はてなキーワード: ぬことは
もの凄い勢いでフェードアウトしつつある沖縄米兵少女暴行「疑惑」だが、そもそもレイプはあったのかどうなのか?
もちろん私は、「被害者の少女にも原因はあった」などというバカ右翼の意見には全く賛成しない。というか、むしろ全否定。少女に非は一切ない。
ただ、左翼マスコミやはてなサヨクの皆様の少なからずは、『レイプがあったことは間違いのない真実だが、慙愧に耐えぬことながら被害を受けた少女が告訴を取り下げたから訴追できないのだ』と少々おかしななことを言っておられるようだ。
朝日新聞に至っては、『だが、捜査は打ち切られても、疑いが晴れての釈放とはまったく違う。強姦(ごうかん)の容疑を否認し続けた米兵自身も、取り調べに対して「少女に関係を迫った」ことまでは認めた。米兵のしたことは決して許されない。』とトチ狂ったことをほざいている。
いやいやいや、そんなことを言い出したら、富山や鹿児島の冤罪事件だって、『無罪になっても、疑いが晴れての無罪とはまったく違う。被疑者も一度は取り調べに対して「私がやりました」と認めた。被疑者のしたことは決して許されない。』ってなりませんか??
もちろん、不起訴処分だからといって、更には無罪になったからといって、必ずしも本当に罪を犯していないわけではない。それはその通りだ。逆に、有罪になったからといっても、必ずしも本当に罪を犯したとは限らない。
でも、それはそうと知った上で、司法制度から導き出された処分を甘んじて受入れるのが、良識ある市民のあるべき姿なのではないのでしょうか?それを無視したら、『犯人をつきとめるためには拷問も許される』という戦前の特高警察や現在のCIAと変わらんでしょう。
糾弾するために両手を振り上げてよし今から思い切り振り下ろそうというときに、被害者に告訴を取り下げられて、両手のやり場がないのはお気の毒ですが、だからといってレイプがあったことが前提という話は、根本的におかしいでしょう。
さて、前説が長くなりましたが、本題の『ところでレイプはあったのか?』に入ります。
というかね、まあ上で長ったらしくグチグチ書いているのでなんとなく推測はついたと思いますが、ぶっちゃけ私はレイプはなかったと思ってます。あったとして(悪質とは言いにくいレベルの)強姦未遂か強制わいせつくらいかな、と。
まず、ちょっと考えれば分かりますが、仮にレイプがあったとしても、おそらくは衝動犯であって計画犯でない可能性が高いです。なぜなら、そもそもはじめからレイプするつもりだったなら、帰り道にレイプっておかしいんですよ。
そもそも(レイプ後)生きて相手を帰すのであれば、自宅に連れ込んだら足がつくじゃないですか。もしレイプするつもりだったなら、自宅になど連れて行かずに、適当な人気のないところに連れ込んでレイプすると考えるのが自然です。
とすると可能性が高いのは、レイプするつもりはなかったか、もしくは帰り道に突然猛烈な性欲に襲われて衝動的にレイプしたか。
で、仮に衝動的にレイプしたとすると、非常におかしなことがあります。それは、米兵が現場の近くで逮捕されていること。レイプ現場に残る犯人なんておかしくないですか?捕まえてくれと言っているようなものじゃないですか。
更には、容疑者の『関係は迫ったが、暴行はしていない』という主張も妙です。普通なら『合意はあった』というはずです。なぜなら、合意があろうがなかろうが、セックスすればそれ相応の「証拠」が残るからで、「証拠」がみつかったら『関係は迫ったが、暴行はしていない』なんていう主張は通用しません。
だから、私はレイプはなかったと推測します。
ただ、米兵も認めているように、『関係を迫った』のは間違いないようで、何しろゴツイ兵士ですから、それを少女が「レイプされる」と感じたとしても当然でしょう。そうであれば『殺される』という通話の内容にも納得がいきます。
で、これは大変なことになったと思った、通話相手である少女の友人(&その親)が、警察に「少女が米兵にレイプされて殺されるかもしれない」という類の通報をしたとしても、当然です。
