その上、原発建屋が吹っ飛ぶなんて…。
テレビの映像は映画でない。そう自分に言い聞かせなければならないほどだ。
「てんでん」とは「てんでんに」、みんなそれぞれにという意味だ。それにウシを「べごっこ」と呼ぶ東北弁独特の「こ」がついた。
津波が来たら、みんなてんでに、一目散に逃げろ。
1933年の「昭和三陸津波」を経験した作家の山下文男さんは、過去の惨事から学んだ教訓だと書いている
悲しい歴史がある。2万2千人が亡くなった1896年の「明治三陸津波」、昭和三陸津波では3千人が犠牲になった。
わが子を救おうとした親が逃げ遅れ、肉親を捜すうちに波にのまれる人が続出した
そんな悲惨な経験から「自分のことはまず自分で守る」意識が生まれた。
「災害弱者」を救う工夫をする一方、「てんでんこ」の教えも大切にしたい。
福島第1原発では爆発が起き、放射能拡散など2次災害が心配される。
いつ、どんな事態が誘発されるか分からない。
泣きたい。
けれど、なぜか涙が出てこない。
喉までこみ上げては、みぞおちへと落ちる何かが胸をかき乱す。
ぼうぜんとして現実感が薄れていく。
あまりの衝撃に遭遇した時、人はそんな状態に陥りがちだ。
前代未聞の巨大地震から2度目の朝を、いまだ大勢の人々が心の混乱にさいなまれつつ迎えたに違いない。
情け容赦なく増えていく数字に慄然(りつぜん)とする。
海が町をのみ込んだ。
一つ二つどころではない。太平洋に臨むすべての町々が丸ごと海に侵されたといっていい。
大津波という怪物の蛮行に無力な私たちであることが悲しく、悔しい。
「津浪(つなみ)」という言葉が文献に初見されるのは400年前に起きた「慶長三陸地震」についての記述という。
「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉(ことごとく)流失す。溺死者五千人。世曰(いわく)津浪云々」。
伊達政宗の所領を襲った津波。歴史の中で震災は幾たびも東北を苦しめてきた。またも…。
打ちひしがれ、絶望のふちに沈みそうな心を少しでも救えるとしたら、それは互助のぬくもりではないか。
自然の前に無力でも、人は支え合う力で強くなれる。
いや、ならなければ。
これからの長い闘いを乗り切っていくために。
天災
昨日今日と愛媛、高知の台風被災地の視察。高知では堤防が波で破壊され、20トンを超えるコンクリートの塊が住宅に飛び込み、3名が亡くなった現場を見る。9月にお遍路で歩いたところだ。波というより鉄砲水のような力で堤防や家を破壊。
それに加えて新潟で地震。あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか。
6年5ヶ月越しのブーメランが炸裂。
行っても何の役にも立たないとしても、現地視察はさすがに「必要なパフォーマンス」だろう
行かないってのはちょっとどうしようもなさすぎる
テレビで報道特別番組をどこのチャンネルでもやっているくらいで、
いつもと変わらない日常。
被災地の現状を観る度に、今の日常に対する感覚がふわっふわっしたものになる。
原発で放射能漏れの事態が起きていれば、東京にいてもこんなこと行ってられないんだろうな。
「紹介状送付が遅れます」
自分に関して言えば、「振動でHDDが壊れるかもと考えたことすらなかった」から今もこうしてPCを普通に使ってる。
2011.03.13『STAR DRIVER 輝きのタクト』23話放送休止のお知らせ
3月13日(日)17:00~放送予定の『STAR DRIVER 輝きのタクト』23話は、 編成上の都合の為、放送休止とさせていただきます。
以後の放送情報に関しましては、公式HP等で順次告知いたします。
ご了承くださいませ。
俺も横だが、
この前提が間違ってると思うよ
「心配」ってのはそんなに大げさなもんじゃない
こういう言い方は何だけど、「心配」と「他人事」は両立しうる