「健康」という言葉は現代においてすっかり「正義」とか「マナー」とかそういう言葉...社会善、あるいは社会責任として捉えられるようになってしまったな。
そして何より、社会の中で「健康」という言葉の意味する所が変わっている。10年、20年くらい前には「健康」というのは単に「病気ではない状態」もっと言えば「病識がない状態」であって、個人の範疇から大きく外れることは無かった。
例えばタバコを吸う当人が「これはストレス解消になってるから、(総体として)健康のためなのだ」と思っていたら、疑問符は付くものの概ね健康のためなのだろうと社会的に捉えられていた。
しかし、この10年、社会活動家の影響や、コロナの影響、そしてインターネットとSNSの発展により、「健康」というのは急速に社会的なものとして拡張されるようになってしまった。社会の視線が入ることにより、「健康」というものはより画一的で厳密な物になってしまった。誰もが何時如何なる時に見ても健康でなければそれは健康ではないという、時間、空間を問わない社会視線によって健康が評価されるようになってしまった。
現代ではもはや「ストレス解消のために不健康な振る舞いをすること」はもはや許されない。見知らぬ誰かがあなたがそのストレス解消行為をする所を見たときに「不健康だ」と感じたならその時点でもはや健康ではないからだ。ストレス解消はいつ、だれが見ても"健康"な方法で行われなければならない。(タバコなどはもっての外だ。この20年で完全に加害性のシンボルとなった物はどう考えても「健康」じゃない。)
そしてその社会性をもってして「健康」は社会規範になった。健康は皆が守るべきルールであり、そこからの逸脱は社会意識に欠ける振る舞いだと見なされるようになった。(卵が先か鶏が先かは私は存じないが)「不健康」は「加害」であると見なされるようになった。
不健康という言葉は表向きは「あなたのためを思ってやっている」と言う態度を示しているが、その内実は「社会規範に従わなければどうなるか分かっているな」というヤクザの脅し文句に他ならない。
具体的な事例についての反対じゃないとさ。
そうだね。抵抗権とかね。
※たまごと、砂糖と 小麦粉でケーキが作れるよ! というのは嘘ではないけど
なにをどのていど、どの分量で?という細かいところでみんなさをつけているから、
料理物ってむずかしいよねっていういみ。
主人公は探偵兼プロサッカー選手。試合開始のホイッスルと共にエースが死亡。ゴール時にキーパーが死亡。ハーフタイム後に戻ってこない審判。レッドカード級のファールでなぜかファールした方が死亡。ロスタイムに追い込みをかけるように3人くらい死亡。更衣室に戻ると控え選手が死んでいる。ミーティングに現れないコーチ。あとがきでハットトリックと叙述トリックをかけてくるウザい作者。
これ、暗数めちゃくちゃ多そうだな
1日飲まないだけで、昨日はすごかった。
感情面では、会社の後輩に変に高いテンションで話してしまった。
薬の効果って凄いのね。
こりゃなるべく早くやめないと、どう考えても体に悪い。
こわいこわい。
では、まず自助のために銃を解禁しよう。