で、これは大変なことが起きたと思った警察官が、現場付近を探索していたら、泣きじゃくる被害者っぽい少女と、それからまた犯人っぽい米兵を発見したら、米兵を逮捕したとしても、当然です。
で、警察がよくよく話を聞いて、証拠を調べてみると、レイプがあったとは考えにくいということになって、被害者が告訴を取り下げれば、(強姦容疑に関しては)結果的に誤認逮捕をやってしまった警察が(あえて本当の理由を言わずに)それを理由に米兵を釈放することもまた、当然です。
じゃあ、米兵は冤罪の被害者かというと、それはちょっと違うでしょう。まず第一に、彼には少女が未成年(中学生)であることに本当に気が付かなかったのかという疑惑があります。第二に、「関係の迫り方」が(レイプすると思われるほど)強引だったという疑念があります。
それを考えると、『決して許されない』とは決して思いませんが、しかし数晩くらい拘置所で頭を冷やすくらいの責任はあると思います。
隣国で女王交代の儀が執り行われるとの話を聞いたので、愛用している小さく丈夫な革の旅行鞄に、筆と帳面とありったけの乾物を入れ早速出かけることにした。助平と思われるかもしれないが、私は人様に助平と申せる程に助平ではない。照れや恥からではなく、真実人並み程度の助平心しか持ち合わせていないのだ。それならば何故、女王交代の儀の知らせを聞くや否や隣国まで出かけることにしたのかと言うと、理由は三つある。
一つは私がしがない物書きであること。それも自らの世界を書く創り手ではなく、異境の珍奇なる事柄を面白可笑しく書く記し手であるからだ。十日程前に大家に納めた店賃で蓄えは全てなくなってしまったので、ここ何日かは温かい飯を食らうこともできずにひたすら乾物を囓っていた。何か書かねば飢えてしまうし、飢えはせずとも店賃を払えなければ追い出されて凍え死んでしまう。しかし書くことがない。諸国を放浪した際に見聞きした珍奇なる事はほとんど書いてしまっていた。どうしたものか。嘘八百を書いてしまおうか。そんな時に女王交代の儀の話を聞いたのだから、一も二もなく飛びついたわけだ。
二つ目は私が珍奇なる事柄が三度の飯よりも大好きであること。食うや食わずの物書きなど堅気の人間はやりたがらぬことを望んで生業としたのはそのためである。稚い頃から記し手の話を手に入れると飯を食うのも忘れて何度も何度も読み返し、頭に浮かべたその珍奇なる世界に思いを馳せていた。商家の倅として生まれた私だが、数をパチパチ弾くだけの変わり映えしない生活に飽き飽きしていたせいか、尋常ではない入れ込みようであった。そんな私だが隣国の女王交代の儀は未だ見たことがなかった。前回の儀は十六年前。既に珍奇なる事柄に興味を持っていたのだが、十をようやく超えたばかりの子には隣国は少し遠すぎた。夜明け前に荷を持って出かけたのだが、翌日の夜には親から捜索を頼まれた者たちに連れ戻されてしまった。三つ隣りの村だった。それ以来、女王交代の儀には並々ならぬ関心を持っていたというわけだ。
そして三つ目。いくら書くことがないとは言え、いくら稚い頃から関心を持っていたとは言え、隣国はそれでも旅に出るにはまだ遠い。容易ならぬ山道を幾日も歩くよりは、手っ取り早く嘘八百を記してしまうなり、それでなくとも以前に書いた珍奇なる事柄を記してしまった方が、良いではないか。そう考えるのが常であろうし、他の珍奇なる事柄ならば私もそう考えたかもしれない。しかしそれでも私は迷うことなく家を出た。すなわち三つ目の理由とは、二つの理由を後押しして迷わず出かける程度にはある、私の助平心ということだ。
そうして乾物を囓りながら小さな旅行鞄を片手に私は隣国へと旅立った。
隣国へ着いたのは儀の一日前だった。儀は取り決められてから十と五日後に執り行われる。噂を聞いてからすぐに飛び出た御陰で間に合った。街の外れの安い宿屋でなけなしの銭を渡し部屋を取ってから、まずは儀の執り行われる広場へ足を向けた。広場には縦横五丈、高さ一丈程の舞台のようなものが造られていた。何人かの職人が最後の仕上げに舞台へ上がる段を拵えていた。明日執り行われる事を考えると何とも言えない気分になるが、それを見たさに来ているのだから我ながら始末が悪い。
