まあ当然ながらめちゃくちゃ食うんだけど自分の金であそこまで豪快に食べてもらえるとなんか妙な嬉しさみたいなのが発生するんだよな
読み方:にひきめのどじょう
別表記:二匹目のドジョウ、二匹目の泥鰌、2匹目のどじょう、2匹目のドジョウ、2匹目の泥鰌
「柳の下の二匹目のドジョウを狙う」の略。一度成功を収めた人や物事に準じて後釜になろうとすること、あるいは既存のものを真似して作られたものなどを意味する表現。
なお「柳の下の二匹目のドジョウを狙う」は「柳の下にいつも泥鰌はいない」から派生した表現。「柳の下にいつも泥鰌はいない」は、一度成功を収めたからといって、再び同じようにうまくいくとは限らないということを意味することわざ。
◆弱き者要素は…?
じゃあ俺の方が大企業に入れる奴よりも短期とはいえ能力あるかって言ったらそんな事無いだろ
へーそうなんだすごいすごい
太らせること自体を喜びとするのは一部のマニアだが、「人が食べてるのを眺めたい」って人は大勢いるよな
猫をちゃんと引き取って飼うのは面倒だから野良猫に餌をやるだけの無責任人間も多い
猫ならまだいいが、子供に食わせまくって肥満児にする親も珍しくはない
食べるのは快楽だから親に与えられたら与えられただけ子供は食ってしまう
木になりたい
ポーズを"考える"必要はあるのか?その時の姿勢とか流れじゃだめか?
なんでこんなこと聞くのかというと、考えたポーズ1〜2種類に固定されてるとそれはそれで不自然で、不自然だと自ずと"ダサくなる"から
話題になって読んでみたんだけど
喜んでてびっくりした
手のひらに水を乗せるとぺろぺろ舐めるとかも
知らないんだろうな
つまりあなたに撫でられたくて寄ってるんじゃなくて木に身体を擦り付けるのと一緒、あなたは
木と同じ扱いなのよ