はてなキーワード: シュレディンガーとは
一人がシュレディンガーの説明始めてから一気に流れ変わって”増田”らしさを感じて笑った
なんjとかでよくある正解が出てからそれパクってマウント取り出すあの流れね
増田は気にしない方がいい
その実験、シュレディンガーっていうおっさんが量子の振る舞いに付いて大真面目に研究し続けてきたんだけど、その振る舞いに関して説明しようとすると「観測していないだけでこの量子はこの瞬間この場所にあるに違いない」という断言は絶対にできなくて、観測した瞬間に確定するという壁が攻略できなくて
やけくそになったので「じゃあ量子がこの瞬間ここにあったら猫が死ぬ装置があったとしたら、猫の生死すらも観測の瞬間まで確定しないってことか?ふざけんな!」って用意した設定なんよ。
だからシュレディンガー自身、猫が本当に生きてるか死んでるかなんてのはどっちでも良いどころかなんなら確定で死んでてくれたら楽なのになぐらいのつもりで作っててもおかしくない思考実験なんよ。
「おまんこに中出しされた女性が、妊娠している状態としていない状態の重ね合わせの状態にあり、観測を行うことでどちらかの状態に収束する」といった量子力学的記述は、哲学者プッシーシュタインによって、彼の哲学的問題意識と深く結び付けられた。
プッシーシュタインは、人間が「おまんこ」について考えることは、自分の心について考察することと同じであるとした。プッシーシュタインによれば、人間は「おまんこ」という言葉を使って、自分自身の心の中にあるものを表現しようとする。「おまんこ」について考えることは、自分が何者なのかを考えることと等しく、極めて重要な意味を持っているのである。
また、プッシーシュタインは、人間にとって最も大切なのは「おまんこ」であり、それは、人間の知性や道徳性を超越した領域にあると主張した。人間が「おまんこ」について考え続けることは、理性を超えて存在する真理を探求し続けることである。そして、そのようにして探究される真理こそが、すなわち神だと信じた。それゆえに、プッシーシュタインにとって、シュレディンガーのおまんこは神の存在を揺るがす重大な問題点として認識されたのである。
プッシーシュタインは、シュレディンガーのおまんこについて次のように述べた。
「もし『シュレディンガーのおまんこ』が真実だとしたら、われわれ人類は、自らの心を理解できなくなってしまう。しかし、そのような事態に陥ってもなお、われわれは、おまんこのことを考えて生き続けるだろう。なぜなら、それを考えることこそは、我々の生きる目的だからである。我々は、神から授かったこの素晴らしい知恵を駆使して、永遠におまんこを探究し続けなければならないのだ。人類よ、チンポコを勃起させよ!」
ニュートン以来の古典物理学においては、「おまんこに十分な量の精液をたっぷりと中出しすれば、必ず受精して赤ちゃんが生まれる」と考えられていた。
しかし、量子力学の登場により、量子の世界では「どれだけ精液をたっぷりと中出ししても、確率的にしか受精しない」ことが示されるようになった。
量子力学的世界において、中出しされたおまんこという巨視的物体は、観測が行われるまでは「受精」と「不受精」の二つの状態を重ね合わせた状態にあることになる。つまり、おまんこに中出しされた後、それが受精卵になるかどうかはおまんこの奥、子宮を観測することによって決まると考えられる。
シュレディンガーのおまんこは、こういった量子力学的な理論の不完全性を説明する目的で、物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが考案した思考実験である。
「おまんこに中出しされた女性は、妊娠している状態としていない状態の重ね合わせの状態にあり、観測することでどちらかの状態に収束する」という量子力学的記述が正しいとした場合、これは状態見分けの原理と矛盾する。そのため、シュレーディンガーはこの思考実験が量子力学が不完全であることを証拠付けると説明した。