陽も沈んできたので宿に帰ると何やら賑わっていた。先ほどは裏通りから入ったので気付かなかったがどうやら宿があるのは裏手であって、その向こうにある中央の通りと面してる方に酒場があるようだった。宿の奥にある細い通路を抜けると賑やかな酒場に出た。中央の通りに面してるとは言っても街の外れには変わりがないので上等な客層ではなかった。眺めていると顔を真っ赤にした日に焼けた中年男が声をかけてきた。私が旅の者で、しかも記し手であることがわかると、珍奇なる話を求められたので話してやると、大層気に入ったようで酒を奢ってくれた。こうして珍奇なる事柄を多く知っていると得なこともある。話をし尽くし、奢ってってもらい尽くした自分の街では使えないのが残念だが。男と話をしていると明日を大層楽しみにしていることがわかった。新たな女王の誕生だ。これから国は良くなる。そうは言っていたが下卑た笑いからは、それが本心とはとても思えなかった。
男が酔い潰れてしまったので酒場を見回すと俯いて飲んでる男がいた。酔い潰れた男が注文していた酒を手に持ち、その男のもとへと行き、酒を注いでやった。特に驚くことも嫌がることもなかったので、そのまま前の椅子に座り酒を飲むことにした。しばらくすると男は愚痴り始めた。幼いときから知っている。心の底から崇めていた。しょうがないことなんだろうが。やりきれない。自分より少し若い男はそう愚痴をこぼしやはり酔い潰れてしまった。恐らく初めての女王交代の儀なんだろう。もし自分がこの国に生まれてたらどう思うだろう。そんなことを考えながら酒場を後にした。部屋に戻るとすぐに睡魔に襲われ眠りに落ちた。久しぶりの酒のせいだろう。結局答えは出ずに考えだけがぐるぐる回っていた。
翌朝、太陽の眩しさに目が覚めた。朝は大分過ぎているようだったが、儀が執り行われる昼にはまだ時間があるようだった。乾物を囓りながら広場に行くと街中の人間が集まっていた。下卑た笑いを浮かべる男に、俯きがちな男。そんな男を呆れた目で見る女に、にやにやしながら待つ女。恐らく街中の人という人が集まっていた。そんな様子を見ていると太鼓の音が鳴り響く。後ろを見やると兵士に連れられた女王が、いや元女王がやってきた。手を縄で縛られ、襤褸切れの首の所だけに穴を開けた服で、歩く度にちらりちらりと肌が見える。しかし、それでもなお女王の風格を纏っているのだから、なかなかの傑物だったのだろう。囃し立てる男達に、罵声を浴びせる女達。その中を兵士達が道を作り、元女王は舞台へと上がった。
そして仰々しい礼装をした老人が束ねた紙を手にして舞台へ上がる。女王を補佐してた中で一番の有力者が告げると聞くので彼がそうなのだろう。老人は恭しく女王の罪状を述べた。曰く不作。曰く日照り。曰く疫病。さしもの女王でも如何ともし難いことばかりだった。罪状を告げ終わると兵士が元女王の身を纏う襤褸切れを剥ぎ取り、性器を模した木型を手にした老人が女王の股間に突き刺す。女王の小さな悲鳴と共に赤い血が流れる。老人が破瓜の血を吸った木型を掲げると大きな歓声が沸いた。その後は代わる代わるに犯され続けた。脂ぎった男に、木型を持った女に、行為の意味もわからぬ稚児の拳に、そして昨日酒場で悩んでいた俯いてた男に。
陽が暮れるまで犯し嬲られ罵倒されつくした女王には、もう女王の威厳は宿っていなかった。それどころか人としての心さえも壊れてしまったようで、目の焦点は合わないままだった。そして呻き声しか発せられなくなった白濁の元女王が横たわる舞台に火がつけられる。人々はその周りを騒ぎながら踊る。夜が明けるまで。国を悪くした元女王がいなくなったことに喜びながら、新たな女王が国を良くしてくれることを祈りながら。
翌朝、国へ帰ることにした。金穴と好奇心と少しの助平心で来たものの、人並み程度の助平心しか持たない私には少し重すぎたようだった。満たされた好奇心以上に後味の悪さが残る。それでも飯の種ができただけいいかと街を出る途中、城の前を通りかかると新女王の戴冠式が行われていた。そこにはまだ物心もついてないだろう稚児が、数えきれないくらいの人間に崇められていた。何かわからない子ども達は不思議そうにしていたが、大人達は皆真剣に頭を下げて女王を讃えていた。
