「小学1年の息子が私の胸を触った時、ものすごい恐怖を感じました。もう息子の下腹部を見るだけでダメです。怖い。この子がもう少し大きくなったら絶対に一緒に暮らせない。今でもそう思っています」
子供を捨てた経験のある江口弓枝(仮名、41歳)は、強い口調でそう語った。
小学生の男の子が甘えて胸を触ることなどあるだろう。だが、弓枝はそのことを許せないばかりか、息子の下腹部を見ることさえ嫌がった。
「髪についた精子をヘアジェルと勘違いする」ってシーンがバカ受けして世界的大ヒットになった「メリーに首ったけ」が公開されたのが1998年。
それ以前のコメディー映画って、今見たら基本的に全部アウトなんだと思う。
こないだ霜降り明星がYOUTUBEで「今まで見たコントで面白かったやつベスト3」って発表してたんだけど、
粗品の1位が「キングオブコントでのバイキングさんの1本目(タクシー教習所のやつ)」だったのね。
おれはリアルタイムで見たときは「なんて日だ!」の出てくる2本目のほうが圧倒的に面白かった記憶があったんだけど、
最近見返したら「息子が娘になって帰ってきた」って部分の笑いにかなり引っ掛かりを感じて素直に笑えなかった。
当時は、引っかかりつつも爆笑していたのに。
「7年前で、もう笑えなくなるのか」って思ったよ。
働くことに向いてない。
社内イベントの企画がうまく行かなかった。業務時間を使えないので、家に帰ってずーと考えてたし、準備もした。駄目だった。
仕事がうまく周らなかった。対人関係のお仕事。上手な受け答えができない。発言するたびにこれは駄目だったと常に考えてる。メールの文面で失礼にならないよう推敲するのも辛い。返信来ないときは、いつ催促すれば失礼じゃないか悩んだ。仕事の依頼も相手に悪いと思ってできなかった。結果どんどん悪化した。
辛くなって、寝られなくなって。でも働かないと生きていけなくて。
みんななんで当たり前のように働けるの?
繋いだ手を離したら妻はもう自分はいらないと言って家に帰ってくれなくなる。
生きるのをやめたいという。
もう別れるという。
ほっとかれたら死ぬという。
選択肢を一つ間違えるだけでこんなことになる。
ほっとくとあとで迎えに来てと喚く。
つらい。
時代の流れや技術の進歩から目を背け、現時点で得られる利益を最優先し、政府に何らかの対応や補償を要求するというのは、日本社会ではごく日常的な光景である。しかもほぼすべてのケースにおいて「この件は他とは違う」といった形で、自分たちだけは例外であると強く主張する。印鑑業界の動きは決して特殊なケースではないということを、私たちはよく認識しておくべきだろう。
一度、夫を床に押し倒し、近くにあった棒で顔のあたりを殴りつけたことがあった。すると、その先端が首にざくりと刺さって、大量の血が噴き出した。夫が慌てて救急車を呼んで助かったが、不審に思った医師が警察へ連絡。後日警察が捜査にやってきた。やさしい夫は「僕が自分で自殺未遂をしたんです」と言って弓枝をかばったという。
彼女はこの時のことを言う。
「パニックになっている時はわけがわからなくなるんです。夫の首を切った時も、血だらけになっているのを見てハッと我に返った感じ。その時になって、何やってんだろって思うんですが、暴れている間は錯乱状態なんです」
フラッシュバックだといえば何をしてもいいし周囲はそれに配慮しろと
エンターキーだけの機能でいいので、遠くからでもエンターキーを押せるデバイスってないですかね?
今の世の中スマホにそういうの割り当ててボタンを押せばエンターキーぐらいの代わりにはなってくれそうなアプリでもありそうなものですけど。
本当にプリンタで印刷するときのOKボタンを押すだけのエンターだけでいいんです。
そんな都合の良いデバイスってないですよね、やっぱり。