2011-03-13

泣きたい

泣きたい

けれど、なぜか涙が出てこない。

喉までこみ上げては、みぞおちへと落ちる何かが胸をかき乱す。

ぼうぜんとして現実感が薄れていく。

 

あまりの衝撃に遭遇した時、人はそんな状態に陥りがちだ。

前代未聞の巨大地震から2度目の朝を、いまだ大勢の人々が心の混乱にさいなまれつつ迎えたに違いない。

 

情報が欲しい

しかし、知った惨状が恐怖を増幅し、心をなえさせるジレンマ

亡くなった人、行方が分からない人。

情け容赦なく増えていく数字に慄然(りつぜん)とする。

 

海が町をのみ込んだ。

一つ二つどころではない。太平洋に臨むすべての町々が丸ごと海に侵されたといっていい。

大津波という怪物の蛮行に無力な私たちであることが悲しく、悔しい

 

「津浪(つなみ)」という言葉が文献に初見されるのは400年前に起きた「慶長三陸地震」についての記述という。

「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉(ことごとく)流失す。溺死者五千人。世曰(いわく)津浪云々」。

伊達政宗の所領を襲った津波歴史の中で震災は幾たびも東北を苦しめてきた。またも…。

打ちひしがれ、絶望のふちに沈みそうな心を少しでも救えるとしたら、それは互助のぬくもりではないか

自然の前に無力でも、人は支え合う力で強くなれる。

いや、ならなければ。

これからの長い闘いを乗り切っていくために。

 

宮城県/河北新報コラム/河北春秋2011年03月13日

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