少し歩くと、酒場で出会った日に焼けた中年男がいた。周りと同じように真剣に崇めている様子だったが相変わらず下卑た笑みを浮かべていた。何かを期待するような下卑た笑みを。またしばらく歩くと、酒場で出会った自分より少し年下の俯いてた男がいた。彼もまた真剣ではあったが日に焼けた中年男と同じ顔をしていた。この街ではこうして大人になっていくのだろう。真剣に崇めれば崇めた分だけカタルシスは大きくなる。だからこそ、この街の大人は皆真剣なのだろう。不思議そうに大人の真似して頭を下げてる子を見て、一昨日の問いが再び頭に上る。小さな旅行鞄から取り出した乾物を囓りながら、私は隣国を去った。
あの質問主は頭がおかしいわけでも何でも無い。宗教なんだよ。地下活動しているので知らなくても当然だが。
唯一神「ありがとう」をあがめるありがとう教の信者は、基本的には紹介制になっていて、近所の教会に飛び込みで入信するってわけにはいかない。というか、教会は持っていない。「この人は正しく倫理的で正義感にあふれ、礼の心を持ち合わせた強き人です」と既存信者に紹介してもらって、初めて入信の扉を叩くことができる。宗教と言うよりフリーメーソン型の結社と言っていい。
「ありがとう」は神の御名であり、軽々しく口にする事は冒涜に当たる。同様なケースはユダヤ教にも見られ、教徒は恐れ多い神の名(ヤーウェとも、ヤハベ、エホバとも)を日常口にするのを忌避し、その頭文字であるユッド(あるいはヨッド)で神の事を話す。この手の言霊信仰に近い考え方は世界各地に見られる。
ありがとう教において、唯一にして絶対の神の名は、正しい時と場所で、清らかなる心の元に発するものであり、軽々しく口にする事は万死に値する。一方で、基本的に地下組織的であるこの教団は、表立って「ありがとうを正しい心で」と布教できないため、信者は自分が選ばれたものであると言う自負と、愚民への怒りの間でさいなまされる事になる。
「ありがとう」という秘儀がこのように公の場で語られることは珍しい。だが、それに正しく応じているものがいることは、これが単なる怒りの発露ではなく秘密の通信の一部であることをにおわせる。たぶん「チチキトク・スグカエレ」で麻薬取引の合図とするような、何らかの取り決めがあったのだろう。
それにしてもうかつだっのではないか。意図せぬこととは言え、これほど一般から注目を浴びてしまっては、教団内部での地位が危ないのではないか。モーツアルトはフリーメーソンの秘儀をオペラ「魔笛」の中で漏らしたために殺されたとも言われている。この二人にどのような運命が待ち構えているのか、深く考えるのは避けておく。
ちなみに、ありがとう教のほかにも、おはよう教、しんせつ教、すみません教といった、秘密教団があってそれぞれ活動している。ぐぐっても引っかからないが、公安がマークしているし、時々民俗学系雑誌で話題になっている事がある。
「不正直な善」が偽善なのかな。偽善という言葉の指すものがずれてきてない?このエントリ書いた人が間違ってるって言いたいわけじゃなくて、他で見かける用法もこんな使い方でイマドキはそういうもんで無理からぬことなんだろうと思うけど、でもそれは自分が思ってた偽善(辞書に載っている古い用法)とは違ってて、日本語が変化しつつあるのかなって気がしてる。
古い方の用法では、偽善とは、見かけだけ善のように装うことであって、つまり善ではないことが前提の表現。でも最近の用法では、結果的に善になる行為であっても「一点の曇りもない、自己犠牲を伴う、完璧な善行」以外は全て偽善と呼ばれがち。例えば、win-winなシチュだったらそれはもう偽善みたいな。結果善な行為まで偽善と呼ぶのは、自分はかなり抵抗がある。善の範囲が狭くなってきたなあと思う。息苦しい方向の変化だと思うんだけど、ちょっと興味深くもある。
もっとずっと"偽"
ってのと関係あるかな。この現象。
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないものは、どれだけ多くの利益を受けることだろうか
