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はてなキーワード: ナルシシストとは

2017-09-24

ナルシシスト自分の取扱説明書

私はナルシシストだ。と思う。

ナルシシストとは、ありのまま自分価値に自信がないので、

他人から承認を多く必要とする考え方のクセを持つ人の事。

  

から、このように考えてしまう。

  

お金名誉などの分かりやす評価が欲しい。

・素敵な異性と付き合いたい。

自分が何をしたいかより、周囲が評価する事を優先する。

  

  

長所は、

・人から承認される為なら、多大なエネルギーが湧いてくる。

・(主に承認してくれる人達に対してではあるが)面倒見が良い面がある。

 

短所は、

自己中心的に考えやすい。

承認されないと、怒りが湧きやすい。(外に向けると暴力的になるし、内に向けるとウツになる。)

  

この性格が生まれた原因としては、、家庭環境が主で、

まぁ、両親からの期待や理想が高いとなるようだけど、

それは良い。嘆いてもどうしようもないのだから、上手く付き合っていく

方法を考えていくしかない。

結論を言えば社会の為に、上手くコントロールして使っていきたいし、そうするのが良いんだろう。

ただ、暴れ馬をいつも体の中に飼ってるみたいで制御が難しい。

2015-10-12

23歳の頃、乳首が弱い男のセフレだった話

桐谷美玲似の彼女が居る男のセフレだった時期がある。桐谷美玲似が共通の知り合いだった。

以下セフレのことはA男とする。A男は完全に私のタイプの顔だった。目尻が垂れていて、眠そうな幅広二重の大きな目。鼻筋はスッと通っていて、歯並びの良い口元は横顔まで綺麗だった。私の元彼は顔が大きくて肩幅が狭く、あまりスタイルが良くなかったので、A男の肩幅の広さや身長の高さ(177cm)、首周りのバランスの良さや脚の長さには惚れ惚れした。とても手が届かないと思った。でもA男は女にだらしなく、彼女が居ても別の女をセフレ候補としてとりあえず口説いておくような男だったので、私もA男と寝ることができた。並んで外を歩く気は起こらなかった。A男が並んで歩くなら、桐谷美玲との方が明らかにバランスが良かった。私は喪女ではないが、美女では決して無い。桐谷美玲ともA男とも、並べば非常に見劣りする。自覚はある。

A男はサイドの髪を短くして、身体も鍛えて(オアシスかいジムに通っていた)、一見オラついていると言えなくもない見た目をしていたが、私とのセックスでは完全に「受け」だった。童貞喪失が年上女性だったらしい。セフレだった頃、A男は26歳、桐谷美玲は25歳、私は23歳だったが、A男は本質的には年上に攻められるのが趣味で、社会的地位もA男より低く年下の私に「上位女性」として攻めて欲しがった。桐谷美玲にこういうプレイは頼めないようだった。A男は私とセフレになる前から既に乳首が開発されており、舐めてやると腹を波打たせて、背中を反らして、顔を横に振って悦がった。乳首だけで射精できるレベルではないので、陰茎を放置して乳首だけ20分30分と攻め続けると、目に涙を浮かべて呻きながら震えていた。女受け重視で細マッチョに鍛えたヤリチンの身体が、快感によじれる様子は本当に絵になった。乳首だけを攻められ続けて焦らされて焦らされてカウパーを垂らしながら耐える表情は本当にエロかった。美しいとも思った。A男は体臭ケアに余念が無く、体毛も全剃りではなく量を減らすような専用の剃刀で減らしており、スキンケア髪型のセットに随分凝っていた。「女に熱烈に身体を求められる俺」が大好きな、ナルシシストだったんじゃないかと思う。ただ、肛門に指を突っ込もうとしたときには「それはマジで怖い」と断られた。

A男は元サッカー部で、Jリーグヨーロッパサッカーの話を好んだが、私は興味が無いのであまり聞いていなかった。音楽趣味も合わなかった(A男はワンオクとか聴いていた)。漫画趣味も合わなかった(A男は「あひるの空」や「アオハライド」を読んでいた)。関係は1年ほど続いたが、桐谷美玲と別れたことでA男が情緒不安定になり、私宛に面倒くさいLINEがいっぱい届くようになったので嫌になって連絡を絶ってしまった。A男は元々不安定だったのだと思う。桐谷美玲メンタルケアをしてくれて、私が性癖フォローしていたことで、とりあえず上手く回っていただけで。私にメンタルケアはできないので、連絡を絶ったことに後悔はない。ただ、本当にエロかったなあ。もし私が男性に生まれていたら、お金を払わないと自分よりずっと美しい異性は抱けないだろう。ホテル代はA男が出してくれていた。いい男だった。男性が「メンヘラ女はエロい」と言うのを聞いたことがあるけど、メンヘラ男もエロいと思う。自己愛自意識承認欲求、性感に悶える自分に陶酔している感じ。美しい身体。声も良かった。本当にいい思い出。私の人生にあの1年があって良かった。

