玉だろ弱点は
終わった。
今年で9回目だった。
「落ちた」というタイトルで、その時に思い浮かぶままタイピングをして、思いを吐き出した。
それでも、目の前の子どもたちを最後まで見ようと思い立って、3月まで頑張った。
結果、やりきってよかった。
年齢のこと、考えが幼稚なこと、自信がないこと、あれやこれやといろいろコメント欄で言われたが、そんなの何も本質的でない、外野からの言葉にすぎない。
たとえば、一般化された匿名の誰かが評価できるほど、自分っていうのは、既知ではないだろうってことだ。
単なる戯言に対してのコメントは、私への評価ではないということだ。
私は、今年、教採に受かった。
長く続けてみるもんだ。
生き続けてみるもんだ。
挑戦し続けてみるもんだ。
と思う。
ここで受かると分かっていたなら、ここで受かるのがベストだと思った。
ここまで受からなくてよかった。
そのおかげで、いろいろと面白い方へ舵を切ることができた。
昨年、教採は落ちたけれど、結婚したり、子どもが出来たりした。
そんなことを思う。
勝手に自分が決めてしまったルールで戦うのではなく、ほしいものを手に入れたいなら手に入れて、好きに人生を進めていい。
順番なんてものはないのだ。
たとえば。
とにかく、これまでの方法でうまくいかないのなら、なんでもいいから手を変えたほうがいい。
そうして、歯車が次々と動き出し、人生の歩みが軌道に乗れば、それなりに人生は進む。
人生が進まないと思っているのは自分だけで、人生を進めていないのも自分自身なのだ。
どんなに絶望したって、絶望が絶望のままで終わらないこともある。
そういうことを知れる9年間の教採だった。
本当にいろいろな示唆のある、9年間だった。
耐えきった先に、光があることもある。
人生のストーリーは、どこで辻褄が合うか、決して分かり得ない。
直観とワクワクに従って、やってみようというチャレンジのある方にサイコロを転がす。
そこに、幸せもちらつく。
たくさんの声をくださった、何人もの方々。
実際には優れた研究者や詩人だったのに誰かのワイフであったとか愛人だったとか言われて本当に無念だろうなあと思ってますよ。
私の大好きなシルヴィア・プラスなんかもワンオブゼムですね。
成功例が皆無なフリーアドレス制度をなぜいろんな企業が導入してしまうのだろうか。
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プリコネとかグラブルとか流行っているゲームの噂が盛り上がると手を出しそうになるんだけど、「でも本格的に楽しもうと思ったら50時間ぐらいプレイすることになって、そこまで遊んじゃったら今度はコンコルド効果で半分飽きてるけど150時間ぐらい遊ばないと離れられなくなるんでしょ?」ってもうひとりの自分がネタバレしてくれるから流行りに乗ることすら出来ない。
仕事をやめたくなって転職のために準備をしている時も「でも頑張っていい職場にたどり着けるチャンスは既に失われたよ?効率の悪いことを努力の証拠だって有難がるレベルの人間しかいないステージから這い上がれる力が君にないなら、転職した所で根性無しとしてもっと社会的地位の低い場所に飛ばされるだけだよ」ってネタバレを食らう。
ただ一つ分かるのは、生まれ変わりってものがある可能性にかけられるほど自分がスピリチュアルじゃなくなったということだけだ。
この意識を持って生きられるのはこの肉体に縛られている間だけ。
こういう奴って他意識過剰でいいの?
なにが書かれてたの?
さっさとパンツの色聞いてこい
その堂々とってのはAVに出演してインタビューを撮影されるときも?
自然と堂々となんてみせられない状況はあるでしょ
場合によるものを自分の中で自然につかいわけてるのは「慣れてる」だけ。
慣れてない人はおっかなびっくりでちょうどいいよ
正確には今日の午前2時頃だし、終わったとは言っても旧バージョンのアプリが使えなくなっただけだが。
世間的には全く有名ではない、あるいは過去に流行ったゲーム。なのにファンからすると世界が終わるような寂しさが有る。
これからも続けていく同士や辞めてしまった敵を思い、ここに綴る。
また会えるさ。
世界が繋がっているってことを初めて知ったんだから、このゲームで。
"Acquiring position. Downloading latest Intel package. Welcome back!"