はてなキーワード: すいかとは
ちなみに全て定価の半額相当で買ったもの。
ダントツの1位。
果汁グミなので果汁感が強く、食感もよく、一番味がしっかりしている。
ただ舐めているだけでもおいしい。
グレープフルーツほどではないがおいしい。
柑橘類は味が強いのが良い。
みかんの方がはるかにおいしいが、みかんばかり食べていては飽きるのでいちごもあると良い。
ローソンストア100のお試し引換券で大量入手できた。
そのせいでこればかりたくさんある状態に。
いちごよりおいしいと思うが、ぶどうはマンネリ気味なのでこの順位に。
果汁グミなのでおいしいが、そんなに味は強くない。
マスカットなので味が弱い。
意外にも果汁感がある。
と言っても果汁グミを買った方が良い。
パウダーに酸味があっておいしい。
ただジャリジャリしているだけでいまいち。
半額になってるだけのことはある。
そんなにおいしくはないが、珍しい味なので悪くはなかった。
ちなみにFit'sボールをソフトキャンディと間違えて買ってしまったことがある。
果汁グミの味の濃さを知ると、ただ硬いだけのハッピーコーラは順位が低い。
植物性油脂を使っているので、その分味が鈍くなっているのだろう。
たまたまハイチュウが3個セットで値引きされており、ウエルシア1.5倍と合わせると半額になった。
ハイチュウの中では一番おいしい。
昔はキャンドゥで半額になっており、買い占めしたことがあるほど。
半額になっているからスイカ菓子にありがちなキュウリ味なのかと思ったら、意外にもおいしかった。
と言っても、他のハイチュウには劣る。
いまいちパッとしない味。
レモンの方がおいしい。
食べ続けるとなぜか喉がおかしくなる。
いつも同じ店もいいんだけど
文字通り新しいお店の扉を開けるのは、
緊張するけど楽しんじゃいましょう!
一人でお店入るのできなかったけど
なんか最近はもう平気。
やけのやんぱちよ!
近所もなんだかんだ言っていろいろお店があるので、
さらに歩いて探索するにはもってこいだわなのよね。
特に今一番キテるのは
カレー屋さん巡り。
そんでもってそこのカレースパイスご飯をいろいろ試してるのよ。
やっぱり面白くて、
本格的な長粒米を使ってるところもあれば、
日本米を使ってるところもあり
そして辛さが選べる所がいいわね!
もれなく辛口!
一回お椀に入れて形作って
初めてみたわ!
なかなかそのお子様ランチチックな見てくれをよそに
汗がダラダラ出ちゃうわ。
何軒かカレー屋さんに行ってみたんだけど、
お店ごとで味付けがやっぱり違うわよね。
木の枝とか木の皮とかが
そのまま入っちゃってるワイルド系のホッツ!
とかとか。
カレーって言っても
やっぱお店ごとに違うんだなぁって
よそのお店と違いがわかりにくいかもしれないけど
やっぱ食べ比べてみるものね!
うふふ。
ここは辛いは辛いんだけど
優しい辛さ。
調子に乗って辛いの頼んで食べてるけど、
現地の人ってどのぐらいなホッツを食べてるのが普通なのかしらね?
言わせてみたら、
意外と現地の人そんなホッツ食べてないのかもしれないわ。
辛さでお腹痛くなった時は、
ヨーグルトや飲むヨーグルトでマイルドにお腹の中をしてみてね。
これ覚えてから、
1日何軒でもカレー屋さん回れるようになったのよ!
時間がある時は
何か凝って作れるわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
少し前の話だが、ばあちゃんが死んだ。
ばあちゃんと言っても血は繋がっていない。隣に住んでるばあちゃんだ。
うちは母子家庭で、当時40になったくらいの母さんと、小学生のおれと、弟の3人家族だった。
まぁ母さん一人の稼ぎじゃもちろん裕福ではなく、地味な暮らしをしてた。
小学生だった俺ら兄弟はまだ金の使い方も知らなくて、友達の持ってるゲーム機とか、はやりのソフト、
カードゲームなんかをいいなぁと思いながら、ま~子どもと言ってもその辺の雰囲気は分かるから、
いい子ちゃんしてわがままもそんな言わなかった(小学1年の弟はまぁまぁ駄々をこねてたけど)。
それより俺らがしんどかったのは、母さんが全然家にいないことだった。
小4と言ってもまだまだ子どもなので、寂しいは寂しい。
朝俺らを送り出して仕事にいく母さんは、9時10時まで帰ってこなかった。
そうなると俺は小1の弟を放っておけないから家に居がちになるし、夜はどうしても家で2人ぼっちになって、
母さんが作ってってくれたご飯やら買っておいてくれたパンやらを食べて、テレビを見たり2人で小突きあって時間を過ごした。
そんな俺らに救世主が現れた。隣の家のばあちゃんだ。いま思えば60代前半のばあちゃんは
「おばあさん」ていう歳ではなかったのかもしれないが、俺らはばあちゃんて呼んでた。
ばあちゃんとじいちゃんは、月4万5千円のボロ戸建てに住む俺らの家の隣の、それなりに広くてきれいな一軒家にずっと2人だけで住んでた。
日本家屋って感じの畳部屋ばっかの家で、中庭があってっていう少し広めの家だ。2人の子どももいたけど、あまり見かけたことはない。
ばあちゃんとの出会いは、笑っちゃうんだけど、柿どろぼうだった。
