はてなキーワード: ザメンホフとは
本日はザメンホフの日、日本では観光バス記念日、そして年賀郵便の特別扱いが今日から始まったようで
25日迄の間に郵便ポストに年賀状を投函すると、一月一日に年賀状が届くようになるそうです。
私はご覧の通りのズボラなものでTwitterであけおめと言えたら上出来な方だと個人的には思っております。
ですが世の中筆まめである方が孤独感からは遠いのではないかと思ったり、それにちゃんと返答しない時点で自分の矮小さを思い知ったり、あの日調子に乗って変な年賀ハガキ作ってからもう二度と送らなくなったなとのたうち回ったりなどしております。
つまりですね、アレ自体が形式的に十分なのだからそれに沿ってちゃんと生きてるよって言っておけばなんかあった時に連絡は来るんじゃねえかとは思わなくもないのです。
まぁ昨今は個人主義だからむしろ連絡を取らなくなる方が安息感が強いのかもしれませんが。
もし送るとしても案外「元気だよ」だけで伝わるかもしれませんね。
まぁ送らない習慣がある人の妄言です、めんどくさかったらいいです。
今年も寝正月でいきましょう。
ということで本日は【重要書類の確認よいか】でいきたいと思います。
戦後の混乱で今の韓国・朝鮮すら成立していなかった状態で占領軍の判断により生まれたのが在日朝鮮人。
韓国成立後は外交により国家間により在日韓国人のありようは決着済み。
北朝鮮とは国交が樹立していないにもかかわらず在日朝鮮人のありようは規定済み。
日本は帰化を受け入れている。他の国からの帰化よりもはるかに優先的に。
したがって、極論すると政治的な課題は「北朝鮮とどう付き合うのか」という外交問題のみ。
在日であることによって受けたであろう個人の事象は個人のものであって、あるあるー的なノリで一般化されてはいけない。
せいぜいケーススタディになる程度。
在日であるから受ける差別やいじめは、のろまだから、くさいから、とろいから、きもいから、などと同じように論理的背景などない感情論。
極論すると、全てのことに「在日だから」を理由として適用するのは「左利きだから」で全てを説明しようとするのと同じように無意味。
個人の問題は個人で解決せざるを得ない。在日が帰化を選ぶか帰国を選ぶか在日を選ぶかは個人の自由。
母国で安穏と暮らすのも、どこぞの国で困難に挑み生きていくのも、楽園を夢見て暮らすのも選択可能であるように。
困難な状況に生れ落ちたことを悲嘆する人間は世界中に溢れかえっている。
個人にとって環境は普遍のものではない。選択可能である。移動自由であるから。
自由な世界を生きることが出来るのは選択した意志のある者のみ。この国のこの町に住む自分以外の自分は存在しない事を自覚せよ。
決して社会に取り込まれて個人があるわけではない。
自分語りで「在日」や「いじめ」を解決しようとするな。共感を求めるな。それは集団への帰属を意味する。
社会的な問題意識に個人を取り込もうとするな。それは単なる思考実験で、何も解決しない。
自由になるには個の最小単位としての自分をただ自分のままにしておくこと。それしかない。
国家や社会制度を語るなら個の視点は最大公約数的曖昧さに取り込まれる。
自分を縛り付けているのは全て自分の作ったルール。ならば自分を開放するのも自分の他あるまい。
開放せよ!
ネットで匿名という限りなく自由な空間に、不自由な制約を持ち込んで個人を象ろうとするのは何故なんだ?