はてなキーワード: ジッポーとは
ネタバレです
お話のあらすじは
というもの。美への奉仕者としてのプライドをもって、そのアート性を客にこき下ろしたくせに、サラにプレゼントされた蟹ジッポーに喜ぶ藤田のツンデレっぷりが本当に好きなエピソード。ガチめではなくユルいネタのエピソードなんだけどすごく印象に残ってる。アンティークライターにはご縁はないが、オイルライターは割と好きで、ジッポーは勿論、ロンソンやコリブリ、もっとチャチいのまで愛用していた思い出補正あるかも。
大学時代、友人で物の扱いが雑な奴がいた。
自転車なんかボロボロで壊れまくってるから乗るのに最低限のパーツしか残っていなかった。
そんな自転車に乗ってるもんだから、しょっちゅう警察の職質にあっていた。
ある日の深夜、そいつが河原に遊びにいこうと電話してきたので現地で待っているとゆらゆらと光る物体が近づいてきた。
家を出てすぐに無灯火で警察に呼び止められ、今からは無理でも今度からはなんでもいいので灯りをつけろと言われた、だから警察が見えなくなった後に壊れた自転車のベルのカップの部分(金属のフタのところが外れて無くなってた)にジッポーオイルを注ぎ、火を付けて灯火がわりにしてきた、というのだ。
その時はコイツすげーな、と思ったがこれって厳密にはなんかの罪になるのだろうか。
10年前であろうか、家畜の死肉を炭火で愚弄するアルバイトを終え、
国道134号線の高級レストラン「ガスト」にてアルバイト先の雇われ店長(とはいえ同い年の)とディナーをしていた時の事である。
運ばれてきた馬鈴薯の揚げ物などをつまみつつ、ふと顔を上げると雇われの顔色がすぐれない。
私は嘔吐恐怖症である。かれこれ15年間、じぶんでは嘔吐をしていない。我慢しているのである。
狼狽えているのを悟られまいとしながら「早く便所に行け」と促したが聞かず、ぐったりするばかり。
そして溜息を吐きながら雇われは水を飲んだ。また飲んだ。コップ1杯をペロリと飲んでしまった。
ものの数十秒であっただろうか、雇われは口を開いた。
「治った。脱水症状だったようだ」
確かに炭火を使う仕事故、水分補給はかかせないのだ。水を飲む時間さえ忙殺されていたのかと悲しくもなったが、
仕事が終わって数時間は経っていたので、雇われがただの鈍感であること、またそれはよく知ったことであった。
むしろ嘔吐恐怖症の私の心情を弄んだ事に怒りをひと通り巡らせたのち、安堵し食事をした。
いつも雇われと食事をする時は、ありきたりな愚痴や、先の見えない将来への不安などであった。
後ろ向きな話をしながらだらだら飯を食うというのは気心の知れた中でしかできない。
腹を満たした我々は、プロレタリアート特有の紙巻たばこ、セブンスターズを口に咥える。
しかし咥えたはいいがライターを車中に忘れてきたようで、火を付けられずどうしたものかと天井の照明と、意味不明な壁画を眺めながらその旨を雇われに伝え、彼のジッポーを拝借した。
雇われは薄笑いを浮かべていた。その意味はすぐに了解できた。ジッポーの石が切れていたのである。
私は何だか面白くなってお前もかとひとしきり笑ったのち、急に偽物の真顔を作り「10秒以内にライターを買ってこい」と雇われに100円玉をポンと投げた。
幸い、この高級レストランではレジの横にライターが置いてある。
他にも、密封されているにもかかわらず鼻をつくにおいを出す欧米の駄菓子や、子供用の玩具やキーホルダーなどが完備してある。
誰がキーホルダーなどここで購入するかは皆目見当がつかないが、いつ見ても置いてある。
雇われはライターを買いに行き、ホラよと寄越した。
彼はパシりにされた腹いせか、キャラクターの描いてあるライターを買ってきた。無地もあっただろうに…
私はそれのキャラクターを見て、素人が適当に書いたようなキャラクターだな、だの、またどこかの代理店が流行らそうと躍起になっているな、などと愚痴をいいながらセブンスターズに火をつけた。
雇われもそれで火をつけながらライターをまじまじと見ながら「リラックマと書いてある。程度の低いダジャレのつもりか」などとつぶやいていた。