ばあちゃん家の庭には大きな木が何本かあって、中でも2階以上の高さの柿の木は、毎年沢山実をつける。
俺らは塀越しに手を伸ばして棒とか使ってとってたんだけど、ある時、「上の方のならもっと獲っても気づかれなくね?」
ってなって、こっそり隣の庭に入って木に登って獲ってたんだ(普通にDQNだな)。
ガラって音がして家の窓が開いて、あ、ヤバイってそっちを見たら、にこにこしたばあちゃんが顔を出して、「おとなりの●●くんと●●くんね」って言われた。
俺らは怒られるものとばっかり思ってたから拍子抜けして、「こ、こんにちわ~」って間の抜けた返事しかできなくて、
そしたらばあちゃんが「柿が好きなの?沢山持って帰りなさいね」って。
「え、いいんですか?」って聞いたら「私たちだけじゃ食べられないし、木にも登れないから、窓から手が届くところ以外は鳥のえさなの。
だったら沢山食べてもらった方が柿も喜ぶからね。お母さんに持ってってあげて」って言った。
緊張が解けてどっと安心して、ずうずうしく「あざ~す」みたいにそのまま沢山とって、ばあちゃんがくれたビニール袋に入れて持って帰った。
夜に母さんがたくさんの柿を見て驚いて、勝手に入っちゃったけど怒って無かったよって言ったら、ちゃんと謝ってこい!って怒られた。
翌日母さんに持たされたりんご持って謝りに行ったら、「そんなことよりうちにあがんなさいよ。蒸しパン沢山作ったのよ」
って言われて、またほいほい中に入って食わせてもらった。
それをきっかけにお隣によく上がりこむようになって、ご飯だのお菓子だの沢山食わせてもらった。
一度、「柿盗んでた時なんで怒んなかったの?」って聞いたら、「うちにはもう息子たちも寄り付かなくって孫にも中々会えないから、
何かあの木に登ってるところ見たら嬉しくなっちゃった」って言ってた。
今思うと、ばあちゃんも寂しかったのかもしれないし、何より隣だから母さんは母子家庭だってことを話してたと思うし、
ばあちゃんは俺らが2人だけで家で過ごしてることとか、うちがあんまり裕福じゃないこととかもわかった上でそう言ってくれたのかなぁって思う。
チビだった弟はことさらばあちゃんになついて、子犬みたいにばあちゃんの近くをうろうろしてた。
多分話を沢山聞いてもらえることとか、すごいねえらいねって褒めてもらえることとかが嬉しかったし、やさしいばあちゃんが好きだったんだと思う。
家庭環境からお察しだが、今まで周りにじっくり話を聞いてくれる大人なんかいなかったから。
そんなこんなでばあちゃんには沢山世話になって、俺が高校入って部活に精を出したり、
弟も大人びてきて友達と外で遊んでばっかりだったりして通う頻度は減ったけど、ばあちゃんは変わらず俺らを可愛がってくれてた。
ばあちゃん家に呼ばれた日のご飯は育ち盛りのおれらを意識して、どんどん肉が盛り込まれ、量もすごいことになってた。
夏は庭で花火をして、すいかやトマトやらきゅうりやらを冷やしながら食べた。
(もちろん、じいちゃんも色々世話をやいてくれたし、ばあちゃんがそんだけ俺らに手をかけてくれたのもじいちゃんの広い心のたまものだと思うからめちゃくちゃ感謝はしてる)
そんな時だった。ばあちゃんが脳溢血で倒れて、後遺症からじいちゃん一人では世話が難しく、しばらく入院した後施設に入ることになった。
俺らは病院へお見舞いに行ったりしたけど施設となるとなかなか行きづらく、
施設も遠くて、大学に入って日常生活がにぎやかに忙しくなっていた俺は自然と疎遠になってしまっていた。
弟はたまにお見舞いに行ってたみたいだ。
そこから2年ほどで、ばあちゃんが死んだという知らせがきた。
母さんから電話でその知らせを受けて、俺は泣きだしてしまった。でも、泣き出してしまった自分に驚いた。
なぜなら遠くに住んでた方のじいちゃんが死んだ時は、葬式では少し涙ぐんだが、こんなに泣いたりはしなかったからだ。
堰を切ったように自然と涙がボロボロ出てきて、ああ、家族が死んだんだ、もう会えないんだっていう寂しさつらさがガーって襲ってきた。
急いで家に帰ったら、同じく飛んで帰ってきた弟がいて、顔を合わせた瞬間またボロボロ泣いて、
「にいちゃんばあちゃんが死んじゃった」って子どもみたいに泣いてて、ああ、こいつも同じなんだなって思った。
通夜にも告別式にも出た俺らはあちゃんばあちゃんってボロボロ泣いて、花入れて出棺する時はことさら泣いた。
しわくちゃになったばあちゃんが、穏かな顔で寝てるみたいで、手を触っても硬くてひんやりしてて、たまらない気持ちでいっぱいだった。
実際の孫たち(もちろん顔見知りではあった)はそこまで泣いておらず、
じいちゃんは、俺らのそんな様子を見て、「ありがとうな…」って涙ぐんでた。
ばあちゃんがいない喪失感は大きく、何か実感がわかないなぁってしばらく思ってた。
ばあちゃんは俺らの本当のばあちゃんだったよ。沢山可愛がってくれたばあちゃんは、本当のばあちゃん以上に俺と弟のばあちゃんだった。
血のつながりも大事だ。だけど人と人の絆には、血縁は関係ないと思う。
一緒に過ごした時間や思い出が多ければ多いほど、繋がれるものなんだと思う。
だから、俺らとばあちゃんを一緒に過ごさせてくれた全部と、ばあちゃん本人に感謝してる。
ばあちゃん、愛して育んでくれて、ありがとう。