WEBサイトを所有し、サイトを何らかのカタチで活用しながらビジネスを営んでいる人にとって、SEOは必要不可欠な時代となっています。SEOという言葉は以前に比べてかなり普及してきておりますが、「SEO=ビジネス拡大・売上拡大」という認識はまだまだ広く根付いているのではないかと思います。もちろん、ビジネスの拡大にSEOは必要なのですが、SEOさえやっていればWEBサイトの売上は上がるんだろう、という誤った認識をしている人が多く存在します。
突然ですが、【1:5の法則】という言葉を聞いたことがありますでしょうか?マーケティングを勉強した人であれば必ずといっていいほど聞いたことがあると思われるほど、基本的なマーケティングの法則なのです。
1:5の法則…新規顧客に販売するコストは既存顧客に販売するコストの5倍かかる、というマーケティングの法則。
分かりやすくいうと、同じ商品を購入する顧客がいた場合、新規顧客は既存顧客に比べて、販売に関するコストが高くなり、結果として利益率が低くなる、ということでしょうか。ビジネスを拡大していくためには、新規顧客を獲得することももちろん大切です。しかし、それよりも既存顧客の満足度をどのようにして高めていくのか、ということをおろそかにしてはならないのです。
このブログを読んで下さっている方は、少なくともSEOに携わっている人であり、WEBサイトに関する業務を行っている方が多くいらっしゃると思うのですが、では、果たしてWEBサイトにおける「新規顧客」「既存顧客」をどのように捉えればよいと思いますか?
単語をそのまま汲み取ると、一度でも自社サイトで商品やサービスを購入してくださったお客様が既存顧客、となるかと思いますが、私は下記のように理解をしています。
新規顧客・・・今後自社サイトにアクセスをしてきてくださるユーザー
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、「アクセス解析で計測できるユーザー」のことを既存顧客と私は称しています。新規顧客は「未来訪問予定ユーザー」と捉え、あくまでも今後サイトに来訪してくるだろうユーザーと認識しています。
SEOやPPCという手法を用いて、「未来訪問予定ユーザー」をどのようにして増やそうか、ということに力を注ぐことはもちろん大切です。しかし、それ以前に、「アクセス解析で計測できるユーザー」が自社サイトにどれだけ満足したのかを検証し、アクセスしたあとの訪問者の満足度を高めていかないと、いつまで経っても売上が上がることはないと思います。
例えば、30ページあるサイトで、1訪問あたりのページビューが2にも満たないWEBサイトに、SEOやPPCでアクセスを集中させたとして、売上が上がると思いますか?このようなサイトの場合、平均ページビューが4~5ページまで増やすための施策を行ったほうが、SEOやPPCよりもはるかに低コストでコンバージョンを増やすことが可能ではないかと私は考えます。
どのようにしてコンバージョンに繋がるサイトにするのか、その為にはユーザーの導線がしっかりしているかを検証したり、デザインを見直したり、文字の大きさや適度な画像配置など、それこそ多岐に渡った分析や修正が必要です。このあたりの分析は、SEOだけを学んでいる人には難しいことかもしれません(もちろんSEO専門の人でもこのあたりの分析が得意な方もいらっしゃいます)。
SEOはあくまでも新規顧客を増やす1つの手法にすぎません。SEOで新規顧客を獲得することに偏らず、既存顧客の満足度を高める施策を行うことの重要性を認識していただければと思います。
横だけど。
それは多分その通りだけど、それをここで言ったところで絶対に何も変わらないし、近い将来に食糧危機とか人口爆発系の大問題は絶対起こるだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20110907172659
http://anond.hatelabo.jp/20110907172828
あ、書き方が悪かったかな。
バナナの叩き売りで有名な会社扱いなんだけど、人件費、輸送費を考えた場合国産にしては異様に安かった。
そういう目で見ると、小玉で形状がそろってる、軽い、などなど、どうもでかいプラントで機械乾燥したように見えた。
はっきりいえば、中国産に見えたのさ。
産地偽装のような気がして、買わなかったのよ。
そして小利口な人間の遺伝子は絶え、DQNの遺伝子だけが残る。
世の中とはそういったものだな。
この手の悲観論をよく目にするが、歴史というものをよく考えてみてほしい。
人類の歴史を1万年とした場合、DQNの遺伝子が利口な人間の遺伝子に対して1万年の間、淘汰の圧力をかけ続けており、その結果が現在の人類となる。
そうすると、1万年前はDQNの遺伝子は極めて少数派で、1万年前の人類のほとんどは小利口な存在であるということになるが、これはあきらかにおかしいだろう。
アホか
ギリギリの奴を何千万人餓死から救ったってお前が言うような人間の輩出を期待できるかい。
そういうのを期待しての援助だって言うなら「ギリギリで食えてます」を一万人作るパン代で
見込みのありそうな奴100人だけ救って英才教育でも施した方がいいよ。
実際はそういうんじゃなくて
ただ「どうせ餓死するだろう」「ほとんどは病死するだろう」って意識で1世帯10人も産むような子供を
言ってることは良くわかるし
指摘する群の奴らの腹立たしさには同意するし
命名理路も論理的に正しいと思うけど
なんか別のニュアンスが生じている。
自分の危機→世界の危機という極端な構図の漫画やラノベを「セカイ系」という。
これにならって「俺の周りに(レベルの低い)○○な奴が多い→日本オワタ」という極端な思考をニホン系とでも呼ぼう。
このニホン系が目障りだ。
農家の人は大変だろうけど、ニンニク好きとしてはウハウハだな。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=41860
一人助けるのにウン百万ウン千万なんてカネかけられる文化圏がわいわい言っても説得力無いだろう
下手な鉄砲数撃ちゃ当たるように子どもいっぱい生かした方が将来すごい役に立つ子が生き延びる可能性高いじゃん
将来すごい(ヤバい)ことやらかす子が生まれる可能性も高いけど
まあそれはリスク観の違いってやつだね
誰にとっても、わけもなく「どうでもいい」「趣味がいい」のかもしれない。
もう使うこともあるまいと思って、10年以上前に買ったフィルムのカメラを捨てようとして
持ってみたら、これがずっしりと重い!技術は進歩してるんだなと実感した瞬間だった。
後腐れなく捨てられる気持ちになって、スッキリした。
それならそれで結構なんだけど、だったら「子供の扱いが下手な人は〜」なんて無駄にでかい一般化しないで自己完結して欲しいものだと思う。
「これだけ酷い事(暴力的な行動や拒絶)をしても許してくれるだろう。」ってのも甘えの一種だろう。
さらに「これを許してくれないのならば私を愛していないんだ」という事で、相手を試してるって事もあるかも。(意識的か無意識かは分からんが)
愛してるならここまで酷い事をしたって見限らないだろう、許してくれるだろう→どんどんエスカレート→相手が耐えられなくなるまで続く
そうやって今まで何度も男と別れているなら「男は私をいつかは裏切って逃げてしまうんだ」と気持ちがどんどん強くなって、
相手を試すような行動がやめられなくなるという負のスパイラルに陥る事になる可能性もある。
子供にはまだ裏切られた事がないのでまだ感情的な行為に及ばなくて済んでいるだけかもしれない。
(もしくは、他人の前では良い親だけど誰も見ていない所では何か酷い事をしているという可能性も…)