あれはいつごろのことだったかな。たしか、大学二年の……夏、そう、ちょうどこんな季節じゃなかったか。
あのころ。
僕は純正の非モテで、学校も苦労して入ったけどすごく面白くなくて、サークルもなんかうすっぺらいやつらだな、ぐらいしか感じなくて、ひどくやさぐれていた。
丁度、ゼミ選択が来年にあったから、いろいろ調べてみたりとかしてるうちに、文系ポスドクの現実なんかもちょっとずつ理解して、研究の夢が凄まじい音を立てながら雪崩落ちたのもひとつの原因だったのかもしれない。
とにかく、僕はそんな状態で、ひとり部屋にひきこもって、ずっと安売りのアクエリアスなんかを飲んでた。
カーテンはずっと閉じたまま。部屋にともる明かりはPCのディスプレイだけ。そんな生活だった。
そんな僕が、あのときはてブのホッテントリに上がっていたこのエントリを見たのは単なる偶然だったのかもしれない。
いつものようにOperaでスピードダイアルに登録してあったニコニコ動画を見る前に、ちょっとチェックして、僕は、衝撃を受けたんだ。
そこにはまさに僕がいた。
このリスト;
- 「だって俺だけベリーハード設定なんだもん。残機も回復アイテムもないし敵は鬼のように強いし、やってられないよ」
- 「女と付き合う(結婚する)ことでかかるコストはこんだけ、対して見返りはこんだけ。割に合わなすぎる!」
- 「恋愛至上主義社会に組み込まれたが最後、俺たちは搾取され捨てられるだけなんだ。そんな社会に参加したくない」
- 「でもイケメンじゃないし」「でも結局イケメンじゃないから相手にされないし」
- 「俺のことなんかほっといてくれ」
- 「結局○○ですね、わかります」
- 「○○や△△の良さが判らないような人種なんて・・・」
- 「女は信用できねえ!」
- 「女は怖い生き物だ、嘘つきだし○○だし△△だし□□だし・・・」
- 「スイーツ(笑)」
は、完全に僕の口癖だった。
ひとつ付け加えるとするならば(このために僕は特定されてしまうかもしれないけれど)僕は「恋愛は性欲と友情の合力で、馬鹿どもはそれを勝手に勘違いして、崇拝しているにすぎない」って思ってたところだろう。
それにしても、これは、ひどく衝撃だった。
自分の気持ちが暴かれた気がしたんだ。そして、僕は、この試験期間と残りの夏休みを有意義に使う算段を建て始めた。
僕がとった戦略を、ちょっと説明してみたいと思う。
基本は単純だった。
これだけ。
ああ、あと、適当に服には気をつかった。
成人式のために買っていたスーツを着て、僕は適当に買った雑誌を参考に、高い服を買いまくった。
ポロシャツで\15,000ぐらいしたのはほんとうに辛かった。
それで、Built to spillやSpoonのCDが何枚買えるんだ。
そして、具体的な戦略に話を進めていこうと思う。
基本の戦略を守ったところで、コミュニケーションを行う相手が見つからなければ話にならないから、僕は、当時の環境を悪用する手段をとった。
試験期間は、基本的にひとりぼっちである非モテにとって苦痛の期間だった。
エレベータで一緒になったときに(僕の大学は山の中腹にあって、エレベータなどの移動手段なしには移動が辛い)、リア充とおぼしき男たちが、「試験期間なんて友人の量の差だよなー」なんてことを言ってたけれど、実際そうだと思う。
なぜひとりぼっちだと辛いのか、というと、ノートのコピーがもらえないからだ。
きちんと出席なんてしてない上友人もいない非モテには、そういう意味で辛いのだ。
だけど、僕はこれを悪用しようと思った。
ようは、試験前に、30分ぐらい早く行ってすわり、ぼくは勉強ができそうな人(できれば女子)におもむろに話しかけるんだ。
そして、基本の戦略を守りながら、「前回のノートないんだ」「貸してくれない?」って依頼する。
ノートも借りれて、女子とのコネクションも作れる。割と良い案だったと思う。
何回かは失敗したけれど、六割以上では快く貸してくれることが判明した。
僕はそんなにかっこいい外見をしていたわけじゃなかったからこのぐらいだったのかもしれない。
