「神を信じる」には二種類ある。
奇跡によって神と呼びうる力を持つ何かが存在することを認められたとしてもその教義がクソかどうかというのはまた別な話なんだよ。
お前は自分のことを心優しくて繊細な存在だと思い込んでるみたいだけど、皆で通話してる時に、私がトイレに行ってくると伝えてからマイクだけミュートにして、その後ちょっと席を立たずにそのままでいたら、私が離席して通話にいないと思ったお前が鼻で笑いながら私の悪口言ったこと忘れてないからな
お前のことだからまた忘れてるんだろうな
一瞬空気が凍りついた後に
「まぁまぁ、私も家の中で無くし物したことあるよ」
って誰もお前の悪口に同調せずに私のフォローしてくれてたんだよ
みんなは優しいから指摘しなかったけど、人に平然と悪口を言えるような人が心優しくて繊細なはずあるか?
人に平然と悪口を言っておいて自分だけ特別に優しくされるなんてことあると思うか?
なぁ、お前の友達はうつ病のお前を支えてくれるボランティアでもなければ、リハビリ施設でも迷惑かけ放題の遊び場でもないんだよ
与えられることが当たり前だと思って、誰にも感謝したり謝ったりしないだけじゃなくて、悪口言ってみたり振り回したりするからお前の周りには人がいなくなるんだよ
それでも認知症発症して子供の人生を台無しにしたり社会保障を食い尽くす存在になるよりは、若者の仕事奪う羽目になっても納税者のままで現役でいてくれたほうが社会への負担も低いと思うけどなぁ。
よくある勘違いがまた蔓延ってるが「閉店」=「悲劇」みたいな短絡的な思考はやめな。
閉店できるってことは店を閉めても生活をやっていけるってだけだよ。
つまり趣味でやっているような層なの。店をやってなきゃ生活できないなら閉めるわけないでしょ?
あとは店舗の不動産を売るか、人に貸すかして暮らすのよ。「閉める」って判断はそういうこと。
生活できない層は金策に走り回って借金抱えて営業つづけるんだよ。そっちのほうが悲劇でしょ?
シャッター商店街にも同じ勘違いが蔓延っていて、シャッター閉めてる店はそれでも生活できるから閉めてるわけで、勝ち組なんだよ。