2019-10-01

今年の教員採用試験

終わった。

今年で9回目だった。

昨年も匿名ダイアリーで報告した。

「落ちた」というタイトルで、その時に思い浮かぶままタイピングをして、思いを吐き出した。

自信が空っぽになって、仕事を続けていられないと思った。

それでも、目の前の子どもたちを最後まで見ようと思い立って、3月まで頑張った。

結果、やりきってよかった。

そして、今年も新しい環境子どもたちを見ている。

年齢のこと、考えが幼稚なこと、自信がないこと、あれやこれやといろいろコメント欄で言われたが、そんなの何も本質的でない、外野から言葉にすぎない。

たとえば、一般化された匿名の誰かが評価できるほど、自分っていうのは、既知ではないだろうってことだ。

単なる戯言に対してのコメントは、私への評価ではないということだ。



私は、今年、教採に受かった。


長く続けてみるもんだ。

生き続けてみるもんだ。

挑戦し続けてみるもんだ。

と思う。

ここで受かると分かっていたなら、ここで受かるのがベストだと思った。

ここまで受からなくてよかった。

そのおかげで、いろいろと面白い方へ舵を切ることができた。

どこで受かってしまっても、今ここにはいないだろうと思う。

昨年、教採は落ちたけれど、結婚したり、子どもが出来たりした。

教採人生ではない。

人生は、いつでも自分が歩を進めることができる。

そんなことを思う。

勝手自分が決めてしまったルールで戦うのではなく、ほしいものを手に入れたいなら手に入れて、好きに人生を進めていい。

順番なんてものはないのだ。

たとえば。

とにかく、これまでの方法でうまくいかないのなら、なんでもいいから手を変えたほうがいい。

そうして、何かの歯車を回すことで、回り出す人生がある。

そうして、歯車が次々と動き出し、人生の歩みが軌道に乗れば、それなりに人生は進む。

人生が進まないと思っているのは自分だけで、人生を進めていないのも自分自身なのだ

どんなに絶望したって、絶望絶望のままで終わらないこともある。

そういうことを知れる9年間の教採だった。

本当にいろいろな示唆のある、9年間だった。

耐えきった先に、光があることもある。

人生ストーリーは、どこで辻褄が合うか、決して分かり得ない。

直観とワクワクに従って、やってみようというチャレンジのある方にサイコロを転がす。

そこに、幸せもちらつく。

本当に最もベストタイミングで、受かったと思う。

たくさんの声をくださった、何人もの方々。

ありがとう

  • おめでとう。いい先生になってな。

  • 既婚子もちが一種の安全性ステータスになったのかもしれないね。ダブルおめでとう。

  • 意地悪かも知れないけど、年々倍率が下がってるから受かりやすくなったんじゃない?わざわざブラックだと評判の職業に就くのが良いことなのかどうか知らないけど、とりあえずやり...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん