信頼する人間の1人は義父だ。それゆえこのような話を聞くたび、話そのものに対する悲しさや憤りに加えて、有り得ぬ疑いの目が義父にかかることが万に一つでもあるかもしれないと考えてしまい、口惜しさも覚える。
僕は最近、より一層姦国や支那が嫌いになってきました。テレビで売国奴の菅がでるとすぐに韓国の犬やら支那の犬と言ってしまいます。そして、左翼教育をたっぷり受けた親の前で
「A級戦犯という呼び方は正しくない。正確にはA類戦犯というのが正しい。AやBやCというのはあくまで平和に対する罪とかの分類でしかなく、罪の重さの差じゃない!」
と言って両親に正しい知識を教えようとしたら親父と口喧嘩になりました。予想通り団塊世代の洗脳・自虐教育は根が深いですね。戦後結構すぐだからこそGHQの戦略が生きていたのでしょうね。まああの親父は強いものには頭を下げてへえこらするのに慣れすぎて、人間としてつまらんし。親父の尊敬できるところは我慢できるところぐらいだからな。
その後、親父は2階へ行って、僕はもう少し母に日本人として知っておかなければならない常識を教えておきました。菅は朝鮮(半島)がバックにいるなど。
ちなみにそんなことを言ってる僕に対して母は、「最近のあんたおかしいよ」と言われました。どうやら支那や姦国を目の仇にするかの如く嫌うのを不自然だと思ったのではないでしょうか。別に僕は本当に嫌いなものに対して嫌いと言ってるにすぎないんですがね。支那や姦国に対してはいつもより感情的になってしまうだけで、大概は冷静に見てますよ。
同じ問題をブログに上げる人が1000人もいれば世間で少しは話題にもなるだろ。その場合少なくとも1000分の1の価値はある。
これは重要だ、正義だ、搾取を是正せよ、被害者を救済せよ…というのなら、という話だったはずなんだが。もし「本気で」そう思ってる人間がこれだったらそれは凄いな。
「うまいことに」同じ問題をブログに上げる人が「もし」1000人もい「たとすれば」(やっとこさ)少しは、話題にもなる「だろう」、「かりに」その場合「でなら」、(ここでようやく)1000分の1の価値はある、というわけだ。
結果がそれで出るんならいくらでもやればいい。行動は結果を出すためのものだから。で、それはいままでにどんな現実の、具体的な結果を生んできたの?
「まだ自分が関心をもつ問題がないから」とモラトリアムよろしく何の行動もしていないのに、他人の言い草が気に食わない等々でつっかかってくる人間こそ身の程を知ったほうがいい、と俺は思っているんだが。
自分を律して善く生きる、知り合いが困れば現実に助ける、というくらいには実際の行動をしてるつもりだけどね。まあ、お前も身の程を知れ、というのならそれはそれで聞くに値する。善行ばかりしてはおらんしな。といってもこんなものいくらでもブーメランになるが。
しかし「身の程を知れ」という点で「何の行動もしていない声高に叫ぶ人」はなんにも積極的な擁護をされていないのに、他人の言い草が気に食わない等々でつっかかってくる人間「こそ」知れ、とはね。「おまえもダメだ」、じゃなく「おまえこそがダメだ」(笑)。
言っておくけど、「言い草が気に食わない」というのも単に言葉遣いの問題じゃない。問題解決のことなんか考えちゃいないのに善人の振りをするな、効果さえない偽善をふりまくな、ということ。偽善を見ることができない●●は偽善者を正義の人と信じきる。偽善者が「得をするような世の中であってはまずかろ?」
AS姐さんがきっちり批判してた。
http://yaplog.jp/aslog/archive/926
「俺が結婚してやんよ!もしお前がどんなハンデを抱えてても!
歩けなくても!立てなくても!もしも、子供が産めなくても!