2011-11-24

宇野常寛連合赤軍っぽい?

http://togetter.com/li/218491

なんかまたいつものように、宇野常寛東浩紀がかけあい漫才やってるみたいだけど、この議論って連合赤軍の人たちやラジカルフミニズムの人たちが、さんざん昔にやってきた話を、繰り返しているように見えて、だから僕は東浩紀の言う「宇野常寛は古風で倫理的」ってのはまさにそのとおりだなあ、って思った。

 

例えば連合赤軍の議論に変換するなら、「父」を「プチブル」とか「帝国主義者」とかに言い換えてみればいい。

私たちは誰もが(男性であっても女性であっても)誤った、矮小帝国主義者である。「帝国主義者」になることは達成ではない。(続く) 私たちは否応なく「帝国主義者」にされてしまうのであり、あとはこの不可避の条件にいか対応するか、という問題だけが残されている。帝国主義の回復は、既に自動的に達成されたものであり、それはもはや想像力の仕事ではない

というわけだ。宇野常寛文脈では、「父」ってのはフェミニズムにおいて批判的に語られる「近代的な傷つける主体としての権力者」っていう意味隠喩を受けてるから、この(「父」⇒「帝国主義者」の)言い換えはそれほど的を外したものではないだろう。帝国主義者に(あるいはプチブル)になる/ならないの二項対立は無効であり、もはや現代においては全ての人間がプチ権力者でありプチ「傷つける主体」なのだ、だから誰もが否応なく帝国主義者になってしまうのだ!! という議論は、はっきり言うが全く新しいものではない。倫理的煮詰まっちゃった昔の活動家人達の多くがたどった道だと思う。連合赤軍にしろ、東アジア反日武装戦線にしろ、ラディカル・フェミニズムにしろそうだ。

 

さらに言えば、彼らの多くが「ナルシシズムの徹底的排除」を掲げていたのも、宇野常寛と二重写しになる。東浩紀が言っている

「だれもが父である」ということと、「父になってしまう」ということは違うんだよ。宇野君が主張したのは前者。それは父になる/ならないの二項対立を回避するためのアクロバティックな論理。でも「だれもが父である」んじゃ、もう「父」の意味がないじゃん。ぼくの言っているのはそれとは違うの。

というのは言ってみれば典型的プチブルの思想だ(東浩紀プチブル権化であることには皆異論はないだろう)。「全ての人間帝国主義者だってあんたらは言うけど、でも突然、個別具体的な権力とか責任とかを負わされちゃうことだってあるよね」って連合赤軍に向かって言っているようなものだ。そのような個別具体的な(たとえば出来ちゃった結婚通俗的な意味で「父になってしまう」ような)例を挙げるのは、社会根本矛盾から目を反らすためのナルシシズムであると、連合赤軍ならそう言ったに違いない。個別具体的な実例において「父になってしま」い、そのことについて個別具体的な議論をするようなナルシシストは、「総括」するのが彼ら/彼女らのルールだったのだから

 

これはちょっと極端過ぎるたとえかもしれないけど、宇野VS東って赤軍派VSプチブルって捉えると、自分としてはすごく分かりやすいんだよね。

2009-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20090529182814

じゃーおそらく君自身がナルなんだろうな。

しかも「俺ってきちんとしたナルだから」とか思っちゃってるのか。

思ってない。

ナルシシストは過剰さを意識的に

コントロールできる選ばれた人間がなるもんだ。

突然「マッチョ」とかいう全然関係ないワードが出てくるあたり、相当ナヨってるんだろうな。

俺の言ってるのは精神的なマッチョイズムだけどね。

はいはい、暇なので釣られました。

ツッコミしろ満載でスイマセン。

ところで有村ってダレ?

2008-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20081012005225

ナルシシストなんでしょ。

相手の言う事・考える事より、自分の方が正しいと思ってるんじゃないのかな。

だから相手から来られたときは『相手が自分を認めてる』感で満たされるから、安心できて仲良くなれる。

逆に自分から行こうとすると『相手が自分を認めてる』かどうか分からない。

その上、自分が人に対して下手に出てるような気持ちになってイヤなんじゃないの?