自省録 マルクス・アウレリウス
「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」
「ありえない」と答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな。
自省録 マルクス・アウレリウス
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
オンザエッジに居たという消せない烙印には同情するよ。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50981635.html
善意に解釈すれば、その烙印に抗いたいばかりに「居た会社とその会社のやったことは切り分けろ」という無意識の叫びが目を曇らせて「成果物とその用法は切り分けろ」と言ってるんだろう。
包丁を殺人に使ったら、悪いのは殺人者であって包丁ではないって言うたとえもあるからな。だけど、非合法なピストルで殺人が行われたら、ピストルを売った奴も悪いのさ。
ぐじゃぐじゃもめてるが、結局「ならぬことはならぬのです」という言葉が蔑ろにされている風潮が露骨にでているだけなんだよな。品行方正より舌先三寸を重んじる奴ばかりだからな。
誰かを好きになると独占欲が出てくるにゃん。
我輩の話に耳を傾け一緒にある物事について話をしたりしたいにゃん。
好きな人の心の中を包み隠さず見てみたいと思うのにゃん。
でもこれは叶わぬことだったりするにゃ。
友達にさえなれなかったりするにゃん。
我輩は不器用だから。
だからいつも心を隠してその人のことを忘れようとするにゃあ。
でも、ふっと脳裏にその人のことが浮かび上がり耐えられない苦しさが募ってくるにゃん。
我輩は或る日獰猛な虎になりその人を奪いに行ってってしまうかもしれないぎゃおー・・・(悲)
そのひとは残念ながら人間だったりするにゃあ。
だから我輩の思いはずっと伝わらないのだニャ。
だから、我輩はいつも鳴いているのだにゃん。
「にゃおおん。にゃおおん。」
我輩をみつけたら優しくなでてくれ。
せめてものご慈悲を。
にゃおん。にゃおおん。
きっとね、不幸だけを見つめて生きるように育てられたかわいそうな子なんだよ。
さらにかわいそうなことにそれが自分のキャラクターなんだって思ってるんだよ。
刹那的ではあるけれど、ぬこ画像見るだけでも幸せを感じることはできるのになあ。
あと、昨日NHKかなんかで白鳥を見て、白鳥もかなり幸せ効果が高いとおもった。
あの鳴き声はいい。非常にいい。
あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない
相手の貴方に対する態度は、貴方の相手に対する態度そのものと考えなさい。
人間関係はこちらの出方次第。
こちらが笑えば向こうも笑う。こちらがしかめ面をすれば相手も渋面になる。
邑井操
世界は巨大な鏡だ。
それはあなたの全てを映し出してくれる。
馬鹿は見たくないと言うなら、
まず自分の鏡を壊さなければならない
くだらない質問には答えぬがよい。
くだらない話には耳をかさぬがよい。
あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。
道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。
争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。
やたらに人と争い競う性質の者とは
事の是非を語り合うことはしないほうがよい。
辛辣インターフェース評議会 - アメブロがデマをまき散らかしてクソ迷惑なのでまたWeb屋のネタ帳みたいなことを書く
http://mala.nowa.jp/entry/24af50df17
もう、全面的に上記のページには、同意。激しく同意。
俺はweb屋じゃないけど、あたりまえのことだろ!って思う。
さて、それはそれとして
これは、あまりにもひどくないか?