それでも・・・俺はお前と結婚してやんよ!」
いつもいつもなんかデリカシーのないセリフを言うアニメだなあと思っていましたが
今日のこれはなにかたまらなく女として嫌だった。
「俺が」結婚してやるってことは
俺以外の人間がだれ一人そういう「ハンデを持ってる女」を無視すると仮定した前提で
「俺が救ってやる」って意味じゃん。
告白することで正すべきは
ハンデがあるから誰にも出会えない、恋が出来ない、人として認めてもらえない
と思いこんでるユイの不安であるべきで
「ハンデがあって誰にも相手にされないだろうけど
なんていうのは非常に嫌悪を感じる。
そんなのはいいがかりだ、こまけえことはいいんだよ、と
言う人もいるでしょうがこの作品はそういったカチンとくるセリフが多すぎるんだよ。
とりあえず日向、お前ジョゼと虎と魚たちっていう映画見てこい。
人一人の人生背負うってことがどういうことかもう一度考えてから
「お前の人生も、俺の人生も、二人で背負って生きていけると俺は信じる」
とか言え。
子供が産めなくても、ってなんだよ。
バカにすんな。
なんで叩かれてるか分かってる?
ネトウヨが今までそうやって他人にレッテルを貼って叩いてきたからだよ。
いわばカウンターパンチ。いつまでもガキみたいに「これだからゆとりは(笑」とか「スイーツ(笑)」とか「ビッチ死ね」とか好き勝手言ってられると思ってた連中へのカウンターだよ。
だからいくらでも叩かれていいの。ネット右翼という言葉は、ネット上で他人の揚げ足をとりレッテルを貼っていた匿名の大人げない人間すべてを指してるんだからね。
つまりはこの言葉が、ずっと匿名やネットの顔の見えないコミュニティに隠れていた人間を浮かび上がらせることになった。いい加減、そういう連中がのさばって誰かを叩くという構図に嫌気がさしたってこと。
この隠れていた連中は、2ちゃんねらーで作り出される典型的な「非コミュ人間」像と一致する。
つまり、童貞、友達が少ない(もしくはいない)、引きこもり、デブ、メガネ、オタク、揚げ足取りが大好き、法律用語についてやたら詳しい、通報大好き、レッテル貼り、20代以上、おっさん、アキバ系。
これらのすべてもしくは一部の要素を持ち、一般的には「気持ち悪い」人間のこと。
彼らがいわゆる現実社会でうまく人と付き合う事が出来ず、ネットに逃げ込んで「一般人」を「リア充」と名付け暗い情熱を持って彼らを叩いてた張本人。
なぜ今まで彼らがずっと闇に隠れていられたかといえば、それは彼らに対する目が冷たいもしくは無関心だったから(所詮負け犬の遠吠え)ということと、ネットがまだ彼ら非コミュ人間の巣窟であり一般人は近づかないもしくはあまり深くまでやってこなかったから。
しかしネットの爆発的普及やそれまでの個人サイト分散という状況から徐々にポータルサイトへの統合という風に流れが変わったことで、普通の人がそういった暗い情熱を持った非コミュ人間たちと直接出会うことになった。
すると、一般人の中からは、彼らの目に余る行動を何とか定義づけてあぶりださないといけないという気持ちが芽生え、結果的に「韓国や中国などを特定アジアと呼び(悪い意味で)特別視して叩く」という特性や、それに関連して自分たちとは違う人間にレッテルを貼り馬鹿にするというスタイルが特に目立っていたので、それらを持った人間をネット右翼と呼ぶようになった。
2ちゃんねるに一般人があまりいなかった時代には、たとえこういうことを言う人がいても即座に潰されて握りつぶされていたんだろうけど、2ちゃんねるはあまりにも有名になってしまった。だから、内部から2ちゃんねらーの一部を定義づけしてあぶりだす動きが活発化した。
こんなところだろう。
ネット右翼が叩かれるのは当然。むしろもっと叩かれてもいい。そうして自分達が怨念にまかせてやってきた事の罪深さを知ることになる。
非モテっつーか、女の子と特に縁もなく(あったかもしれんが、基本的に興味なかった)、自分の趣味だのなんだのに打ち込んできてかれこれもうすぐ魔法使い(…もどき?)になろうという年になろうとしてる訳だが、結局、自分がやってることが逃避なのかどうか自分でもわからなくなってたりする。
途中で形を変えこそすれ、一応思春期通り越して今の今まで自分の好きなことやってきて、恐らくこれから先もそうなんだと思うんだけど、自分がやってきたことが単なる現実逃避だと断罪されたら否定できる自信はない。
ただの一度でもそういうことがあれば、自分のやってることに負い目を感じることはなかったんだろうか。
ま、んなこと言ったところで今さら方針変更する気もないので、このまま走りきれればいいなーという感じなんだけれども。