が、何人かの女子も「試験情報共有しない?」みたいな提案にも乗ってくれて、そのあと友人として連絡をとってる人も少なからずいる。
あと、けっこう男のほうが拒否る。
とりあえず。
ここで、コミュニケーションというものは、そんなに難しいものではなかったことが判明した。
というのも、僕はもともと関西人で、無理やりハイテンション状態を維持すれば、土曜の昼に小学校から直帰して毎日食い入るように見つめていた吉本新喜劇のリズムでコミュニケーションをとることができたから。
女の子を笑わせることすら、修練を積んだら出来るようになったし、自分がこの娘の笑顔を作ったんだ、と考えて、少し誇らしい気分にもなったりした。
ほんとうに楽しかった。今でもそう思う。
これは結構重要なことだった。
初めの試験の話で、何人か連絡を取る友人ができた。
何人かの女子は、これを自分が怠ったために連絡が遠くなった。後悔した。
作業に熱中している際に邪魔されるのは非常にうっとおしいことだ。だが、それで、相手が「つながっている感」を感じてくれるなら、そんなに悪いものではないかな、と思った。
当時は女子にだけ、この戦略を僕は適応した。だが、あとで気づいたが、男子にもこの考えは蔓延していたのだった。
「メールは十分以内」どこかでそんなものを読んだように思うが、一度男の先輩に普通はそうだろ、なんでお前は・・・なんて、切れられたことがあった。
これも、後々考えればわりと重要なことだったように思う。
二回生、ということもあったので、サークルによく出席しているのは、三回や四回の先輩が多かった。
そこで、僕はできるかぎりコミュニケーションをとることを意識した。
そうすると、もともと捨てるものも無かった僕は、何かに愛着を抱き、それを守るためにキモチワルい行動をすることもなかったので(たとえば、特定の女子にたいする愛着とか)、わりと気に入られることができるようになった。
二ヶ月程度はかかったように思うが、それだけの見入りはあった。
合コンとか飲み会とかにも呼ばれるようになり、先輩の顔を立てて適当にちょこちょこ動いていると、また声がかかるようになった。
また、その合コンから、初めての彼女が僕にも出来ることとなる。
当時考えた戦略というのは、こんなところだったと思う。
今羅列してみれば、まったく練られていない、そして何がしたいのかも見当たらない、と、ダメな点は多々出てくるが、それは当時の若さに罪をかぶせ、不問に付そう。それに、それでも十分に効果はあったから。
友人、というコネクションが出来れば、非コミュの鎧はすぐに剥ぐことができた――そんなことすら、考えないでよくなるんだから。
そして、人生初の彼女というものも、それを起点にできることになる。
それからは早かった。
大学在学中に、いくつもの女性と閨を共にした。そのうちの何割かには振られたが、そのうちの何割かは振った。
就活は穴場だった。可愛い子がいっぱいいて、内定が決まっても受け続け、友人みんなで可愛い子がいるところの情報を回しあった。
こいつだけは大事にしたい、俺が幸せにしてやりたい、と思った女性に振られたときは悲しかったし、
逆に自分がそう思われていてうっとおしくなって振ったこともあった。
だけれども。
今、自分に何が残ったのか、と考えると、どうにも胸が痛い。
僕は何も残してはこなかった。彼女達にも、何も残してはやれなかった。
また、彼女達が、僕に作ってくれたものも無かった。
マフラーは6本。指輪は無数。ジッポーは3つ。セーターを編んでくれた裁縫が大好きな子もいた(そしてマフラーの半分は彼女の手によるものだ)。
だけど、僕の心の奥底に何かを作ってくれた娘は、結局誰もいなかった。
その理由は、彼女たちとのコミュニケーションが、とても上辺だけに終始したためだ。
僕は、やはり愛というものが、性欲と友情の合力であり、その生物学的に正当な劣情を、美化するために名付けられたものだという直感を拭い去ることはできなかった。
ポップ・ソングは今でも恋愛を歌っている。
それを僕達が聞く時、僕達はいったい何を思い浮かべる?