大して、気になる内容じゃないぞ?
まあ、元のブログの主は、言われてから修正されたんだろうが。
しかし、な、言わせてくれ、
俺も、自身のブログでは、会社で、あーいうことがあった、こういうことがあった、
こういう行事に参加したとか、書くわけですよ。
もらしたらマズイだろうと思うことは、節度を持って、ブログを書くわけですよ。
しかしな、
俺は、ラバースーツ着て、全頭マスクをつけて、ドモホルンリンクルの液体を一滴一滴確認する仕事を、今後何十年も続けるなど、まっぴらだ。
そこまで言うなら、
なんなら、会社員のブログは、公務員みたいに、許可制にすればいいんだよ。
免許制にすればいいんだよ。
もちろん、法律でな。
ああ、おれは、
会社員情報配信許可証が必要で、ポリ公にビクビクしながら、ブログを書くなんてまっぴらだね。
ブログくらい好きに書かせろっていうんだ。
ただでさえ、見るたびに薄汚いグロテスクな男性の生殖器を想像させられる名前とも似つかわないハンドルが不愉快で、きたねえ言葉を我慢して読んでいるというのに、他人に趣味趣向の域にまで、肥溜に落ちてクソが付着した土というのもおこがましい足で、踏み込まれては、どんな、真実、指摘、理由も、全て台無し。
3日間つくりおきするためのカレーに、詐欺的コールドリーダー細木和子の番組の影響で、最後に牛乳を入れて、同僚に飲みに誘われたので、残ってしまい4日目の夜に食べようとするも、プーンと匂いがしたので、結局、ぬこの餌にしてしまうくらい台無し。
結局、俺が何をいいたいかっていうとだな・・・・
一通り書いたら、すっきりしました、ありがとうございました。
先生、つかぬことをお伺いしますが、テニミュをお好きだったり致しますか…
いや、あくまで、あくまで気になっただけで、ええ、ちょっと、はい
「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな!」 ジミ・ヘンドリックス
「世界ぜんたいが幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない」 宮沢賢治
「相手がどう反撃していいか、わからないような戦法で、ぼくは権力と戦いたい」 ジョン・レノン
「不思議なことだ、いつの時代においても悪人は自分の下劣な行為に、
宗教や道徳や愛国心のために奉仕したのだという仮面を着せようとつとめている」
byハイネ
byジミ・ヘンドリックス(“伝説”のギタリスト)
「愛国心とは喜んで人を殺し、つまらぬことのために死ぬことだ」
byバートランド・ラッセル(哲学者、ノーベル文学賞受賞)
「恐怖心や愛国心によって人を殺すのは、怒りや貪欲によって人を殺すのとまったく同じく悪い」
byヘンリー・ミラー
byモーパッサン
byサミュエル・ジョンソン(イギリスの文豪)
「ナショナリズムは小児病である。それは国家の麻疹(はしか)である」
by アルベルト・アインシュタイン(物理学者、ノーベル物理学賞受賞)
「人類から愛国心を叩き出してしまわないかぎり、あなたがたは決して平穏な世界を持たないだろう」
byバーナード・ショウ(戯曲家、劇作家、ノーベル文学賞受賞)
byチャールズ・スペンサー・チャップリン(喜劇王、俳優・映画監督)
・極右利権政治家やネットウヨクが唱える愛国心=時の政権与党への絶対服従
国費と国富をいいように喰い散らかし、私腹を肥やしていることを受け入れ、我慢する心。それが「愛国心」)
(ちなみに、ウヨ厨の理想は、北朝鮮またはナチスドイツ型の言論統制全体主義国家)
『現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。』」
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーはうそぶく
『国民の自業自得(自己責任)。国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ。』
