「調べたら俺と同じ結論に至るだろ?」と思ってる傲慢さが垣間見えて嫌いだ
例外:「世の中にXにあてはまるものなんてない。だからYだ」という話に「Xにあてはまるものはある」と示すために「~について調べてみるといい」と言うのはわかる
これはわかる。悲哀・惨めさが他の消費との比じゃないよな。
自分は学生時代にアイドルファンだった時期があるけど、その時でさえ惨めに思ったよ
アイドルには大きな収入があって、プライベートでは恋人もいるだろうに
自分は冴えない格好してそのアイドルに金を出してる、貢いでる、と。
本来、恋人に使うための愛情なりお金だろうに、と。で、バカバカしくなってやめた。
娘みたいな年のアイドルに金使うオッサンは、惨めにならないんだろうか。
ボケツッコミで盛り上がりたい時はまあそれでもも構わないんだけど、
こちらは会話をしながらお互いの考えを交換しあいたいいのにいちいちボケてくるヤツとかときどきいるよね。
あれほんとやめてほしい。
そんなに痛みを感じるものなら、なんで廃止に持っていこうとしないんだか。
バカだな。
机にあごとひじついてるのに作業できるとかどんだけ器用なんだよそいつ。
とか言うと、「瀕死の夜ちゃんを救うための募金活動をしているんじゃないか」くらいに勘ぐられるかもしれないけど、俺は昼のことも好きだよ。
暗いより明るい方が安心かつ安全だし、利便性も高い。いや、好きというよりは生活必需品みたいに感じているのかもしれんな。
でもさ、何でもかんでも照らし出しすぎじゃね?照らし出しさえすれば何でもわかるとか思い込んでね?照らされてない世界に住めない奴は落ちこぼれのレッテル貼るところまで行ってね?
昼の全体主義だこれは。夜のアウシュヴィッツだ。昼は欠かせないけどさ、いくらなんでも侵出し過ぎでしょ。
煌々と光る中でも平気で情事を交わす人より、「いやだ、消して」って言う人の方が俺は好きだ。
夜は暗くて見にくい(醜くはない)。妖しさがある。でもその妖しさは想像力の活きる場所なんだ。アタマの方だけじゃなくて、身体性も夜のほうが活きるのかもしれん。エロい意味じゃない。暗いと彼我(彼の大正は必ずしも人間とは限らない)の境界がわからなくて融けだしそうになるでしょ。それを食い止めるために身体を意識するのだ。でもこれってやっぱりアタマの仕事だろうか?
ひと目でわかると助かるものは多いけど、必ずしもすべてのものに適用できないはずなんだ。抽象的だろ。夜っぽいだろ。夜の男だ。でも夜の○○ってのは大体擬似夜だ。そんなわかりやすい言分け((C)丸山圭三郎)は無用の長物なのだ。
俺は真っ暗な空間で音楽を聴いていたい。これこそきっと夜だ。踊り出すかもしれん。でも考えたら、これってクラブじゃね?って思った。
俺はいわゆるクラブは好きではない。あそこに行くやつらは大体イケてるからな。自分の踊ってる姿が照らし出されても恥ずかしくないやつらだ。むしろ恍惚とするやつらだ。他人の目線バッチコイだ。ちょっと前に流行ったファレル・ウィリアムスの"HAPPY"動画シリーズなんてサブイボしか立たない。
俺はイケてないから誰にも見られないところで粛々と(上から目線)踊りたい。巷にあるクラブはすんげえ昼って感じだ。でもオウテカのライブは真っ暗でよかった。他人の無意識が混ざってくる感じがした。言葉で交流するのが苦手だから、無意識で交流出来たらいいなと思う。
面白くなくなるね。
試合前に毒を盛るとか、それができなくなったら試合中に毒針で殺すとか「悪役の卑怯な手段」でなくて、主人公がつかうクレバーな手段みたいに描かれると、格闘技なんか練習してないでピストルとか練習すれよって思ってしまう。
この場合は、A,Bの痛みは、両者ともに1日費分なんだから同じだろ。
主婦の時間に価値なんかねーよ、って思ってるならその考え改めた方がいいぞ。
それに、
はない。Bに用事が無ければ出席するんだから。
昔はカセットに好きな曲を録音して、あのケースの内側にはめ込むカバーにタイトルを全部書いて、女の子に送ったっけ。
今、それをやるとしたらやっぱりCDでやればいいんでしょうか?