だから関係が続かなかったときに自分のせいかよ!?って思ってしまうのがイヤすぎる、とか。

まぁ、上に書いた内容は俺に当てはまる事なんだけど。

自覚してても直せん。

2008-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20080829121133

オレ自分大好き。それでナルシシストと呼ばれるならそれでも構わん。

2007-06-13

今夜の増田

一連の書き込みを見て、本棚の奥から村上龍の『オーディション』の文庫版(幻冬舎文庫)を手に取った。

斎藤学が解説を書いているんだが、当時読んで印象的だった言葉を思い出して、それを読もうと思ったから。

彼女たちは頼りなげで、神秘的で、弱々しくて、それでいて愛に飢えていることを全身で訴える力を備えている。こうした女性に弱い一群の男たちがいるところから、この恐怖劇が始まる。彼らは本質的なところで自己評価の低い、だからこそ人に頼られることを生きがいにしているような男たちである。彼らは、彼女たちに魅かれ、彼女たちの苦境を救い、その一部は結婚にまで至る。こうした男たちは、実はナルシシスト(自己愛人格者)である。彼らの一見したところ利他的に見える行動は、他人を用いて自己評価を高めたいという、自閉的で自己愛的な動機に発しているからである。

(中略)

考えてみると、夫婦関係とは子供返り競争のようなものである。居酒屋アル中二人の関係に良く似ていて、先に酔い潰れた方が勝ちである。負けた方が金を払ったり、酔った者を家まで運んだりする。

(中略)

最も稀なのは、親密でありながら対等な男女関係が、結婚後も維持されているという場合である。成熟した大人どうしの関係が、長年にわたって続くためには、一方が他方の子どもになろうという野心が、意識的、意志的に排除されていなければならない。だから、こうした二人は、二人ともどこか寂しい。それで良いのであって、大人とは、寂しさと共存して生きられる人のことである。

俺はかつてやはりそういう女性に振り回されることを自ら選び、共依存関係となって、二人で手首の同じところに傷を作ったりしたことがあって、けど、ちょっとしたきっかけから俺が彼女に振られ、そしてその二週間後に彼女が泣きながら俺に電話してきたときに、何か憑きものがすっと落ちたかのように冷静になって、「こういう繰り返しはもうやめにしよう」と言って彼女との関係を本当に終わりにして、それ以来、誰かを救うことなどは不可能なことであって、倒れている人に手を差し伸べることはできても、立ち上がるのはその人自身の力であり、俺の手によって立ち上がらせようとしても一緒に倒れるだけだということを悟り、そして、そうした誰かを救いたいという思い(引用部にあるように、まさにそれは俺の弱さが為すものでしかない自己愛なのだが)を捨て、自分の手の短さを知り、共依存として誰かを好きになるのではなく、お互いに独立した一個人として尊敬と愛情を持って一生を共に過ごすような関係をいつか持てればいいと生きてきた。

が、そんな字面だけの理想を体現するのはほんと難しいものだなと、最近プライベートが上手く行かないことで思い知らされている。いっそ憎めればいいのにと好きな人のことを考えたのはいつ以来だろうと過ごす日々。自分の弱さを認めて受け入れて、その上でそれに甘えることも開き直ることも自己否定して強がることもなく、ただ全てをあるがままのものとして自然生きるというのはつくづく難しいものよ。

2007-05-29

ブログの記事に他人様のコテハン晒して

ブログの記事に他人様のコテハン晒して叩ける人には勝てないとおもった。なんでかっていうと、

相手を叩く為なら、自分のブログ品性を下げる事をさいしょっから気にしちゃいないか、もしくは厭わないからだ。

しかも、それを指摘すると燃料投下するから、かえって酷くなる。

そう言う人は大概「自分のブログは多くの人の賛同を集めてるからやって良いんだ。」ってのたまう。

もちろん、周りの二三人くらいしか賛同など集めてはいないから、本人がナルシシストなだけだ。

ブログ界隈も食物連鎖が進むとこういう奴だけの世界になっていくのかなあ。やだやだ。

2007-03-26

アホやね、馬鹿を相手にして馬鹿になった俺。

ナルシシストストーカー管理人。そんな奴に恨まれて絡まれて、一年が立つ、普通の可愛らしいネット生活をおくっていた

私を、些細な事でズタズタにして、全人格を否定してせせら笑っているような野郎ども。私はもう、普通ネット生活にはもどれないのか?復讐復讐を呼ぶ。毎日頭を駆け巡るのはあいつへの復讐だ。

もういっそのこと、表に出てきてくれたら、気が楽だ。笑って頭を鉈でカチ割ると思う。

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