2019-12-07

ウミガメのスープ問題の良し悪し

 「ウミガメのスープ」型の問題水平思考問題などと言うらしいが)を楽しもうと思い検索しているのだが、どうもつまらない問題が多い。出題形式こそ「ウミガメのスープ」と同じだが、この問題の良さを正しく踏襲している問題は、少ないどころかほとんど見当たらないのだ。そこで何故、他の問題が「ウミガメのスープ」のように機能しないのか、この種の問題はどのような理由で悪問となるのか、ということを考えてみることにした。

Q. 薄暗い部屋で一人、ピアニスト女性が熱心なファンレターを読んでいた。読み終わってすぐに彼女は、自らの死を悟った。何故か。

A. ピアニスト女性盲目ファンレター点字点字の間には毒針が仕込まれていて、ファンレター最後に毒針のことが書かれていた。

 これは私がつまらないと感じた悪問の典型だ。この例題の問題点は客観的に明らかであるはずの手紙の文面や毒針の存在が明かされていないことだ。それらを知っていれば謎など全く存在していないにも関わらず、出題者の脳内の状況を明らかにするために質問を重ねていかなけばならない。何故、こんなことが起こるのだろうか。

 普通推理問題というのは答えに必要情報は予め開示しておかなければ成り立たない。だが「ウミガメのスープ」型問題では回答者質問をし、それに出題者がYes/Noで答えるというプロセスが含まれる。そのため、普通なら許されない情報後出しが許されてしまうのである。出題者はあえて問題文を曖昧にし、部分的情報しか明かさないことで、回答者から質問回数を増やし、あたかもこのゲーム機能しているように振る舞わせることができるのだ。だが実際はこの時に行われているのは推理ではなく、単なる問題の補完に過ぎない。

 例えば算数問題に置き換えてみよう。まず、「3218+877=?」という問題。これは暗算で解くには少々集中力を要する問題と言えるだろう。次に「a+b=?」という問題こちらの問題では回答者が「aに入る数字は1ですか?」「2ですか?」「3ですか?」…とひとつずつ尋ねていかなければならず、最終的に明かされる問題が「2+5=?」となっているとしよう。結果的問題を解くのには同じぐらいの時間を要したとしても、どちらの問題がより思考を要するかは明らかだ。このように問題を明らかにする過程というのは決して知的ものではなく、単に参加意欲を満たすだけのプロセスしかないと言える。

 この点、「ウミガメのスープ」で伏せられた情報は非常に自然だ。情報の欠落は男の過去に限られており、これは客観的に起こりうるものだ。問題文の因果関係に偽りは無く、ウミガメのスープを食べた事と男が自殺した事という一見繋がりの無い2つの事象を結びつける男の過去推理している。必要推理材料最初から揃っており、極論すればヒントなしでも真実に行き着くことすら可能だ(逆に言えば多くの問題は出題時点では問題として成立してさえいないと言える)。実際に作るとなると難しいのは確かだが、このように問題としてきちんと成立した良問が増えていってほしいもである

 (変則的な例として問題文に叙述トリックミスリードが含まれているパターンもある。これについては回答者の気付きひとつで解けることもあるが、推理小説の面白さと叙述トリックモノのミステリー面白さが別と言われるように、やはり別ジャンルと扱うべきで、どちらかと言えばクイズのような出題形式が適しているだろう。)

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