by サミュエル・ジョンソン(イギリスの文豪)
◆「“愛国心”とは喜んで人を殺し、つまらぬことのために死ぬことだ。」
by バートランド・ラッセル(哲学者、ノーベル賞受賞)
内容はこんな感じ。
「戦争は富裕層の利益のために行われる。実際に戦場に赴くのは貧困層の若者。
でも僕は努力しました。
初めて増田を見たとき、なにやら頭の良さげな人達が、意味不明のむずかしーことばかり言ってたので、惹かれました。なんかすごそうだぞと。
そんなみなさんがすごいって言うなら、きっと良いものに違いないと思って、話についていけるように
ニコニコ動画のID取ったり、ミクの歌を聴いたり、萌え分野のことを調べてみたり、ハルヒやらきすたも見ました。
ニコニコ動画はエアーマンとかミクとか組曲とか改造マリオとか、一通り見たけど全然楽しめず、コメントは
何を見ても自重しろとかwwwwwとかぬこぬこ言ってて見づらいだけだから、非表示にしてNHKスペシャルと海外ドラマと好きなバンドの動画見てます。
萌え系のキャラや声は僕にとっては心の底からキモくて登場人物は殴りたくなるわ、ふざけてんのかその声は、俺をなめんなって胸ぐら掴みそうになる感じです。
2ちゃんで評判のエロゲーもやってみましたが、文章のキモさと嫌いなアニメ声にやられて抜くどころじゃなかったです。
あと○○は俺の嫁とか言う人が信じられません。萌えキャラに付き合ってと言われても迷いなく断ります。ツンデレも天然もうざいです。友達にすらなりたくないです。
コンピュータやプログラミングについて語る人もいますが、僕には全く興味ないです。僕はネットワークエンジニアのくせに、コンピュータが好きではありません。
仕事以外では、パソコンを人並みに使えりゃそれでいいと思ってます。
みなさんはモテるとかモテないとか、いじめについて熱く語ってますが、これもどうでもいいです。
僕は昔のことはどうでもいいし、彼女がいるときもいないときも毎日楽しく暮らしていますよ。
1ソフトであるミクについて朝から晩まで語る忍耐力も持ち合わせていません。
オタクはキモイとかもどうでもいいです。キモくてもキモくなくても、どうでもいいじゃないですか。
世の中のことを論じたり説明するときに、なんでもアニメやゲームを引き合いに出すのはどうかと思います。
あまりにも、今言ったことのような話ばかりに偏り過ぎていて、僕にはついていけません。読むのが苦痛です。
だから引退するのです。匿名ダイアリーって、もっといろんな可能性があるのに、そういうことに興味のある人が異常に多すぎて
つまんないんだと思います。いや、みなさんにとってはおもしろいのなら、それでいいのかもしれません。
僕は文章が下手だから、きっとこれを書くとまた頭の良い人達が僕の言ってることの矛盾や、僕がいかに理解していないかを論じるんだと思います。
でも僕は辞めるのです。
話は変わりますが、丸の内線に乗ったとき、おっさんが一人分空いてる席に猛ダッシュして自分のカバンを投げて確保したのを見たことがあります。
先に近くまで来ていたおねぇさんに取られてたまるかと思って、そうしたのです。
座ったおじさんはなんと、いかにも得意げに、誇らしげに、どんなもんだい!またはへっへーんと言った感じに、勝ち誇った表情をおねぃさんに向けてしたのです。
僕はびっくりしました。きっとこの人とは、分かり合えない。価値観が根本から違うんだと思いました。
きっとおじさんにその考え方がいかにおかしいかを説明しても、一生わかってもらえないだろうと思いました。
みなさんにとって、僕はそのおじさんと同じなのかもしれません。きっと何を言われても、心の底から理解できません。
みなさんは一般の人は知識や経験がないために、みなさんの好きな何かの良さについて理解できないのだと思ってるかもしれませんが(だからミクが変な紹介
のされ方すると怒るのでしょう、ほんとはもっとすごいのにって。)、それは大きな間違いです。
