名前を隠して楽しく日記。
それでも広告業は無価値かと問われればそこまでは思わない、冷静に必要悪と言う人も多いだろうけど、
世論調査みたいな大義があるわけでもない一企業の営業のための無作為なかけ子が価値があると言うのはまじでその身内で正当化の動機があるやつしかいなそう。
↑これが世間の反応なので
郵便や電話はもう「絶対に読む必要がある重要なお知らせ」だけに限定してほしい。
知らん電話番号だから営業だろうと思って取らなかったら重要な電話だったりとか。
ウザすぎるんだよな。
営業電話しないと採算でるほど仕事とれない事業ってそもそも社会にとって価値がないと言っていいのでは?
あるいは営業されれば頼む人がいる程度には価値があるが、迷惑だと思う人が解釈する負の価値で相殺されて結局価値はマイナスまである。
そんな仕事この世にいらないと思うのは俺だけ?
それはそれとして、好きに着たらよろしい。
流山おおたかの森や柏に行きやすいし、春日部や大宮、船橋にもつながってるし、1時間あれば日暮里や成田空港まで行けてしまう。
ただ、松戸や柏、流山おおたかの森に比べると不便なんで、三点ユニットバスのワンルームアパートは恐ろしく安いけど、BT別は4~5万円ぐらい出さないと借りれないし、
戸建ては建売でも車が止められる奴は3000万円ぐらいする。
virtualのニュアンスを正確に和訳するのは難しいんだけど、
原義としては、増田の言う通り「事実上の」と訳すのが一番近い、それは正しい
ただ、現在よく使われる「仮想」という訳が 完全誤訳 と言い切ってしまうのは、それこそ誤り。
「事実上の○○」=「厳密には○○ではないけど、もうほぼ○○と見なせる」という意図を含んでいて、
そこから「疑似的な」というような使い方がされるようになり、
それが今日の「実体の存在しない」という使い方に発展するようになった
ややこしいのは、その意味を表す日本語の単語が「仮想」なので、