はてなキーワード: アラム語とは
書いたら色々思い出したので、言語に関する単なる思い出語りをちょっとメモさせて頂きます。別に面白くないと思います。
わたしが滞在していた時はアラブ革命の前後だったので、段々シリアの方が物騒になってきて、シリアにいた外国人留学生がエジプトに逃げてきました。
それで何人かの子と同じフラットで住むことになったのですが、シリアで勉強していた人は当然シリア方言です。そしてエジプト方言に馴染んだ日本人から見ると、シリア方言を話す青い目の西洋人がめっちゃかわいくて上品に見えました。
前提のお話をすると、アラブ世界というのは中世ヨーロッパみたいな感じに、「正式な言葉」と「普段使う言葉」がかなり乖離しています。フスハーと呼ばれる「正式な言葉」は、書き言葉のほか、宗教関係や法曹関係、演説やテレビのニュースなどで話し言葉としても使われます。テレビのアニメも教育目的でフスハーが使われていたりします。このフスハーはアラブ世界共通です。
一方、アーンミーヤは地域差が激しく、それぞれの方言があります。
で、日頃この方言で話している場で急にフスハーで喋る人がいると、日本で言えば「ござる言葉」で話す人みたいで滑稽で、なんか可愛い感じもします。
シリア方言はエジプトの感覚からすると少しフスハーに近いというか、古くて伝統的な感じがするのですが、外国人が喋っているとそれも相まってめっちゃ可愛いのです。まぁ、わたしがエジプト方言を喋るのもエジプト人からするとかわいかったのかもしれませんが。
これも単なる自分の思い出語りですが、わたしは元々ずっとフスハーを勉強していて、アラビア語愛が高まりすぎて仕事を辞めてエジプトに行ってしまった人間なので、エジプトに行ったばかりの頃は、「あの美しいフスハーを喋らない現代エジプト人は、なんて堕落しているんだ!」「エジプト方言はイーイー言ってる感じで下品!」と思っていました。
アニメがきっかけで日本語を勉強した外国人が、実際に日本に行くと誰もナルトとか悟空みたいな喋り方をしていなくて愕然とする、みたいな感じでしょうか。
最初の頃はひたすらフスハーを学び、関わりのあるエジプト人もフスハーで喋ってくれていました(教育水準によりますが、なんちゃってフスハーでよければ皆んな多少は喋れます)。
でもしばらく暮らしていると、買い物をするのにも不便だし、その辺の無学なおっちゃんの喋っていることは全然わからないし、普段周りにいる人達の会話に入っていけないのはすごく辛いです。
で、途中からエジプト方言も積極的に学ぶようになり、エジプト人同様に二刀流になりました。
フスハーはクルアーンの時代の言葉をベースにかなり無理して人工的に保存している言語なので、純度が高いですが、アーンミーヤには前のエントリで書いたようにトルコ語とかアラブ化以前のコプトの言葉、古いイタリア語由来らしい言葉などが結構混ざっています。もちろん現代語彙では英語やフランス語由来のものもあります。その辺のごった煮な感じに現代方言ならではの魅力があります。
ちなみに文法の超絶難しい正則アラビア語に比べると、現代方言は簡略化されていますが(ラテン語とフランス語くらいの感じ)、その分不規則要素が多くなり、なんというか、英語みたいに「ノリ」で話している感じがあります。
これも余談ですが、アラビア語とヘブライ語は兄弟言語なので、会話などはまったくわからないものの、古い言葉はなんとなく類推で意味がわかるものもあります(そもそもアラビー=アラビア語とイブリー=ヘブライ語は同じ子音の順番を変えた言葉で縁が深い)。
ヘブライ語ではなくアラム語みたいですが、イエスが最後に言った「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」とかも、アラビア語風にカタカナ表記をすれば多分「イラーヒー、イラーヒー、リマーザー、タラクタニー」(إلهي إلهي لماذا تركتني)で、すごく似ています。tとthが入れ替わったのかなぁ、とか想像が膨らみます。アラビア語訳の聖書とかも重々しい感じでジーンと来ますよ!(もちろん、本当はヘブライ語やギリシャ語で読むべき)
この辺は言語の本物の研究者の方たちがめっちゃ深堀りされているでしょうね。自分は中途半端にかじったレベルなので、本物に色々教えてもらいたいです。
「shi3zの長文日記」がホッテントリに入っていますが少し言葉足らずかなあ…
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20160607/1465246379?_ts=1465261918
”また、いま普及している聖書は基本的にさまざまな本の断片を集めた合本であるため、訳者によっても微妙に解釈が違う。そもそも原著はヘブライ語で、ヘブライ語聖書からそのまま翻訳しているわけでもなくて、一度英語になったものを翻訳したりするわけだから話がさらにややこしい。”
上記は旧約聖書にはあてはまりますが新約聖書にはあてはまりません。
http://www.bible.or.jp/know/know07.html
”旧約聖書はヘブライ語で記されている。ごくわずかの部分はアラム語である。”
ですが
”新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ-と呼ばれるギリシア語で、古典ギリシア語とは異なるものである。使徒たちによってキリスト教が伝えられていったのは、このコイネ-・ギリシア語の世界であったので、新約聖書はコイネ-・ギリシア語で記されたのである。”
イエスが生きた時代のパレスチナの日常会話はアラム語であり、ローマからオリエント世界における国際共通語はギリシャ語でした。
一般にイエスが実際に発した言葉はアラム語で、その言葉を使徒が書留め、書簡に記したり布教に使用したのはギリシャ語だったと考えられています。
”イスラエル民族はカナンの地(パレスチナ)に定着してからヘブライ語を使用したが、後にアラム語が使われるようになった。このアラム語はアッシリア、バビロニア、ペルシアで用いられていた。エズラ記のアラム語部分はペルシア王との間に交わさた手紙であるが民衆は理解できなかったことを示す記録が列王記18:26にある。アラム語は次第にイスラエルに浸透するが、バビロニア捕囚はそれに大きな役割を果たしたと考えられる。ギリシア支配時代以降ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた。福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している。「タリタ・クム」(マルコ5:41)「エッファタ」(同7:34)「アッバ」(同14:36)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(同15:34)がそれである。”