同じ知識を持ったところで、理解できないものはできないのです。だからあまり一般の人をバカにしないでほしいのです。
どんな絵を見ても全く萌えない人がいるってことを、知ってください。(猫には萌えます)
僕が言いたいのはそれだけです。それではさようなら。
私は吉田秋生の作品で知った口であるが、セックス時に女性がオーガズムにいたったときに着床すると男が生まれるという。
俗説なのか信憑性があるのかよくわからないが、これはかなりの力を持った呪縛として私の中に浸透している。女児を連れた母親をみるといらぬことを考えてしまう。男児を連れていてもいらぬことを考えるが。
それは私だけではなくタレントの山崎邦正もそのことをいたく気にしているそうだ。実際、山崎家は子供が3人とも女らしいし。その話題を山崎にふるとあきらかに動揺しておかした状態になるそうだ。
この説が正しいものとするならば、男児がオーガズムの産物とすると、女児は逆に欲求不満の産物になるのではないか? そう考えると、ときおりネットなどで見受けられる業の深い所作や思考は欲求を満たされなかった恨みつらみが無意識のうちににじみ出ているのではと合点がいくのだ。
しかしながら、そういった女性の欲求不満を解消することに男は歓びを感じることになっている。セックスのあとに「気持ちよかった?」と尋ねるのは決まって男だ。このオーガズムの有無をくよくよと悩んでいるのもまちがいなく男だろう。
女は欲求不満を抱え男はそれを解消するために人生を費やすことになっている。まったくうまくできてると思う。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている
行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存(ぞんじ)候(そうろう)。勝海舟
これらのことからは足を遠ざけねばならない。
無知な人々のするこのようなことは、何にせよ無視されねばならない
(このようなことは無知な人でなければすることは出来ない)。
そして
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
そうしなければ、われわれは軽蔑への恐怖または嫌悪のために、多くの必要なことを止めることになろう。
また、何か気に染まぬことを聞くのではないかという女のような心配がわれわれを締め付ける限り、
公的にせよ私的にせよ、もろもろの義務をあえて遂行しようとはしないであろう
また、時にはわれわれは有力者に憤慨して、自分の感情を勝手自由にむき出す。
われわれは誤っている。
心の喜びが流れ出る唯一の源たらしめ、
それは結局は、
なぜというに、
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
あるとき、ある男が、人に挨拶をしたら、挨拶を返さなかったというので
腹を立てていると、彼は言った、
「笑うべきことだよ、君は身体の悪い人間に出逢っても別に腹を立てないのに、
心が粗野にできている人間に出合ったというので、憤慨するというのは。」
君は犬や羊に足を踏まれたからといって、逆上し気が違ったように激怒するのかね?
堅い岩が風に揺るがないように、
賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。
おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。
BUDDHA
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないもの。アウレリウス
あの人たちの行為のために、どうして私がわずらわしい思いをするのだ
http://anond.hatelabo.jp/20131005185221
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。