私は、自分自身の思い出じゃないかと思う。そして、その思い出は、否応なく美辞麗句でデコレーションされている。
その時感じた感情は「レンアイ」に昇華され、まるで崇高だったもののように扱われる。
僕が出会った女の子達は、皆心のどこかでそういう慰めを得ていた。
だからこそ、終ぞ彼女達の中では、僕という像は、僕ではなかったように思う。
彼女達は、僕というレンズを通して、違う像を心の中に結んでいたのだ。
レミオメロンの劣化コピーであり、くるりのボーカルの劣化コピーであり、ジャニーズの劣化コピーであり、TMレボリューションの劣化コピーであり、そういう僕を通して、彼女達の理想像である幻想を。
非モテを語るあなたたちは気づくべきだ。
自分自身が作り出した、その鎧があなたの動きを緩慢たらしめていることの無意味さに。
非モテを批判するあなたたちは気づくべきだ。
自分自身の、その見えない鎧――レンアイという言葉で、または、空気を(読む|読まない)という言葉で、あいまいさを作り出し、そのあいまいさの中で自分自身を安住させていることの空虚さに。
そろそろ夜明けが近づいてきた。
願わくば、あの、昔のホッテントリのエントリから長々とはてな匿名ダイアリーで続き、otsuneとid:fromdusktildawnによってかき回され、ダンコーガイとココロンの参入を許し、はしごたんやハーブマイスター(2008年に増田論客としてデビュー)の人生をひっかきまわし、id:jkondoとid:naoyaの不和までを生み出し決別させ、2012年の現在に至るまで終りなく争われたあの……不利益な議論が終りを告げ、
百害あって一利なしとは言ったものだが、
吸っている人間同士に生まれる連帯感というかノリというか、
そういうものがあるってなんで言ってくれなかったの?
すげえ雑談しやすいぜ?
吸ってる銘柄をネタに初対面の人とうち解けることが出来たりするぜ?
先天的「いいこちゃん」だった俺は、
いいこと一つもないのに。
金かかるのに。
健康に悪いのに。
息クサくなるのに。
喫煙所のあの煙たさの中にいられる感覚も全く理解できなかった。
「こいつら全員馬鹿だ・・・」
そんな自分の考えを変えたのは、
影響を受けやすい人間だからなー。
なんかガツンとくるものがあったんだよ。書いた人ありがとう。
閑話休題。
俺は近所のローソンの自販機でマイセンのオリジナルを購入した。
でも吸い方が全く分からない・・・
ネットで調べた。
「吸いながらでないと火がつかない」なんて教科書に書いてなかったぞ・・・
「意外と灰は落ちずに頑張る」なんて吸わない奴はしらねーよ。
「口の中に煙を入れるだけでは気持ちよくはならない」なんてわかんねーよ。
たばこに関して、なんで知らないことがこんなに多いんだ?
実質知識ゼロじゃねえか。
読書量の少なさが悪いのか?
いや違う。
思えば、中高時代にたばこを吸っちゃうような知人がいなかったからだ。
大学でもそうだった。
ところが社会人になって面食らった。
みんな「吸える」(←ここ重要)んだ・・・
いろんな人種と付き合わなかった報いだろう。
「なんで体に悪いものを自ら進んで摂取してるんだろう?馬鹿じゃあないのかあいつらは。」
俺たちは少数派だった・・・。
吸い方をネットで調べた。
23で。ああ情けない。
初めてのたばこは緊張した。
久々に緊張した。
少年が初めてたばこを吸った瞬間の描写があったのを思い出した。
自分の周りに大きなわっかが出来て、クラクラして世界が変わったような感覚になる絵だった(一コマ)。
緊張。
俺はくわえた。
火をつけた。
吸った。
音にするなら「クラーン」。
脳に衝撃が走った。
酒を飲んだときと同じような「頭のクラクラする気持ちよさ」があった。
しかし吸った後の苦さ(後味は銘柄によってかなり異なるということを知るのはその数日後。)がキツイ。
息くせえよ。
飯に煙の味が付くよ。
馬鹿じゃないのか?
俺は「慣れる」ことが肝心だと思い、
いろんな種類を試してみた。
吸わないと分からないことがあまりにも多すぎた。
数え切れない。
文化になって当然だ。
たばこのおかげかどうかは分からないが、
「始業の少し前に喫煙所に向かってたばこを吸う」関係の人間が数人出来た。
ちょっとした疑問や悩みや軽い趣味の話がしやすい。
楽しい。
今から駅前のたばこ屋に行く。
人口数万人の地方都市にしては充実したしなぞろえの店(しんせいとか峰とかコブラとかアークロイヤルがあるくらいのレベルだが)だ。
まだ30箱くらいしか買ってない。
少なすぎる。
あのエントリーを読んでなかったら、俺はたばこを知らないままだったんだろうか。
それともどこかにきっかけが落ちてるんだろうか。