今でこそ店のおっちゃんだが若かりしきころは小説家を志す文学青年だった。
そんな俺には小さな自慢がある。
もちろん、ひどく売れなかった。
打ちひしがれた俺は夢を諦め家業を継ぐことにした。
その本は俺の店の片隅にひっそりと置かれている。
ときおり何気なしに手を伸ばして本を読み出すお客さんを見るのが少し嬉しい。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-1306694
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耳って取られたらどのくらい聴覚に影響あるんかね?
ジェン・アイザクソン「フーコーからサンフランシスコへ――クィア理論の不変のルーツ」
https://appinternational.org/2021/09/10/izaakson_from-foucault-to-san-francisco/
本稿は、イギリスのラディカル・フェミニストでマルクス主義者でもあるジェン・アイザクソンさんが、彼女の主催するサイト「On the Woman Question」に掲載された論文の全訳です。著者の許可を得て、ここに掲載します。クィア理論が本質的にペドフィリアを肯定するものであり、欧米左翼とアカデミズムがクイア理論によって蝕まれ、それがいかに政治的に危険であるかが明らかにされています。
クィア理論の成立を画するのは、ゲイル・ルービンが1984年に発表した「性を考える――性の政治学のラディカルな理論のための覚書(Thinking Sex: Notes For A Radical Theory of the Politics of Sexuality)」という広く知られている文書だ。
ルービンは「セックスを考える」の中で、子どものセクシュアライゼーションに反対するのは「エロティック・ヒステリー」であり、一種のリビドー的に引き起こされた道徳的パニックであると主張している。これは、性的境界線を保護することを求めるセックス・クリティカルなフェミニストを、性的に抑圧された堅物にすぎないとする例の古典的考え方と同類だとみなしうるだろう。
左派はクィア理論を採用することで危険を冒している。というのもそれは、ペドフィリア擁護論にもとづいているだけでなく、今なおその軌道がペド的起源からそれほど離れていないからだ。
オッ、オレに言わんでくれえッ
それは正解だね。
ワイは無言で席を立って歩きながら横目で店員にありがとうございましたって言われるかなーって考えながら何も言われなくて扉を開けた時ちょっと悲しかったからな。
耳なし芳一は、盲人である芳一が耳まで(聴覚まで)取られてしまうところが怖いんであって、小泉八雲が「怪談」で書いているように、耳を取られたけど怪我が治って(聴覚も失わず)琵琶法師を続けたというのは、ちょっと違うんじゃないだろうか。
フェミの根強いロビー活動が 海外クレカ会社の大株主を動かして 表現規制に至る
………って説もあったが それだと 山田太郎クレカ再開の爆速さに 説明がつかないんだよな
オレも 時代の流れ説を推す