中国版ツイッターで中国語書かれてた層なんだけど、ウェイボーのあれって中国人でないとユーザ登録すらままならない筈なんだが、そこまでして日本向けのフェイクニュース流して喜んでる奴って一体何者なんだ?
産まれるのは子供じゃなくて人間で、おじさん・おばさんに将来なる なんなら爺さん婆さんになる そして死ぬ
大きくなっても責任持って飼えるなら犬猫を飼っていい!なんてぬかしたその口で「もういい歳してんだから自立しろ」っていうのはおかしいんじゃないか?
身長160ぐらいで顔は虫みたいな顔してるのに
こっちは、この手の嘘つくブ男は大学時代の同級生や先輩での実地体験でたっぷり知ってるので
新人たちは感心して聞いているのが痛々しい
(気付いてるのかもしれないけど)
ないわけではないというのはわかるんやろ?
つまり、不特定多数の人は、人に美醜と言うものを求める生き物である。
程度こそあれ。
そうなった場合に、自分に対してというのは営業なら気にすればいいし、内勤ならそれほどでもない。
コンパニオンのねーちゃんなんかは職業上、不愉快でない範囲が必要になる。
そんだけのことで、あとは好きなようにすればいいという。
だから、ないわけではないというのが、わかるなら十分という派 私が
個人的には功罪あるのだけど私は他人の見た目の良しあしがほぼ気にならない、というか判別できない。
世間一般に言う超美人でも、滅茶苦茶不細工な人でも、「そういう顔なんだな」以上の事を思わず美醜の見分けがほぼ付かない。
一応最近は意識して勉強し、見分けられるようになったけどこれは目盛りが読めるようになったというだけの話で私の抱く印象が変わったわけではなくて、
顔が悪いから見たくないとか顔がいいから傍にいたいとかそういう事は特に思わない。(そもそも関心がないのでロクに人の顔を見ていない)
でまあどうして己がこういう性質を持っているか考えた所候補がいくつかあって
・テレビや雑誌を禁止されていたため美醜の判断基準が備わっていない
・親が外見に関して一切言及しない存在だったため感性自体が欠如している
・単に虐待されていたため
などが浮かぶのだが、いずれにしてもこれは今どきの人権活動家の叫ぶルッキズムに染まらない姿のありようの一つなのではないだろうかと思い至った。
普通に考えれば美醜とは文化であり(平安時代の美人と今の美人は違う)、学ばなければ備わらない感性のはずなので「教えなければ」脱ルッキズムはそれで完成するのではないだろうか。
過激派フェミニストとか男性ヘイターが被害意識・被害経験から男性を憎んでるのは理解できるんだけど
SNSでジャップオスを叩きまくって欧米を称揚するなんて事をいくら繰り返しても何の意味もないだろうしああいう活動って気持ちよくなるためにやってるんだろうか
それともあれで世の中がよくなって誰かが救われたり悪が滅びたりすると本気で思ってるんだろうか
ただのストレス発散に過ぎないと自覚してるならいいんだけどそれだと自分もハラスメントする人になるしやっぱり何かしらで正当化して聖戦って位置付けてるんだろうか
どうもビジョンが見えない気がする
追い詰められてるんじゃなくて、貧困層の切捨てに見える。
通帳のほうが便利だからだろ。
10000円だったら追い詰められてそうだけど1000円は端金じゃね
追い詰められてたら1000円どころか1000万円くらいくれるようになるやろ。どうでもいい思うてるから1000円ぽっちなんやで。