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2013-08-29

だれが牧伸二を死なせたか

今、なぜ牧伸二亡きあとの 「牧伸二」 がいないのか。

そのことを牧伸二本人が、一番口惜しく思っていたであろう。

亡きがらは川面の上に浮かんだが、

魂魄はまだ川底にあり、浮かばれないのではないか

 

彼の死後、自殺の原因は経済的な行き詰まりか、

自分会長を務める演芸人の会の預かり金の使い込みか、

といった話題がメディアの続報では飛び交った。

 

だが、これも情けない。

そんな詮索より、エンタテインメント番組が全部、

巨大プロダクションの仕切るものとなり、

タレント金太郎飴の顔ぶれ、

いつも似たようなおちゃらけばかりといった、

報道機関の息吹とは無縁な状態に陥ったところに、

本当の原因を探るべきではないのか。

 

明治民権運動時代民衆のなかで川上音二郎らは

オッペケペー歌」など、壮士演歌を創った。

大正の初め、桂陸軍大将内閣が出現すると、

憲政擁護運動の勢いが強まり演歌師添田唖蝉坊

マックロ節」などで底辺大衆の怒りを表し、

昭和民衆に歌い継がれる演歌を定着させた。

その流れのなかで戦後にもつづく石田一松の

「ノンキ節」が生まれてラジオでも歌われ、

さらにその遺伝子は、三木鶏郎によるNHK番組

「日曜娯楽版」の数々の歌にも受け継がれていった。

 

牧伸二も高度成長の中、そうした批評精神と風刺の技を、

メディアのうえで発揮してきたのだ。

 

メディアは、彼の冥福を祈ろうとするのなら、

「3・11」と安倍改憲政権出現という、

かつてない大きい政変のただ中、

この時代に相応しい批評性と、

“悪役”の骨の髄まで突き通す鋭い風刺を、

みずから武器として取り戻す必要があるのではないか

 

www.news-pj.net/npj/katsura-keiichi/20130523.html

 
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