離婚した父親に会う機会が時々ある。本当に嫌で一時は勝手に涙が出るほどだった。なぜなのか考えたのだが、おそらく離婚寸前に激烈に怒られた出来事があってそれが原因だと思う。あれは私が危険なことをしたりやってはいけないことをしたりしたわけではなく、離婚前のあの人自身の不機嫌とそこで私が独断でした行動があの人の予想通りではなかったことが2つかちあって、あんなに理不尽に激怒されたんだなあと思う。そしてそれを未だに私は許せないんだ。恩はたくさんあるのに、「この人は自分の機嫌一つで、別になんの瑕疵もない行動をした私をここまで怒鳴りつけて泣かせて23時ごろの夜にひとり小学生の私を家から追い出したのか。」という思いが懇々と脳裏に焼き付いてとてつもない恐怖の対象になったんだなあと、ある程度大きくなってから分析できるようになった。あの人は会うと平気な顔していて陽気に旅行や食事に誘ってくることさえあるから、きっとあの夜起きたことなんて忘れているのだろうと思う。私だけがずっと恐怖し続けている。
男がクサイとかガサツでキモいとか旦那がキモいとかバカで子供だとか禿げたおじさんはキモいとかオタクはキモいとか、そういう表現もありふれてるけどね
女性差別的な文化を脱するために、時にはアンチテーゼとしてあえて強い言葉を使ってるだけかと。
女性たちを元気付けるために旦那デスノートとか男性皆殺し協会マニュフェストも作られてるし、直近では差別と戦っている活動家の人が「キモいおじさん」シリーズを発表して女性を元気付けてた。
「宇宙戦争」と同じ結末を迎えるぞ
ネットのポリコレってワードは雑くくり(というかサヨク叩きのネタくらいでしかない)すぎて困るけど、男女同権に黒人差別、同性愛といった問題は今まさに目の前にある問題なわけで、映画産業としてそういった問題に向き合わないこともポリコレと同様の政治的思想、政治的スタンスでしかないんだよな
ほんとそれな
なるほどなあ
白人には下駄がつきまくる横で必ず白人には劣後して、自分が無条件にキモいガリ勉野蛮職人のイメージで雑に扱われるのが実感として全然想像できないんだなあ
そうなる前に、リベラルや竹中平蔵が主張するように移民を大量に受け入れて、共生社会をつくって少子化対策しそう。
社会的弱者である高齢者、障碍者、生活保護受給者らへの福祉の原資を外国人にも支えていただき、福祉施設の職員や共働き家庭での子育てサポート員としても働いていただく。
リベラルが助けたいと思っている社会的弱者全員が笑える社会になる。
竹中平蔵まで笑わせるのは癪だけど。