暴力的だからモテるケースはほぼないと思う。他の要素が強力だから暴力が仕方なく受け入れられてる感じ。
暴力的な男と付き合ってる女を見ると、顔がいいとか、アメとムチのアメがあるから今は耐えてるとか、そんな理由やで。僻む必要はない
男か女で違うからなんとも分からんが、仮に男だとするとその条件で470で都内だと微妙なライン。
俺が男だから男だと仮定してアドバイスすると結婚して子供がいるとなると厳しいし、一人暮らしだとそれなりに生活は出来る。
土日休みは羨ましいが、産休育休があるって企業の福利厚生を誤魔化しているだけだからな。
生涯で男が産休育休使っても3ヶ月だ。
真に新しい(画期的な)モノは無し!!
な~にが”究極の引き算をした“か。
昔のトイカメラと一緒じゃん!
いつも拠点に直行してて街歩きすることがなかったので渋谷と新宿と高田馬場に行ってみました。
ビル一面で動画が普通に再生されていて、あの映画なんでしたっけ?そうあれ!ブレードランナーの世界観!振り向けば永谷園のデカい看板もあってなぜかホッとしました。
キャッサバからとれたての渋谷のタピオカは新鮮で美味しかったです。
あと1青で50万の人が一気に渡るスクランブル交差点の横断歩道。この多さなら渡る人の波で軽トラがひっくり返るわけです。
お蕎麦は高田馬場と新宿都庁の近くで食べられました!新そばのポスター貼ってあって新そばのざる2玉美味しかったです。計4玉食べました!
高田馬場には有名なゲーセンがあるので、ちょっとのぞいてみました。
都庁のライトアップが真っ赤でした。今日は何かの日なんでしょうか?
大橋ジャンクションはぐるぐる空の見えないところを回って走るので方向感覚を失います。
東京産まれ東京育ち、そんな私がこの度転勤で一般的に田舎と言われる地域で部長補佐として数年だけ働くことになったのだけれど、まー毎日が辛い。
飲み会大好き、強制参加、全員が自家用車で通勤してるのに職場のすぐ近くが予約されていて、全員が当たり前に運転して帰っていく。
自分だけが運転代行を呼んでいて、会費の倍以上の金額を毎回支払っている。
一度だけアルコールは飲まずに帰ろうと思ったが、強制的にいつも以上の量を飲まされることになったので、以後はチビチビと隅っこで飲むようにしている。
鬱病で休職した部下が大声で馬鹿にされている声を聞く、部長が「お前暇ならアイツの家に行ってドア叩いてこいよ、鬱病の○○さ~んって大声で呼びながらよ 笑」って、半分冗談半分本気で言っている。
誰も否定しない、むしろ肯定している、無力で卑怯な私もヘラヘラしてるだけだ。
自分達の常識が法律で、自分たちの世界に着いてこれない人間は全て悪で、出遅れても先走っても、今の居心地の良い環境を変えようとする人間は全て悪なのだ。
皆が皆の足を引っ張り合う毎日で、自分の知らない世界の事には拒否感が凄く、何かこの部署を良くしようと提案した私は数日間は文字通り村八分になった。
おじいちゃんはもう寝ろよ
「ウミガメのスープ」型の問題(水平思考問題などと言うらしいが)を楽しもうと思い検索しているのだが、どうもつまらない問題が多い。出題形式こそ「ウミガメのスープ」と同じだが、この問題の良さを正しく踏襲している問題は、少ないどころかほとんど見当たらないのだ。そこで何故、他の問題が「ウミガメのスープ」のように機能しないのか、この種の問題はどのような理由で悪問となるのか、ということを考えてみることにした。
Q. 薄暗い部屋で一人、ピアニストの女性が熱心なファンレターを読んでいた。読み終わってすぐに彼女は、自らの死を悟った。何故か。
A. ピアニストの女性は盲目でファンレターは点字。点字の間には毒針が仕込まれていて、ファンレターの最後に毒針のことが書かれていた。
これは私がつまらないと感じた悪問の典型だ。この例題の問題点は客観的に明らかであるはずの手紙の文面や毒針の存在が明かされていないことだ。それらを知っていれば謎など全く存在していないにも関わらず、出題者の脳内の状況を明らかにするために質問を重ねていかなけばならない。何故、こんなことが起こるのだろうか。
普通、推理の問題というのは答えに必要な情報は予め開示しておかなければ成り立たない。だが「ウミガメのスープ」型問題では回答者が質問をし、それに出題者がYes/Noで答えるというプロセスが含まれる。そのため、普通なら許されない情報の後出しが許されてしまうのである。出題者はあえて問題文を曖昧にし、部分的な情報しか明かさないことで、回答者からの質問回数を増やし、あたかもこのゲームが機能しているように振る舞わせることができるのだ。だが実際はこの時に行われているのは推理ではなく、単なる問題の補完に過ぎない。
例えば算数の問題に置き換えてみよう。まず、「3218+877=?」という問題。これは暗算で解くには少々集中力を要する問題と言えるだろう。次に「a+b=?」という問題。こちらの問題では回答者が「aに入る数字は1ですか?」「2ですか?」「3ですか?」…とひとつずつ尋ねていかなければならず、最終的に明かされる問題が「2+5=?」となっているとしよう。結果的に問題を解くのには同じぐらいの時間を要したとしても、どちらの問題がより思考を要するかは明らかだ。このように問題を明らかにする過程というのは決して知的なものではなく、単に参加意欲を満たすだけのプロセスでしかないと言える。
この点、「ウミガメのスープ」で伏せられた情報は非常に自然だ。情報の欠落は男の過去に限られており、これは客観的に起こりうるものだ。問題文の因果関係に偽りは無く、ウミガメのスープを食べた事と男が自殺した事という一見繋がりの無い2つの事象を結びつける男の過去を推理している。必要な推理材料は最初から揃っており、極論すればヒントなしでも真実に行き着くことすら可能だ(逆に言えば多くの問題は出題時点では問題として成立してさえいないと言える)。実際に作るとなると難しいのは確かだが、このように問題としてきちんと成立した良問が増えていってほしいものである。
(変則的な例として問題文に叙述トリックやミスリードが含まれているパターンもある。これについては回答者の気付きひとつで解けることもあるが、推理小説の面白さと叙述トリックモノのミステリーの面白さが別と言われるように、やはり別ジャンルと扱うべきで、どちらかと言えばクイズのような出題形式が適しているだろう。)
承認や肯定って、セックスの中に無条件に存在するものではないのに、誤解してセックスを求める人が多い気がする。
信頼と愛情を積み重ねた関係で行うセックスにおいて承認は増幅する。酒みたいなもので、元々ハッピーな関係であればそれが増幅し、元々ネガティブな関係であれば関係性の不幸が増幅するように思う。
増田が手本を見せてくれよ
みんな、すげえの作ろうと思っているのよ。
誰も手抜きで作ろうとは思わない。
そこに色々な思惑が混ざったり世間の声が混ざったりしながら一本の広告出す。
その極一部を切り取って、全部こんな素晴らしい広告作れとか無理。
そんな古い広告出して来てどうなの?
TVCMだけでも各チャンネル1日に4本は別のCMが流れていてそれが何チャンネルもある。
もちろん、1ヶ月くらいは同じCMが続くかもしれないがそれでも1年通してみたら新しいCMが何本出ていることか。