2012年ではなく2011年が世界の終りだったのかと思ったがどうやらそれほどでもないようだ。
津波に流された民家を見る限り木造だし、流されていない病院とかもあることを考えると、単純に「防災に対する意識」が足りなかったんだろう。
都市で生きるなら防災システムの不備に憤っても当然だが、「津波さんどうぞ壊してください」って家が壊されたんだから、当たり前のことが当たり前のように起こっただけだ。
都市に住む人類は「津波で家が壊れてもしょうがない」とは考えない。津波で壊れない家、地震で壊れない家を創ろうと考える。今まで自然に抗う術をほとんど持たなかった過去の人々でさえ、やはり脅威を軽減しようと努力していた。
だからこそ、一層都市化をすすめるべきなのだ。今手にしている技術こそが、人類を自然から切り離すための大きなツールなのだから、これを大いに活用しなければならない。
木造の家や過去人(老人)は津波にのみこまれてしかるべきだ。地震や津波は自然の側が「こっちへおいで」と言っているようなものなのだから。自然と共に生きると決意した人間ならば当然あっさりと死ぬべきだし、死ぬことが本望だろう。
厄介なのは、自然と共に生きるようなフリをしながら、実際は心の隅々まで「都会化」してしまっている人々だ。彼らの歪んだ身体はテレビとネットによって作り出されたものだろう。暮らしは自然に接していても心はテレビやネットなどが映し出す「都市」と接続されている。彼らは不幸な人々だ。そのような捻じ曲げられた精神は、津波によって流されてしまったほうが良かった。これからどうしたらいいのかと泣く姿はあまりにも哀れだ。彼らは肉体を自然に持って行かれたが、心だけが残ってしまった。彼らには「都市の肉体」が必要だろう。の大災害によって少しでも「歪んだ身体」が浄化され、あるいは正常な形に戻ることを願う。
鉄筋コンクリートでも、低層建築物の場合、中の人は詰みだと思うよ 高さのある建物で生き残っても、今度は孤立無援の籠城戦 ぶっちゃけ、立地の時点でアウトだわな